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大阪府茨木市の久岡恒則さんからのメールです。
なんとなく遍路という言葉に引かれ、たまたま目にした掬水へんろ館を見て、『四国遍路のはじめ方』を読み、『四国遍路ひとり歩き同行二人』を手に入れ、遍路を始めてしまったとのことです。2004年8月から区切り打ちで歩いておられます。同年12月と2005年1月の区切り打ちの模様をお便りくださいました。
2005.01.18 久岡恒則さんからのメール |
関西に住んでいるので四国は近く、週末にお遍路に通っています。 第1回が去年の8月28日、29日、10番まで、第2回が9月18日から9月20日16番まで、第3回が12月3日から12月5日22番まで、今回1月15日、16日に23番に行ってきました。今回は忘れないうちにと書き付けてみました。これまでの旅でいくつか不思議に感じたこともあるので、これまでの分もいつか書いておきたいと思っています。 1月15日(土)朝7時大阪発徳島行きのJRバスに乗るつもりだったが、寝過ごしてしまい、結局8時ごろ最寄のJR茨木駅緑の窓口で大阪駅前9時発のバスの切符を購入した。時間は十分あるので茨木駅構内の喫茶店でモーニングセットの朝食をとり、9時15分前に大阪駅前のバス乗り場に到着した。いつものようにバスの中で旅程を考える。ただし時刻表も何もなしにお遍路ガイド(同行2人)だけを頼りの計画であるのではなはだ杜撰なものである。前回阿波福井駅から引き返したので、阿波福井から歩くことになるが、薬王寺まで約16KM、午後1時から歩き出すとして4時間、午後5時到着でぴったりである。計画は簡単に決まったので、後は読みかけのロバート ラドラムのミステリーを読んで過ごした。 11時30分に徳島駅に到着、阿波福井行きの切符を買い、時刻表を見ると12時29分発である。後1時間もある。懐中電灯を買いたかったのでので、駅前のそごうデパートに行った。店内をぶらぶら歩いたが結局みつからなかった。その代わりというわけでもないが帽子売り場を通り過ぎたときに茨木駅の喫茶店に帽子を忘れてきたことに気づいた。ゴアテックスの防水仕様なのでおしいが仕方がない。店の人がとって置いてくれるのを祈るばかりである。 おにぎりを食べて後は相変わらずラドラムを読んで過ごした。電車やバスの中は本を読むのが習慣になっている。阿波福井駅には午後2時頃到着。計画より約1時間遅れである。電車のドアは手で開ける。前回阿波福井で電車(ヂーゼル車と思うが汽車というべきか。)に乗ったとき、ドアが開くのを待っていて、危うく乗り損ねそうになったことを思い出す。前回時間待ちの間色々お話した駅構内のうどんやさんはお休みであった。しばらくたつと記憶は薄れるが、現地に来ると思い出す。
改めて地図を見ると、今日はひたすら国道55号線を歩くのみである。昔の土佐街道であろうが今は昔の面影はまったくない。このようなコースは始めてである。しかし、歩道が比較的整備されていて、白線だけの歩道は少ない方であると思う。白線だけの歩道を歩いていて、車の風圧を感じるのは、少し怖い気がする。大半の車は大きくよけてくれるが、中には対向車もないのに近くをとおる車がいて不愉快である。車を運転していてこのようなことは考えたこともなかった。車の騒音というのは相当なものである。こんなにうるさいとは思わなかった。トラックは別として乗用車の場合、騒音の大半は、タイヤノイズでありエンジン音はほとんどしない。タイヤメーカーの技術者たちはタイヤ騒音の低減にどれぐらいのプライオリテイをおいているのであろうか。自動車メーカーは騒音低減に相当力を入れているからタイヤメーカーもがんばってはいると思うのだが。トンネルの中の騒音などはすさまじい。 薬王寺には5時半頃、到着した。日が完全に暮れる寸前であったが国道なので前回のような不安はまったくなかった。 1月16日(日)目が覚めると5時であった。6時5分前に受付に行くともうみなさんお勤めに行ったとのことである。本堂の場所を聞いて、急ぎ足に階段を上った。昨日は夕暗がりでよく見えなかったが立派なお寺である。本堂にはすでに10人ぐらいの人が座っており、私の後にきたのは一人だけであった。横山さんも参加されていた。お坊さんが2人で輪唱でお経を上げる。和尚さんの声がよく、音楽的な心地よいお経であった。 四国の川はどこもきれいが牟岐川では大きな緋鯉を何匹も見た。 牟岐の手前で道端に山頭火の立派な句碑を見かけ、眺めているとおばちゃんが出てきて説明してくれる。またもう一人のおばちゃんが1枚のコピーをくれた。何でも、山頭火がお遍路でこのあたりを通りかかったとき、汚い格好をしていたのでとめてくれる宿もなかった所が、句碑の前の宿(今は廃業している)が山頭火を泊めてくれ、非常に親切にしてくれたので、山頭火が感激し、句を作りまた本にも書いとのことであった。おばちゃんは関口宏のテレビ番組でこのことを知り、他の仲間と運動してこの句碑を作ったとのことである。下記はコピーに載っていた山頭火の文章である。 牟岐には12時についた。11時59分徳島行きが出たばかりである。12時49分の徳島行き特急電車の切符を買い、ついでに徳島発14時30分の大阪行きバスの切符も買った。電話でバスの空席を確かめるのが珍しかった。 大阪府茨木市 |
2005.01.22 久岡恒則さんからのメール |
第3回
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