掬水へんろ館目次前日翌日著者紹介
掬水へんろ館のらくら遍路日記〜土佐Vおよび伊予/菩提道場前篇
北村 香織
第9日
5月7日(日)晴れ (ガーデンタイム〜松山/51番石手寺)

今朝はこの旅で初めてパッと目が開いた。ま、しばらくベッドでぼーっとしてたけど、5時半にゴソゴソ仕度をして足のかぶれに薬を塗っていると、窓の外からひと筋の光を浴びた。それは、ちょうど太宝寺や岩屋寺の方の山から朝一番のお日さまの光が差し込んだ瞬間だった。空は雲が流れててあまりよく見えないのに、その日の出の光だけがピカーッと眼鏡越しに私の眼に飛び込んできたみたいに。まばゆい残像がまだチカチカしている間に、その光はもう雲に遮られて奥に隠れてしまった。何だか特別な一瞬だった…。

 朝ご飯をいただいて7:50UP。山に囲まれた久万の町、田んぼには既に水が入ってすごーくすてきな風景。なんだか昔なつかしい感じで、どっかで確かに見たような…信州?九州?それとも夢の中? 三坂峠にかかると空は青空。遍路みちに入ったすぐのところでハジメさんが休憩中だった。挨拶をして私はもう少し先の東屋まで行って休憩する。先に青年遍路さんがここで休憩中だったが、お構いなく私はご一緒させていただく。彼は顔の半分がアザになっていて、時々無意識なのか手で隠そうとするような素振りがある。お遍路は10年前に始め、足摺を打った後は数年間中断していたとか。テントを持たない野宿で去年から再開している。話しているとハジメさんが挨拶して前のみちを抜いて行った。この青年は実家がもう近くで、今夜はそこに泊まるから今日はかなりゆっくり歩くとのことだったので、私がお先にUP、すぐにハジメさんに追いついた。さっきの青年とはハジメさんは道中何度か顔を会わせたことがあり、「前は(彼は)やっぱり他人とあまり関わりたくなさそうな感じで歩いていた」のだそう。下りになると景色が開け、はるか眼下の向こうに松山市街。うっきょー!となる眺め。同行になり歩きながら話していると、ハジメさんは臨床心理学に興味があり、私の大学に編入も考えているらしいことが判明。彼はソーシャルワーカーさんだった。ソーシャルワークとカウンセリングはかなり重複した部分の多い領域で、彼はこの世界では超有名な某教授の講座にも通ったことがあるらしい。お話しながら、昨日お不動さんと話すまでの彼とは表情が全然ちがって、すごくやわらかになっているのを感じる。

 11:20、46番浄瑠璃寺着。境内には<あーっ、お不動さん!>、彼のビックリ大作戦またも成功。やられっぱなしやな、今回は…。ここ浄瑠璃寺は木々と花と佛石のお寺。こぢんまりしてるけど、何か静謐でしっとりしていて優しい雰囲気で。またまた一目で気に入った。石仏にも本堂の扉にも赤いべべや短冊がいっぱい。納経所の奥さんも柔和でやさしさにあふれていて、ぜひ此処で知り合いの安産のお守りをいただきたい!と思った。奥さんに聞くと特に安産のお守りはないそうだが、1つだけ願いをかなえてくれるお札というのを出して下さり、それをいただいた。彼女に元気な赤ちゃんが生まれますように。そういえばここの大師堂には赤ちゃん真魚(空海の幼名)の像があって抱っこもできる。そうそう機会があるわけではないので私も抱っこさせてもらう。もうツ〜ルツルで、これまでに幾人に抱かれてきたのだろう〜? 境内の大きな樹にミミズクのつがいがいた。何だか幸せそう。こっちまでその幸せをお裾分けいただいた気分。

 お不動さんも一緒に3人で同行となる。ハジメさんと好きな木の話になった。私はとにかくケヤキが大好き。あの幹の色、フォルム、枝ののび方といい葉の形といいたまらない。 それに新緑の時期、紅葉の時期、冬枯れの時期それぞれに何とも言えない表情がある。余談ですが、うちの大学は規模も面積も知名度も小さいけど、正門のところのケヤキ並木は、私は京都中の他大学に誇れると密かに思っているくらい。

 47番八坂寺へは目と鼻の先…とでも言えそうな近さ。ここの鐘撞き堂は古くて立派で天井画がきれい。でも他は何か閑散としていてサッサとUP。お不動さんお気に入りの八坂食堂に入るかどうか少し迷うが、私の<まだ大丈夫>の声に通過。これが後の悲劇?の素になろうとは…。お天気がよすぎてアスファルトがキツイ、暑い。小学生が集団で帰っているのでお不動さんが聞くと、今日は家庭訪問で学校は午前で終わったのだそう。男の子はハジメさん、女の子はお不動さんにキレイに分かれてついて歩く。真ん中で私はこの不思議な集団を観察していた。札始大師堂を経て48番西林寺へ。いただいたはずのお姿を失くした…。と思って、ちょっと厳しい目で見られながらもう1枚いただいたら後から出てきた。お不動さんの案内で杖ヶ渕へ。よく手入れされた公園になっている。ここのていれぎ茶屋でお昼にしようと言っていたのだが、なんとこの日は定休日。茶屋の脇に湧水があり、地元の人もたくさん汲みに来ていた。柄杓ですくって飲ませてもらったが、まろやかで本当においしい。お水で空腹を満たして49番浄土寺へ向かう。4時前に到着。甘いもの苦手なお不動さんがハジメさんと私に屋台のアイスクリンをお接待してくれ、ご自分も1つ。生き返る〜。でも後でやっぱり失敗だった〜とか何とか言いながらお不動さんが歩くのが、おかしいやらカワイイやら。50番繁多寺へはここからすぐ。団体さんが来たーというので納経を先にする。高台の広いお寺だ。4:10UP、果たして石手寺には間に合うのか?

 お不動さんはさすが地元民でよく朝の散歩に来られるというだけあって余裕だが、私は間に合うのかどうか内心焦り気味で2人の後をついていった。4:50、51番石手寺。セーフ! 山門からして雰囲気が他の札所とは全然違う。土産物屋さんや旅館の客引きなんかもあってある意味おもしろいけど、境内の中はまた渋い古刹でいい感じ。今回の旅はここで打ち止め。最初の計画ではとても松山まで来るなんて思ってなかった。これもお不動さんのお陰、それに道中助けてくれたすべての人、もの、自然のお陰…。お大師さんのすぐ前まで行ける大師堂で、しっかりお礼を言っておいた。大師堂の横には衛門三郎再来のエピソードにちなんだ石塚があり、小石がいっぱい積んである。子どもを授かりたい人はこの石を持ち帰り、授かったらまたここに1つ持ってお礼参りに来るのだとか。

 ハジメさんの泊まるホテルの前で彼とはお別れ。彼は明日は少しゆっくりして、残りの札所をめぐって行かれる。私は今夜のフェリーでまた日常へ戻らないといけない。思えば今回は本当に内容の濃い道中で、なんだかすっかり非日常お四国の世界に浸かりきったような感じ。いつも以上に日常のことを忘れて、歩きに徹することができたような気がする。  

 道後温泉でゆっくりのんびりさせてもらう間に、お不動さんはお家に車を取りに帰られた。夕飯までお付き合いいただけるらしい。道後の湯は混み合っていて、石鹸がなくて困っていたら、「洗い場の蛇口を半分使わせて」と言ってきた方がお礼?に下さった。風呂上りは座敷で熱いお茶とお菓子をいただいてリラックス。お給仕してくれたお姉さんが、私がお遍路さんだと知るやキッと坐って喋りだした。彼女は車でちょこちょこ何年もかかってお遍路をし、やっと去年結願したとのこと。少し不思議な雰囲気のある人だった。座敷に涼風が渡り、いい気持ち…。夏はゆふぐれ、って感じです。

 お土産を買ってパッキングしているとお不動さんが到着。奥道後のそのまた奥の方に川魚を食べさせてくれるいい所があるらしい。かなり山の中で、宇佐大橋以来すっかり高所恐怖症になったというお不動さんは、車の運転でもこういう高所に差し掛かるとセンターラインをはみ出さんばかり。でもそのお店は本当ーにものすごく雰囲気のよいところで、風流なのに素朴で、心を尽くしているのに簡素で、大袈裟じゃなく私はすっかり虜になってしまった。お料理もどれもおいしくて。女将さんのお人柄もきっとお店と同じだと思えた。絶対にまた来たい。そして、ここで私はまたもやお不動さんから思いもかけないプレゼントをいただいてしまったのだった…。前回同行させてもらって、その道中にお不動さんが見つけた石笛と円相石のお話を聞き、いつか実物を見たいと私が言っていたのでそれらを持ってきて下さったのだが、なんと一緒に見せてくれた円相石をひとつ下さったのだ。それは円相を仏さんのお顔に見立ててお不動さん自ら描いて下さったもので、裏には禍を吉と成す真言陀羅尼と私の名前が書かれており、思わず絶句。本当に?本当にこれを私にいただけるの…? そればかりかここまで撮って下さった写真もさっそく現像して下さり、お不動さんの石笛の音色まで聴かせてもらってしまった。彼が室戸で出逢った石笛の、高く清い音―――それは岩屋寺で一緒に聴いた鳥の声みたいな音色で、目を閉じて聴き入った。もうひとつの石笛の方はまたさっきのとは違う音で、少しこもったような音がすてき。私もお不動さんからいただいたあの石笛、しっかり練習して?あんな音が出せるようになりたい。なぜかこんな私を見込んでくださったお不動さんのためにも…。

 名残惜しい気持ちとは裏腹に、時は刻々と進んでいく。お不動さんに観光港まで送っていただいて、さんふらわぁに乗り込んだ。船がゆっくりと動き出すと甲板に出て、松山の街の灯をはるかに眺める。と、霧雨のような細かい雨が降り出し、だんだんとその粒が大きく強くなってくる。でも私はその場から動けずに、じっと街の灯を見えなくなるまで見届けた。四国を離れるのはもう何度も経験してるのに、こんな気持ちで1つの旅が“終わった…”という感じがここまで迫るのは初めてかも。雨脚が強くなって、さすがに船室に帰る。今回は高速バスで帰るつもりが予約が取れず、結局この船の予約もお不動さんが取って下さったもの。なので2等ではなく、寝台席で快適ったらない。何から何までお不動さんにはお世話になりっぱなしな旅でもあった…。

本日の歩行距離: 28.5km
四国遍路目次前日翌日著者紹介