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掬水へんろ館のらくら遍路日記〜土佐・修行道場篇 (本篇T)
北村 香織
第6日
8月9日(水) 晴れ

4:00起床。昨晩からの曇り空と風のお陰でテントは快適だったが、外は3000m級の山みたいに寒く合羽をウィンドブレーカー代わりに羽織ったほど。テントを出ると早速トッティが「ニャア〜〜〜」。彼のまとわりつくのをよけながらテント撤収、パッキングした後どうしても熱いコーヒーを飲みたくなって少し離れた自動販売機まで走った。が、この季節にそれはかなわず、諦めて冷たいのを買って戻るとトッティの姿が消えていた。折角カロリーメイトのかけらでもあげようと思ったのに。でもこの方がお互い未練を引きずらずに別れができて結果的にはよかったと思う。6:00頃UP。

今日のルートは3分の2は海沿いのサイクリングロード。国道が嫌いなので気分も上々で朝日に染まった海を見ながらひたすら西へ。今朝から右足首が腫れて痛むけど、特に無理を感じるわけでもない。が、いつまでも続く同じ風景にだんだん飽きがきて精神的にはうんざりしてくる。休憩しようと海岸へ下りるスロープに回り込むとTさんとバッタリ。ここからしばらく同道する。Tさんとは猫談義で盛り上がった。彼も猫好きで横切った野良猫を呼び寄せたりしていた。また猫も味方をよく知っているというか、猫を飼った経験者にはわりとよく愛想を振ってくれる気がする。その証拠(?)に、発心の道場が犬に縁があったのに対し、ギィやんとの暮らしを経て再開したこの旅は妙に猫に縁が深い。

長いサイクリングロードからまた55号線に戻ると一気に心的エネルギーが低下した。高知の人はよく声をかけてくれ、それは有難いし元気ももらえるのだけど、とにかくひっきりなしの車の往来、排気ガス、それに歩道の自転車や人の往来がうっとおしくてかなわない。とてもこらえ難いものを感じて叫びたくなった。右足首の痛みは増し、この辺りではすでに少し引きずって歩いていたと思う。それがこのイライラで逆にスピードアップしてしまったらしく、またもTさんを置いていってしまったようだ。

やっと55号線から別れたものの、あと5km弱の距離が異様に長く感じられる。行けども行けども一向に距離が縮まらず、精神的にはもう限界。お杖に齧りつきたい衝動に襲われた。頭の中では『何て罰当たりなー』と分かっているのにどうしても抑えられない。今回の旅では何度か同じことがあった。(といっても本当に齧ったことはない。)何だろう、これは。??? それにしても私は大日寺とはいつも相性が悪いようだ。4番さんも行けども行けども4kmの表示のままだったし。でも今回のこの5kmの辛さはそれの比じゃなかった。へろへろの態で12:40 28番大日寺着。

大日寺は思ったよりこぢんまりしており、蝉の声を縁取る静寂だけが印象に残っている。正直言ってちょっと拍子抜け(文字通りお杖に精神的にも肉体的にもすがってやっと辿り着いただけに)、むしろ奥の院である爪彫薬師堂の方に何とも言えない揺さぶられるものを感じた。少し傾いた斜面に建っているため、一度にお参りできるのはせいぜい2人程度の小さなお堂には赤や色とりどりの布短冊がびっしり吊られており、そのほとんどはここの薬師如来様のお陰で奇跡的に治ったことを感謝するものだった。じーっと突っ立っている私の横に、相当なお歳に見えるおばあさんが頼りない足取りで登ってこられ、一心にお参りをはじめた。その姿は私がこれまで札所で一緒になったお遍路さん達とはまた全然違う、もっと日常に密接してもっと習慣的で、そしてもっと深い祈りのように感じられた。たぶん私など眼中になく、遠慮してもあまり変わらなかっただろうが、仏様と二人きりにしてあげたくなって、そっとそこを離れた。13:30 UP。

足の痛みがひどく、時間的にはもったいないが、ここから3.4kmの都築さんの接待所に連絡し泊めていただくことにした。しんどいのもあったが、以前、焼山寺麓で会ったおじぃの勧めを聞いてから密かに「絶対行こう」と決めていたのもある。田畑と住宅の間を縫いながら行くと、早足君に出会った。彼は昨晩はサイクリングロードのとある公園のテーブルに泊ったらしく、朝8時頃まだ大の字で寝ているところをTさんと目撃している。国道を歩いているとき追い抜かれ、とっくに先を行ったものと思っていたので驚いた。彼も連日連夜の野宿に疲労が溜まっているのだろう。私が27番さんから下りてきたときすれ違った相方の子と都築さん宅で合流する約束をしたと言う。長い橋を渡りながら物部川の清流に目も心も奪われていると、一足先を行く早足君が地元の子供たちに混じって泳ぎ出した。またも羨ましい思いを噛み締めながら(水着をもっていない)、とにかく1歩1歩足を前に出すしかできない。農作地帯らしく、田畑が見渡す限り広がっているこの辺りは陰になるものもなく、直射日光が直撃するこの時間は辛い。服のままでも泳げばよかった…と後悔しながらどれくらい行ったろう。川を渡った頃からずっと考えることすらストップしていた(心的防衛?)ので、都築さん宅の目印である赤い遍路マークが目に入ったにもかかわらず通過して、かなり先まで行ってしまった。住民の人に聞いて戻ったところにちょうどTさんも到着、彼もここでお世話になるらしい。

早足君も到着したところでお茶を頂き、奥さんとおばあちゃんと少しお話をした。それからニラの箱詰め作業をみんなでお手伝い。これは単純なだけに大変なお仕事だ。数や端先の摘み取りを間違えたり見逃すと信用に関わると思って慎重になる。日が沈む頃になって早足君の相方(以下、相方君とする)が到着。お杖を洗うとすぐ作業に合流、そこにもう一人北海道出身の大学生君(以下、北海君とする)が到着した。今夜お世話になるお遍路さんは合計5人となり、私だけ(一応女ということで)母屋の二階の一室をお借りすることになった。シャワーを浴び、洗濯機と乾燥機までお借りしてすっかりリフレッシュ。なんて有難い…。しかもこの上に暖かい家庭料理をご馳走になっただけでなく、お酒も入って会話が弾み、また石鎚山系の修験者である都築さんの熱く真剣な、でもちょっとくだけていて面白いお話もたっぷり楽しませていただいた(内容については後述)。驚いたことに最初お椀いっぱいのご飯を前に『無理やわ…』と思った私が、気がつくとお替わりをしていた。本当に何もかもがおいしかったのだけど、この時はっきりと思ったのはこの空気、雰囲気の楽しさが一番おいしかったということ。カナダでホームステイしていた時にも同じように感じ、現代の日本人の食卓にはなかなか難しいと思ったりしたものだったが、なんの、ある所にはあるんだと改めて思った。これこそが「家庭」である。たとえ血がつながっていなくても、こころのほんの一部分でも同じなにかを共有しあえれば、そこに真の意味での「家庭」が自然に生まれるのだと思う。

「家庭」の酔い覚ましに作業場の前に折畳み椅子をならべて、早足君と相方君と3人でまた取り留めのない事を言ってはボケとツッコミで楽しかった。夜空は雲行きがやや怪しく、私にとっては見たこともないほど低空を幾筋かに分かれて、まるで海から湧いたばかりの雲が行先を知っているかのようにまっすぐ北の山々の方へ向かっている。南西の方角が明るくなり、遠くに花火が上がっているのが見えた。高知は"よさこい祭り"(?)の真っ最中らしい。雲の帯に分断された花火の大輪もまたこの旅の忘れられない思い出の象徴として、今も鮮やかに私の中にある。

本日の歩行距離: 17.2km
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