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![]() | のらくら遍路日記〜土佐・修行道場篇 (本篇T) | |
北村 香織 |
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| 8月10日(木) 晴れ |
昨夜は久しぶりに人との暖かい交流を満喫し、最高の寝心地のお布団に横になった途端に爆睡、ニラの収穫を手伝うために3:50に起きるのも全然苦にならないほど元気回復できた。右足もかなり良い。外に出てみるとまだ誰も起きておらず、風がびゅうびゅう吹きつけて寒いくらい。南の空に急に稲妻のような閃光が走って、何事かと驚いた。間隔は定まっていないが何度も同じ現象が起こる。後で聞くとどうも高知空港関連らしい。その光景やまだ夜の空をしばらく眺めているうちに都築家の人々がビニールハウスに出て行き、お遍路男性陣も起きてきたので後を追うも「気持ちだけでええよ。素人には難しいから。」とのことで、少しだけハウスの中を見学して戻る。流れ星見―つけた。男性陣はみんな寝直したが、私はもったいなくて作業台の上でお遍路さん用のノートにコメントをゆっくり書いた。
私より前に書かれた見も知らぬ先達たちのコメントも読ませていただき、それぞれにそれぞれの遍路の旅があるけれども、その求める究極的なところやこうした旅で得ていくところは各自共通しているようにも思える。昨夜の都築さんのお話は、こうした旅で得られるものの1つでもあるし、また大きなヒントでもある。私は道中少し考えた「こころと身体の距離」について、離れていると悟りは得られないのかどうか聞いてみた。その答えは離れていてもお修行できるとのこと。つまり精神は肉体の欲をコントロールできる。それは一般には難しいことだけれど、それでも例えば「性愛でも何でもこの世の全てはこころを磨く道具のようなもの」。一般人にだってできる"修行"は身近にあるのだ。都築さんは「夫婦間の愛は性愛、親子間の愛は情愛、これに勝るものなし」と説く。食べながら飲みながら、笑いも交えながらの土佐弁は分かりにくかったけれど、柔和で人格が滲み出るお人柄にも魅了され、東洋大師のKさん同様、都築さんの全身からのお言葉だからすっとこちらの心にまで届く。他にも「無我の境地というのは我を無くすのではなく、みんなと同じ存在であることを実感すること」を教わった。それが都築家の団欒の何とも言えない暖かさであり、助け合いのこころであり、何でも包み許しあえるこころ。宗教の世界だけでなく、すべての人間の営みの基本であることを常に心の片隅に置いておきたいと思う。それが全世界の人々もできたら、アホらしい争いも破壊も自然になくなるだろうに…。
お遍路さんへの接待をする側の気持ちは、これまでにも道中や日常の中で何度か考えた。実際私は逆の立場しか経験がなくて結局は分からないのだが、都築さんご一家とこうして触れあえて、このご一家は全然「お接待」という感覚すらひょっとして持っておられなくて、ただ人間として普通に当たり前のこととしてこうまでして下さっているのではないか、という気がしてならなかった。そんな人々がいるのだということが私の中の凝り固まった何かを溶かしてくれたのだろうか。今回の旅はずっとひたむきに歩くこと、それも意地や欲といったおのれの俗っぽい部分に突き動かされた歩みだったことに気付かされ、発心の道場のときのようにもう少し心に余裕を持って歩き遍路の醍醐味を味わいながら道中を楽しもう、という気持ちにだんだんなっていった。すっかり日が昇り、すでに出発したTさん以外の4人は都築さんお手製の朝ご飯をご馳走になる。本当に何もかもお世話になって、大切なことをいくつも教えていただいて、どうもありがとうございました。 7:30 UP。
昨日疲れきって足を引き摺りながらやってきた北海君が一足先に出発し、早足君はこの足で高知空港へ向かい故郷へ帰ることにした。都築家の暖かさに触れ、このとろけた気持ちのまま遍路に一区切りつけたいというようなことを言っていた。その気持ちは相方君も私も漠然と感じており、彼と別れた後も2人でへろへろしながら喋りながら歩いた。相方君は去年の夏に通し打ちを終えて今回は2回目の遍路である。その分コツをつかんでいるというのか、すごく遍路を楽しみながら歩いているというのが一緒に歩いていて伝わってきた。ぶどうの直売所に寄って1房買い、みかんゼリージュースなるものを急に飲みたくなると飲む。(1口もらったら意外にイケた。) こういう行き方もまたある、と教わった気がする。また彼は早足君に負けず劣らずの愛想よしで、地元の人にもお遍路さんにもとにかくその人好きのする笑顔で挨拶をし、会話をする。こういう点は今の私は全然できていないなぁ…とつい反省。昨晩「もう少し楽しもう」と決めたことだし、無理にせかせか歩かず、きょろきょろ周りを見回せる速さでゆっくり歩いた。そうそう、これが私本来のペース! 早足君同様に昨晩考えた結果、予定では明日までの旅を急遽打ち切ることに決めた。家に連絡して、今日昼頃に30番善楽寺で落ち合うことになっている。今回の旅に残されたわずかな時間を精一杯楽しもう。
8:40 29番国分寺着。相方君のお勧め通り、境内は別世界のような私好みの佇まいだった。朝の陽を受けた緑を背に天平風のこけら葺きが何とも言えぬ落ち着きと優美さを内に秘めたような金堂(長曾我部元親の建立とのこと)。緑の芝生。蝉の合唱も全然うるさく感じず、むしろ"岩に染み入る"ならぬ庭に染み入る…という感じ。もうこのまま溶けて流されたいな〜。石でできた冷たいベンチに寝転んでウトウトしそう。ふと見れば、御手水のベンチに相方君がいた。毎日すれ違うお遍路さん(以下ノッポさんとする)と談笑中。さっき買ったぶどうを龍の彫刻の口の下に置いて冷やしているらしい。彼らの話に少し加わり、ようやく強烈な"ここに留まりたい願望"を吹っ切って歩き出せた。9:45UP。
一足先を行くノッポさんの白装束を道標に田んぼの中を行く。赤とんぼがちらほら飛び交う。小学校の脇を抜けるとまた大きな車道を行かなければならない。でも余裕を持ったからか、鼻歌交じりでエ〜ンヤコラという感じでなかなか楽しい。相方君や時々メールをいただいている先達の方から奨められた丸和石材さんの接待所の電光掲示メッセージ板を見つけて「すごい」と思い、休憩しすぎな感もあったが入ってみた。さすが石材屋さんで掲示板の横には巨大な仏様の像(観音様?)が立っている。接待所も絢爛豪華でびっくりした。さっそく社長さんが顔を出してお茶を入れて下さった。そして1枚の小さなお大師さま像の描かれた紙片をそれに浮かべ、「さあ飲んで下さい」。「これであなたの中にはお大師さまがいらっしゃる。私はいつもここに来られたお遍路さん達に同じ事をして、交通事故に遭わないようにとか願が叶いますようにとかお祈りをするんです」とおっしゃる。ここは高知医大のすぐ前という場所柄、末期ガンや難病で現代医学ではどうにもならない方が見えることが少なくないらしい。社長さんご自身も修験系の行者でいらっしゃるし、外の大きな仏様を拝みに来られる地元の方もいらっしゃる。そうした方々に社長さんは、行場できちんと願をかけたさっきのお大師様の御札を無償で配っておられるのだそう。1日の初めにお茶やお水に浮かべて毎日飲むと効果覿面らしい。へーっと思って飲むと、社長さんは私の顔を見て「なんか悩みがあるのと違いますか」と問われ、思いがけない言葉に詰まってしまった。特に悩みがあるというわけではないが、このところの体調の悪さからストレスは多いかな? と一瞬思った後、「いつも何かを探してる自分がいるんです。それを探しに歩いてるのかもしれない」と我ながら驚くような言葉が勝手に出てきてしまった。社長さんはそれに対して四国を歩いているうちに見つかると言ってくれた。なんかこれ、カウンセリングそのまんま ?! それから社長さんのそういう人助けを沢山聞いて、ある意味同業の(事実、昔は宗教家がカウンセラーだった)大先輩から学ぶことは多く、お別れした後もずっと考えさせられた。「苦を楽しみなさい。四国遍路は苦しむものでなく、いかに楽しむかや。お大師さまも苦しんで歩けなんてことは一言も言うちょらん」社長さんの言葉をじっくり味わいながらゆっくり1歩1歩を確実に行こう。
もうちょっとで高知市との境という坂道の自動販売機コーナーに差し掛かったとき、突然軽トラのおじさんに烏龍茶をお接待された。ありがたく頂いてお話すると、最近まで奈良に住んでいたとのことで話が弾んだ。そして、その後私にとっては青天の霹靂(!)と言えるかどうか、とにかく見込まれてすごいお願いをされるに至る。詳細はプライバシー保護のため明かせないが、けっこう困ったし迷ったけれど、承諾した。後であれで本当に良かったのかという思いもかすめたが、あの瞬間あの場では私にしかできなかったことで、切に頼んでいる彼を信じることに賭けて決断したのだからそれで良かったのではないか。いやぁそれにしてもなぁ…などと思いながら、本当に私にとってもこれは大きな転機になったようにも感じられる。これはまさにセラピストとして迫られる判断に通じている。さっきまではクライエントとしてのみの立場で四国で癒されていた私だったが、逆の立場に(と言うと大袈裟かな?)立ってみるという機会に恵まれ、ある種、セラピストへのイニシエーションだったとも考えられなくない。こうして最後に今回の旅が「セラピストとしての器を磨くための遍路」だったのだということにやっと結論できたところで13:00 30番善楽寺着。
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