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![]() | のらくら遍路日記〜土佐・修行道場篇 (本篇T) | |
北村 香織 |
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| 8月5日(土) 晴れ |
3:30am 起床。顔を洗って真っ暗闇の中を主婦の方と一緒に本堂へ。修行の男の人はすでに坐禅を組んでおられる。座布団と丸いクッションみたいなのとを用意して和尚さんを待つ。この夏は修行の時間を1時間にしているらしい。去年は2時間は全然ダメだったけど、1時間だったらなんとかやれていたので「今度こそは納得行く坐禅をするゾ!」と気合は充分。和尚さんが来られ、ふすまが開け放たれる。冷たい空気が暗闇の本堂を駆け、時間をはかるお線香の香りが流れ、空気を切るかのような拍子木の響き。すべて懐かしく、そして去年よりその緊張感をリラックスして自然に身体に吸収している私がいた。雑念の全くない坐禅をできるレベルでは全然ないことを前提とすると、今日の坐禅は今までで一番後悔の少ない、自分で自分を初めて褒められる出来だったと思う。和尚さんから見るとまだまだなんだろうけど…。それにしても薮蚊の集中攻撃はすごかった。さすがに終わり真際はモソモソしてしまった。足の側面を中心に20箇所やられました。かゆーい!
5:00 朝の草むしり。母屋の前庭を主婦の方といっしょに担当。ここに来た訳やここでの生活について彼女は色々なことを話してくれ、私もまた「心の癒し」ということを考えざるを得なかった。その後和尚さんも加わって、草を抜きながら幼児教育のことや今の少年犯罪の話なんかをした。みんなここのような、こんなにすばらしい環境でのびのび育てば、そういったことは減るんだろうか? まだ実際にクライエントさんを担当したりしているわけではないけれど、後期からは恐らく本格的なトレーニングが始まるであろう卵セラピスト候補生としては、こういうことを正面から考えさせてもらえるその機会を与えられるだけでも四国ってすごく有難い環境である。
7:30 朝ご飯。玄米粥とキュウリもみ、佃煮etc. いつ食べてもここのご飯はおいしいの一言に尽きる。うーん、どう頑張ってもかないっこないわぁ。うちのご飯との差は何だろう。時間と丹精かなぁやっぱり。
8:30 UP。和尚さん、またも大変お世話になりました。ありがとうございました。去年、宍喰まで歩いているので(と言い訳して)宍喰まで電車に乗る。海部から甲浦までを走っている阿佐海岸鉄道の1両列車は、天井に竹を組んで朝顔の造花と風鈴をいっぱい吊ってあり風流でかわいらしい演出がなされていた。宍喰で降りる時、車掌さんに「甲浦まで行かないんですか」と不思議そうに言われたのがちょっと"こしょばい"気がした。
10:05 宍喰道の駅着。ここの温泉に一度入ってみたいと思いつつ、今日も時間が合わず(11時から)、どのみち今から汗だくやし…と思い直して、いよいよ私にとっての本当の意味での修行の道場がここから始まる。。。
蒼い太平洋とサーファー、海水浴客たちを横目で見ながら、ひたすらアスファルトの国道55号線を行く。暑さにペースが上がらないが、お杖の鈴がリズムを取ってくれるので、なんとなく歩きやすい気がする。一旦海から離れて小さなトンネルを抜けると、「高知県」の標示。やっと徳島県を抜けられた!
休憩は今まではだいたい1時間歩いて10分という原則でやっていたが、この炎天下ではとても1時間はもたないので、今回は気が向いたら気が乗るまで休憩することにした。それでも白浜ビーチが見えてくる頃には、膀胱炎までは全然遠いけど鈍い痛みのようなものを感じて、ビーチ併設のベンチで30分休憩。カロリーメイトを無理矢理押し込む。人が入れ代り立ち代り来て、声を掛けてくれる。私と同年代の歩き遍路経験者の男の人が、「最御崎寺のYHに泊まったけど、ホテル並みですごく良かったよ。行ってみ」と言っていたので、ついその気になる。でも今夜が問題…。海水浴場だったらトイレの心配もないし、うまく行けばシャワーも浴びられると思うけど、そううまくあるかどうか。とにかく行けるところまで行こう。
歩きながら猫のギィやんのことを考える。私の留守中は旦那に休みを取ってもらっているので、心配は要らないはずなんだけど。何しろ彼は家にやって来るまでにも、やって来てからもトラウマが重なり(?)、もともとの性格もあるのだろうけど一人で留守番するのが大嫌いな変わった猫なのである。チビチビ掌サイズだった頃には、私がトイレやお風呂に行くのでも付きまとい、とにかく一緒の空間にいないとダメだったし、かなり大きくなってからも私が大学院の合宿で一晩家を空けた時、旦那が朝出勤した後、昼に私が家に帰ってみると洗面台の中にウンコしていた(ちなみに旦那の髭剃りがそこに埋まっていた)。今の場所に引っ越して以来、ネコドアなるものをつけて自由に出入りできるようにしてあるので、平日は半日やそこらならお留守番できるようにはなったけど、長時間放ったらかされると怒って噛みついてくる。今回は長いこと旦那と2人っきりで大丈夫かなぁ…(ギィやんが来てしばらくしてから旦那は出張マンになってしまい、ギィやんには彼が家族という認識がイマイチ弱い)。
マメに休んでいるというのに、自販機の横でまた休憩。地べたに足を投げ出して座っていると、錆びついた自転車を押したおじ(い?)さんが現れ、挨拶をした。そのまま海の方へ行ってしまったのが、しばらくすると戻って来はったので、どこか10qほど先でテントを張れる場所をご存知ないか聞いてみた。すると驚いたことに答えは「うちに泊まりなさい」。てっきり自転車で逆打ちの先達かと思ったら、すぐ先の番外札所・東洋大師の方らしい。まだ2時にもなってないので躊躇したが、これも何かの縁、折角言って下さってるんだから、と泊めていただくことに決める。
2:00 東洋大師着。ものすごい高齢に見えるご住職が自ら達筆で納経して下さり、般若心経と般若心経秘鍵というお経の一説からそれらを分かりやすく説いたプリントをいただいた。石段すぐ横の通夜堂に荷物を置かせてもらい、ゴムサンダルを借りて、折角だから風呂代わりに海で泳いでこようと海岸へ行く。防波堤のところにまだ若そうな、お遍路さんくさい男の人が海を見ていた。傍らの猫車には砂か何かが積んである。ピンときて「東洋大師に住み込みなさってる方ですか?」と聞くと果たして大正解。泳ぎたいと言うと、今日は波が高いし、ここではやめた方がいいとのお返事。ただし、もう少し波打ち際のところにあるテトラポットの辺りなら泳げるかもしれないということだった。泳ぐのは諦めて一旦通夜堂に戻り、旧街道の辺りでお風呂屋さんがないかどうか、また翌日の水分補給のための偵察に出掛ける。簡単に着替えをビニールの袋に入れてぶらぶら歩くが、かなり何もない。商店は500mほど行くと何軒か見つけたけど、聞けばお風呂屋さんはないという。お風呂も諦め、せめて足ぐらい洗うつもりで海に行く。カップルが一組いた、その少し脇が例のテトラポット。ジャージを膝上までまくってサンダルごと海に足を浸けると、波がザザーーッと寄せてきて、想像以上の力で足元の砂を持っていく。海といえば瀬戸内の私にはその力は新鮮で、すっかりうれしくなって一人で勝手に波と戯れているうちに、急に波が高くなり、膝上までどっぷり来るようになった。これはマズイ…そろそろ引き上げるかと思った途端太股まで波が来て、右足のサンダルがサーッと浮いて持っていかれてしまった。あ〜っと捕まえようとした時にはもう第2弾が目の前に迫っていて、まともに波を受けた結果、ほんの少し身体が浮いた感があり、そのまま足元をごっそりすくわれ、お尻から一気に引きずり込まれる。もう片一方のサンダルも今ので持って行かれてしまったけど、もうそんな次元じゃない。本能が危険信号を発してる。必死ですぐ後ろのテトラポットによじ登ると、もう次の波がすぐそこまで寄せて来ていた。全身ずぶ濡れのままテトラポットを飛び渡ってやっと一息。こわかった…。後でふと、昔、最大の難所であるここで海に飲み込まれて亡くなったお遍路さんたちの霊が、遊び半分のけしからん一遍路を懲らしめるためにやったのかも…と思って殊勝になってしまった。
そこからが一転して笑い話になるのだけど、まだ動悸がおさまらないまま、とにかく東洋大師に帰ることにする。が、灼熱の砂地獄。裸足ではとても10歩と歩けない。仕方ないので5歩ほど行ってはおケツ支点でV字状態になって足を冷ます、ということを繰り返していると天の助け?! ふと脇に軍手が1セット落ちているではあーりませんか。早速拾って両足に履き、それで残りの砂浜とアスファルトの国道、旧街道の影のないところをクリアさせていただきました。助かりました。ハイ。住民の皆さんはさぞ驚かれたでしょうね…。
東洋大師に帰り着くと、ちょうど納経所の前で皆さんお揃いでおやつの時間。サンダル流出事件の経緯を話し、お詫びする。ここの堂守さんは、後日出会った学生遍路くんが「織田無道似」と言ったほど外見は剛の人だが、すごく気さくな人。あっさり流して私の無事の方を気に掛けて下さった。なんでもこの辺りの海岸は波のローリングがきつく、まともにさらわれたら身体が海面に上がってこないらしい。改めて身震いして、冷えたおいしいスイカをご馳走になり、その後、お庭の枯葉拾いをお手伝い。ここのお庭はそう広くはないけど、道中でお会いして通夜堂を勧めて下さったKさんが、海から石や砂を集めて作られた、石に金で梵字を刻んだものを積み重ねた一角がある。Kさんは錦のお札を持つ遍路の大先達で、ここ東洋大師には半年前から寄宿して色々とお手伝いしておられるとのことだった。もう一人、海で出会ったUさんも3ヶ月前から通夜堂に泊まり込んで、すぐ裏の役行者ゆかりの奥の院というのかお堂の辺りの整備をお手伝いされている。一通り終わると陽が陰って寒くなり、びしょ濡れの服を着替える。ジャージを脱ぐと砂がドバッと出てきて、慌てて畳の掃除をした。洗濯機をお借りして洗濯。その後、Uさんと一緒にお勤めに臨席。
Uさんは「今夜はKさんの部屋で寝る」と気を利かせて下さり恐縮。近くのお蕎麦屋さんも5時で閉店とのことだし、今夜もまたカロリーメイトがお夕飯。通夜堂には小学館ブックスエソテリカシリーズ(宗教系の初心者向けの本)や空海の漫画などもあり、Uさんもいろいろ教えてくれた。それどころかご自身がお持ちの金のお札、銀のお札を1枚ずつ私に下さった。どこかの先達のお札がこうやっていろいろなお遍路さんのもとに回っていくんやな…と感慨深い思いで有難くいただいた。
7:00過ぎにUさんが呼びに来られ、何事かと思ったら、なんと特別にお夕食によばれてしまった。チンジャオロースーにコロッケ、ソーメン、トマトのサラダ、他にも2品ぐらいはあった気がする…。冷えたビールとお酒も出てきて、どれもおいしくいただいたけれど、悔やまれるのはさっきカロリーメイトを食べてしまったこと。沢山は食べられず、みなさんにはかえって気を遣わせてしまった。
お酒が入るとKさんの口がますます滑らかになってきて、いっぱい色んなことを話して下さった。人の字について。何より一番有難いのは「健康」。明日のことは明日、今日を一生懸命生きるだけ。などなど…。こう書くと当たり前のことを言ってるようにしか聞えないけど、Kさんの実体験を経て出た言葉のせいかググッと重く、涙が眼の端にたまりそうになった。一番印象的だった話は、各界の言葉について。「仏の国は言葉は要らない。それは言葉なんか無くても全部通じるから。人間の国は言葉でしか通じない。だから言葉が要る。地獄では言葉は要らない。それは言葉があったところで全部通じないから。」 私の今いる臨床心理の世界はどうだろう。言葉は確かに大きなアイテムだけれど、決してそれだけではない。言葉では表現できない―――例えば言葉のわずかな隙間、微妙な空気、あるいは非言語的な表現手段… そういうものの方が実は言葉より的確にその人を理解できる場合が多いのではないか。でもそういう理解はある種"自己満足"の理解であって、人間は所詮、決して完璧に理解されないしできないもの。ならばやっぱり人間は言葉でしか通じ合えないのかな…? などと考えたような考えないうちに深い眠りに落ちていました。
本日の歩行距離: 11km
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