掬水へんろ館談話室
掬水へんろ館メールボックスから

四国八十八ケ所歩き遍路の4巡目を結願された歩修さんからのメールです。別格霊場への歩きでのアプローチについては皆さん苦心しておられるようですが、この歩修さんの記録も参考になるのではないでしょうか。

2003.10.31 歩修さんからのメール

串間様,おへんろ様
10月13日自宅(枚方市) 出発〜24日帰宅(12日間)巡拝してきましたので,今後思い出になる内容を多少記事にします。

<巡拝コース>実質11日間で約500km余の歩き遍路。

  • 第52番大山寺→第88番大窪寺<歩き4巡目の結願>
  • 第88番大窪寺→第76番金倉寺<歩き5巡目初逆打ちスタート>
  • 別格5ケ所(仙龍寺・箸蔵寺・神野寺・海岸寺・大瀧寺)巡拝<20ケ寺結願>

(1) 別格13番仙龍寺への遍路道

65番三角寺境内より遍路道(中務茂兵衛の好んだ道)を行くコース<4.7km>は納経所の方にお聞きすると初心者にはコース途中より荒れており難しくお進め出来ないとのこと。やむなく安全策で三角寺より0.9km先の14番常福寺に行く途中にあるゴルフ場前を右折して車道<8.3km>を行きました。なお右折して直ぐの所で道路工事中の看板があり迂回するよう地図で説明されていました。しかし工事関係者に確認すれば,歩行者は通してくれました。仙龍寺まで約2Hでしたが車・歩行者も通らず寂しい山越えとなりました。民宿岡田で同宿された遍路さんは道路工事中の看板があったので堀切トンネル越えで行き約3Hかかって仙龍寺に着いたとお話しされていました。納経所は本堂に上がり建物の裏側に周り落ち着いた雰囲気のある珍しい場所にありました。

(2) 別格15番箸蔵寺への遍路道

民宿岡田をAM5.30に出発して県道267号線を快調なペースで進みましたが 箸蔵寺への登り遍路道入り口には看板・みちしるべ等も無く,戸惑っていましたが地元の方が親切に遍路道入り口まで案内して下さり助かりました。なお想像以上に急な登りの遍路道で喘ぎながら仁王門のある場所にやっとのおもいで着く。最後は急な石階段で疲れもピークの状態で寺に辿り着きました。

(3) 別格18番屏風浦海岸寺

道隆寺納経所の方に簡単な地図を書いて貰い,約1.5Hで到着。弘法大師誕生ゆかりの地で訪れる人も多い感じ。別格20ケ寺巡拝始めて最後の寺になりますと申し上げたら納経所の方から,食べ物接待(ジャガイモ・かぼちゃの煮物)や海岸寺発行の「まんだら教報」数枚とカタログ類を戴く。私は般若心経彫り込んだ3500円の白檀の数珠を記念に購入する。また是非奥の院へ寄るよう勧められ立寄る。まんだら園・大塔・おたらい堂など有し珍しい木も多く植えているお勧めの寺でした。

(4) 別格20番大瀧寺への遍路道

今回の遍路旅では最大の難所と覚悟して,事前に当談話室で検索して情報仕入れて行った。雨のなか夏子ダムを過ぎて最初の遍路道を見落として専ら車道を歩く。

もう約2Hほど歩いただろうか産業廃棄物焼却施設を過ぎ,民家の手前の脇道登り口に遍路札を付けた木を発見する(情報通り)。一段上にある農家の方に遍路道について詳しくお聞きして登りスタート。「兎に角上え上へ登る遍路道を行け。脇道あるが迷うな。時折遍路札があるので注意して確認しろ」と教えられやや安心して土砂降り状態の中,此処まで来たら後にも引けぬ。決めたからには前進あるのみ大瀧寺まで約1Hあれば行くだろうと覚悟して900m余の山越え開始。最初の内は分かれ道に遍路札を見つけ気持ちも落ち着く。順調で予定通りだ。しかし歩き始めて30分経過したころから,分かれ道で遍路札を見かけなくなり,雨しずくで木枝が垂れて道は塞がれ,足元は雨水が溢れ行く手を阻む状態となる。この状態を何度も繰返す。脇道も多く分かれ又一時下りあり,草木も茂り枝木落ちて荒れ放題。これはえらい事になった。「兎に角上え上へ登る遍路道を行け」を信じてガムシャラに登って来た。いまさら後戻り出来ない(いま来た後戻りの道も想いあたらない)。普通の精神状態を越えて不安になり始める。早く此処から脱出せねばと焦る。変な悪いことを想像してしまう。出石寺でも道に迷ったがかってこんな状況になった事は無かった。

開き直って山に登りつめれば何とか成るだろう。まがりなりにも道らしき所を歩いてきたのだから。迷いながら30分位登ったころ急に前方に樹木が無く開けた所に辿り着く。農園のような感じ。くねりながら農園の中を登って行くと「河野ミリクロン大滝種苗場」の看板を発見する。この時ああ助かったと素直に喜ぶ。足元には大瀧寺まで0.9kmの立て札あり。これでさらに落ち着き,今までの迷い精神状態が一変に解消すると共に足が軽くなり大雨降るなか10分余で念願の大瀧寺着く。

しかし,さすがの私にも今来た遍路道を帰る勇気もなく車接待で山麓の夏子ダムまでお世話になりました。(遍路道を間違えたのかどうか今でも判らず納得いかない)

(5) 初めての逆打ち

10月21日民宿八十窪にて宿泊。翌22日早朝大窪寺にお参りして4巡目結願。 (三年半の歩き遍路で4巡目結願<区切り3・通し1>。別格20ケ寺結願)

その足で24日昼には76番金倉寺まで巡拝する。高徳線に乗り1番霊山寺に向かいお礼参り。徳島駅にでて高速バスにて大阪駅。PM8.30枚方市に帰宅。

逆打ちにはあまり興味無かったのですが,今年3月足摺岬近くで歩き8巡目で内2回の逆打ちされる方にお会いして逆打ちの良さを聞く。歩き遍路の多くの方にお会い出来ること。(追いかけるでも無く前から遍路が来る)また順打ちとは違った景色を見てまた楽しめることだと感想を聞く。私も5巡目となると変化を付け今までに無い良さを楽しむのもいいかとスタートさせました。76番まで遍路道を間違えることも無く順調に歩けました。しかしビックリした話ですが10月17日民宿大平に同宿した58歳の遍路さんで初めての88ケ寺巡拝に係わらず逆打ちされる人に会いました。私には考えられぬことです。お聞きしたところ1番霊山寺スタートして本日で8日目との事ですので,20km弱/日のペースですから早い歩きとは言えない。

へんろ協会の別冊は持参されていましたが,道迷えばたえず手当たり次第に聞くとの事。何でも難しい事にチャレンジしょうとあまり深く考えもせずまた躊躇せず決めて出発したとのことでした。夫々がいろんな思い・スタイルを持って遍路旅に出るのだなあと改めて感じました。

(6) 安永9年納経帳・・・四国邊路(へんろ)研究会発行

別格13番仙龍寺を巡拝して堀切トンネルに向かう時,仙龍寺で見かけた自家用車で巡拝される方より「安永9年納経帳」を戴きました。安永9年(1780年)に作州勝北郡新野西・久本村の要助が約60日かけて88ケ寺を巡拝した時の納経帳全ページの朱印を含めた翻刻されたものです。巻末には昭和初期の遍路される4人の写真(白衣でなく着物スタイル)がありめずらしい資料集です。

大変立派なものを戴き丁重にお礼申し上げました。

(7) 秋祭り

10月13日に第52番大山寺(松山市)から18日第75番善通寺(善通寺市)までの間,毎日秋祭りを見ての楽しい遍路旅でした。御神輿・獅子舞・ヤッコ等あり。老若男女が永年引き継がれてきた田舎ならではの派手な祭り衣装で地方独特の囃子・掛け声で気勢をあげ盛り上げる光景を懐かしい想いで拝見しました。

不思議なもので松山市内から東予さらに西讃地区へと祭りのピークが少しづつずれていくようで毎日が賑やかな祭りに彩られた遍路道でした。これも忘れがたい思い出となりました。


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