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掬水へんろ館のらくら遍路日記〜土佐・修行道場篇 (本篇U)
北村 香織
第2日
3月17日(土)雨

5:50起床。が、まだ皆さんお休み中でしばらくお布団の中でぼーっとする。外は雨の気配。昨晩お念珠を忘れて来たことに気づき、折角だから丸和さんでいただこうと決める。今までは普通のお念珠を使っていたが、実は真言用のお念珠を密かに欲しいと特に最近強く思っていたところだった。これには理由があり、私のとある愛読漫画に"守護師"なるものが出てくる。これは相対する"妖術使い"が人々の心に潜む邪心に働きかけて邪鬼をつくる、その邪鬼に対して"守りの術"で払うのが役目なのだが、私はその守護師にセラピストと重なる部分をいくつも感じていて、その守りの道具でもあり象徴でもある真言のお念珠をいつか手に入れたいと思っていた。ただ何となく買えばいいってものではなくて、何かきっかけのようなものが欲しいところだったのが、この好機。7時には準備もでき下に降りてみたが、まだ社長さんは来られておらず、他の人では分からないので待ってくれとのこと。ちょうど出立しようとされていた同宿の女の方が、じゃあ一緒に少し待ってみようということになり、二人でお堂兼休憩所で待つ。彼女は通し打ちで歩かれており、時々は交通機関も使われているらしい。どうにも足が痛くて駄目なので、この日は高知の市街地に宿を取って靴を買い換えるつもりとのこと。詳しい動機などは伺わなかったが、なかなか学のありそうな、奉仕活動などにも携わっておられそうな雰囲気のある人。この方が「お遍路って、大人のゲームみたいな感じよね。一度始めたらもう止められなくなっちゃう…すごく魅力のあるゲーム」と仰ったのが印象的だった。7時半になっても社長さんが来られない。いつもはとっくに来ているのに…と従業員の方も首をひねり、同宿の彼女も発って行かれた。私も8時まで待ってみたが、諦めて出発する。

 8:50 30番善楽寺。9:10 UP。先発したはずの同宿の彼女が到着。私は夏も来た車道を来たが、別に遍路みちがあったのか?健闘を祈ってお別れ。納経所に竹林寺の近くに漫画喫茶の案内が貼ってあった。入ると腰が上がらなくなりそうで迷ったが、この雨でろくに休憩が取れないので、少し遠回りだけれども漫画喫茶の方の道を行く。が、何処にあるのー!? 全然見当たらず諦めた。もしかすると川を渡って逆の方角に少し行かないといけなかったのかも。

さて、とこんもりした丘陵を車道から登り始める。雨は幸い強くはなく、しとしとという感じ。不意に前を行くおっちゃんが道を教えてくれ、ずっと上の植物園辺りまで案内してくれた。これは助かった…こちらのルートはあまり表示がなかったので。

11:10 31番竹林寺着。11:40 UP。今回のテーマは「存在因」について。これは去年某雑誌に私と師匠が共著で遍路について書いた論文で、師匠が論じたテーマである。存在因とは、ちょっと言葉では説明が難しく、創った師匠自身うまく私に説明できなかった概念なのだが、要するに名前からして深い、人間の生きる根本的なもの…とでも言えようか? いまだに臨床経験の全くない私には到底わかりえない世界でもあって、考えても全然何も見えてこなかった。結局わかったのは、まだわかる器じゃないということと、だからセラピストとして私は、クライエントのこころのお四国を一歩一歩ともに歩むだけ。それが今の私というセラピストのできる唯一のセラピーだと。

13:10 32番禅師峯寺着。13:40 UP。ここまでよいペースで来てはいるものの、合羽の内と外から濡れてろくに休憩もしておらず、さすがに疲れが出てきた。14:20 カフェテリアで昼食、ついでに晩御飯を仕入れる。ホットミルクが冷えた身体を生き返らせてくれる。14:45 UP。渡船待合所15:30着。45分発の船にて対岸へ。海が灰色に煙っている。

16:10 33番雪蹊寺着。通夜堂に泊めていただけることになり、早速中に入って紐を張り、濡れたものを干す。ここは事前情報通りお布団などはないが、比較的新しい建物の様子。空気が冷たく、芯からブルブルきはじめたので、アルミシート製のサバイバルシュラフをまとう。今回旅の直前にGetして試していなかったので心配していたのだが、けっこう暖かくてホッとした。そのまま床に転がって記録をつけたりゴロゴロしたり。とっても寒い。寒すぎて、冷えたお茶やお惣菜は全然食べる気がしない。なんでこんなに寒いんだろう…と思ったら、サバイバルシュラフが内側から濡れている! しまったーーー。ちょっと考えれば分かることなのに、どーして気づかなかったんだろう。これは非常にまずい事態。でも今更どうしようもない、なんとか一夜明かさなきゃ…。とりあえず着替えて腹を括り、また転がっていると、もう暗くなった窓の外にニュッと人影が現れ、窓を叩いた。慌てて開けると、作務衣姿に坊主頭の男の人。「ここに泊まるんか。ふ〜ん、ここも前はボロボロでその辺に死体でも転がってそうなとこやったのに、えらい綺麗になったもんじゃのぅ」<…。(おいおい)>「野宿でまわっとるんか?それなら色々教えちゃる、ちょっとえーか」ということでお客さんを迎えることになった。入るなり、野宿のポイントを喋りだした。「一回しか言わんぞ。書け書け!」何がなんだか今いち状況を把握できないまま、とにかく言われたことを次々とメモする。「わしに会うたからには絶対大丈夫。極楽を見せちゃる。代わりに地獄も見るけどな」 <…。>

ここから88番までのお奨め場所を一気に喋り終ったところで、窓の外から女の方が「お風呂どうぞ」と呼びに来られた。彼は急いで立ち上がるや「おまえ風呂は」と言われ、<今日はなしです>と答えると「ちょい来い、言うてみたるわ」 向かいの高知屋さんに入り、女将さんに言って下さった。女将さんも「言おう思てたんよ、次使うてね」と言われ、お二人に感謝。通夜堂に戻って用意をする。

とにかくこの人は通称「ちようごろうさん」という人らしい。年齢は不詳ながら(4,50代?)若々しく、10年間四国を歩かれたとか。どうもお坊さんのようだが、キャラクター的には今まで会ったお坊さんとはまるで違うタイプみたい。独特で強い個性に圧倒されつつ、お会いできたことを本当にうれしく思った。お風呂をいただいて、女将さんとチヨウゴロウさんに納札をお渡しする。と、チヨウゴロウさんは私より先にてくてくと通夜堂に入っていかれ、内心(まだなにかあるんやろか…)と少々いぶかしく付いて入る私。座るなり茶巾袋を広げ、彼は中からスタンプの数々を取り出された。見るとすべて住所やイラストのもの。納札を忘れたと言われ、私の白札をお渡しすると押してくださった。が、肝心のご本名のを忘れた、と仰って「ま、え〜か」。私もま、え〜か。で敢えて伺わず。そしておもむろに「念珠持っとるか」と言われ、思わず今回忘れてしまったこと、朝の丸和さんでの経緯をお話しする。すると「ちょーうどよかった。何故かここに女物のがあるんだな」と袱紗から取り出され、扱い方を知っているかどうか尋ねられた。<当然知りません>「やっぱり」ということで、ここからお念珠の扱い方と礼拝の仕方講習会になる。一気に習ったところで、物覚えの悪すぎる私にはせいぜい2,3しか頭に入らない。が、チヨウゴロウさんはてんで気になさらず、「形だけ様になっとればええ」とのこと。そこでまたおもむろに「ここのご本尊は」と聞かれ、私は自信満々で<馬頭観音さま!> 頭をはたかれた。ぶぶーっ!と笑われ、アホだの何をお参りしてんだ等ぼやきながらも、けっこう私の天然ボケを楽しんでいただけたよう。礼拝の実践・兼・本当は何か確認のために本堂へ。あら〜阿弥陀如来様だった…。「じゃお経あげて」と言われ、思わず顔が伸びてしまう。できるとこまででええ、と言われてうろ覚えの2行だけお唱えした。後はお手本と称し、チヨウゴロウさんが立派な礼拝、お経をあげて下さる。「まったく何もできない女遍路ではございますが、なにとぞ道中の無事をおまもりください…云々」有難いことです。また通夜堂に戻り、そしてお念珠を下さると言う。え゛っ、いいんですか…。更に青春18切符(未使用)までぽーんと下さった。そしてまた女将さんがお迎えに来られてお向かいに戻って行かれた、「頑張らんようにな。あなた頑張りすぎる人のようだからさ」という台詞を残して―――。

不思議なご縁の余韻に浸りつつサバイバルシュラフにもぐりこむ。折角いただいたお風呂で温まったのが、さっきの講習等でまた冷えてきた。向かいの大師堂には若い修行僧が泊まっている様子。チヨウゴロウさんの「昔は死体が転がってそうな…」という言葉を思い出し、ちょっと怖い気もしたが、これも修行だ!と思ってそのまま寝入ってしまった。  

が、寒…っ。またシュラフに水滴ができ、靴下が濡れている。これは眠れない、とついにテントを着ることにする。時間的には9時ごろか。ヘッドランプをつけ、ゴソゴソ広げていると、不意にランプが消えた。あれっと思って、あちこちいじってみるも全く点かない。新しい電池なのに…。

 と、どこからかナンマンダブナマンダ〜ブ〜ナンマンダ〜ブ〜… <ギョッ!> なに?外から?! こっわー!! 慌ててランプをひねってみるがやっぱり点かず、怖い思いをそのままテントにもぐりこんで必死に抱えた。子供の頃から私はあまり怖い思いや悪い夢の体験がない。唯一怖かった耳なし法一も戦争絡みの話も、布団にもぐれば全然大丈夫。布団の中は私の最高の安全地帯なのだ。だからテントにもぐれば怖さも少しおさまってきた。チヨウゴロウさんが言っていた地獄なのかな、これは。でも地獄がこんな程度のはずはないし。彼はこうも言っていた、自分に会ったからには絶対大丈夫だと。じゃあきっと大丈夫やね…。さっきいただいたお念珠を出し、これを持って寝直す。ああ、今回の旅はしょっぱなから今までとはちょっと違うぞ…。これから何が待っているのか、楽しみだ。

本日の歩行距離:30.5km(30591歩)
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