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■阿波・発心道場篇 |
1999年3月14日から1週間、私は四国八十八ヵ所お遍路さんの旅に出ました。社会人を経て、2度目の大学で臨床心理学を専攻しており、卒論の調査という名目のもと準備もそこそこにとにかく行ってみようという慌ただしいものでしたが、今となっては"行くべくして行った"、不思議な糸に導かれた旅だったというような気持ちがしています。出発3週間前に15年ずーっと一緒だった(といっても間何年間かは山口と関西とで離れていたけど)愛犬・コニゅの大往生があり、その遺骨とともに垣間見た異次元の世界と数々のエピソード満載(?)の日記です。1週間では阿波一国で精一杯でしたが、のらくら遍路日記第1弾、小さくても『何か』を伝えられれば幸いです。
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■土佐・修行道場篇(序) |
卒論をきっかけにした遍路の旅も3月に阿波・発心道場をひとまず終了し、その後はお遍路さんや友人達の協力に支えられて実施したアンケートの集計や、文献を読む日々を送っていた私ですが、6月に入ってテーマを「お遍路さんが心理療法として通用するか否か」(題目は未定)に絞り、のんびりながら調査の準備を始めました。くしまひろしさんのHPの談話室に書き込みをして被験者を募集したり、調査方法を考えたり、ゼミで発表したり。個人的な事情もありましたが、時期的に夏休みに入る頃に、調査用紙を配りがてら遍路の続きをしようと決め、直前まで調査の質問項目や依頼文や封筒の作成などに追われ、結局またもドタバタの出発と相成りました…。 |
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■土佐・修行道場篇(本篇T) |
お遍路の続きをしようしようと思いながら、とうとう1年が経ってしまいました。その間にはこれまでの私の人生のなかでベスト5に入るくらいの生活の変化とそれに伴う色々なしがらみや準備がありました。今回もまた1週間の区切り打ちで真夏の土佐路を歩いてきましたが、こうして今振り返ってみると、この1年のブランクは、まさにこの1週間のための、ひょっとするとこれからの私のお遍路のために必要な準備期間だった気すらしています。なので本篇に入る前に、私のこの1年間について簡単に触れておきます。
《 この1年で変わったこと》
'99.11 ネコのギィやんが家族の一員に(彼の子育てが大変かつ留守ができなくなる)
'00.01 引越し
'00.03 大学院入試、学部卒業
'00.04 大学院修士課程入学
以後、平日は学業関連とネコの機嫌取りに暮れていく毎日。ネコと遊ぶのはもはや義務の一種であり、また私の貴重なストレス解消法でもある上、大学院も新設のためカリキュラムが完全に出来上がっておらず、他大学院に比べればのんびり丁寧でスケジュール的には余裕があるはずが、夏休みまで疲れが蓄積する一方で、7月には偏頭痛と内臓に空気がたまったような不快感に頻繁に悩まされていました。以前より便利になったはずの通学も、往復するだけで今までとは比較にならない疲労感に、「真夏の土佐路は無理かもしれない」と行く前から弱音を吐きそうな情けなさ。その一方で、出発予定が近づくにつれ、久しぶりに日常からフリーになれることにウキウキした気分で用意を整えました。
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■土佐・修行道場篇(本篇U) |
第4次にあたる今回の区切り打ちは、2001年3月16日から24日までの9日間で、30番善楽寺から38番金剛福寺、そして足摺港までの旅になりました。2月から春休みに入ってはいたものの、学外実習やカンファレンスなどで実質休みではなく、3月に入ってからは2種類の風邪をひき、口内炎がひかず、身体面でも本調子ではありませんでした。が、なかなかまとまった日数家を空け難い状況の中での絶好機。今回は気持ちだけが行く気満々で、身体はそれに引きずられたかのような四国入りでした。
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■土佐Vおよび伊予/菩提道場前篇 |
第5次にあたる今回の区切り打ちは、2001年4月29日から5月7日までの9日間で、足摺港から松山は51番石手寺までの旅になりました。第4次で新たなお遍路のスタートラインに立った私が、この後どう導かれて何を体験していくのか。そんな期待をこころの片隅で抱きながら、でもあくまでも自然体で、そして第4次でお世話になりっ放しだった方々のお力添えをまたもいただいたお陰で、さらに素晴らしい、忘れえぬ旅となりました。
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■番外篇:石鎚山の布石 |
前回第5次の区切り打ちで、松山からサポート同行して下さったお不動さんと今夏、石鎚さんに一緒に登ろうという約束をしました。お盆休みは第6次のお遍路旅に充てたいと考えていたので、7月の海の日からの3連休で行くことになりました。お不動さんが「ぜひ旦那さんも、ギィやんも」と言って下さったので、私自身も相方(ダンナ)には一度直接お不動さんに会って欲しいと兼ねてから思っていたこともあり、かなり人見知りな方の彼を半ば強引に連れて行きました。1人で留守番させるわけにもいかないので、ギィやんは当然強制連行…。
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■伊予(後)・讃岐/完結編 |
第6次の区切り打ちは、2001年8月3日から8月15日までの13日間という、これまでで最長の日程で、51番石手寺から88番大窪寺(結願)、さらに1番霊山寺へのお礼参りという仕上げの旅になりました。今夏の西日本の暑さは猛烈なもので、特に旅の前半は昨年の土佐路以上に参りましたが、たくさんの人々のお力、お陰を予想以上にいただき、予定よりも早く結願、お礼参りを終えることができました。様々な意味で「まとめ」となったこの旅…。やはり私にとって、今この時機のこの遍路の旅は、今後の人生において必然だったんだと改めて痛感しています。
※なお今回は礼拝のお作法も、歩きの距離や時間も、そんなことはどーでもいい心境になったため、記録的要素はほとんど入っていません。悪しからず…。
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■その後/あとがき |