メールボックスから |
平成7年(1995年)に通し打ちをされた羽沼晃さんから頂いたメールです。1番霊山寺でお礼参りのあと高野山まで歩かれたとのこと。最後まで歩き通したい方のために貴重な情報です。
2000.6.20 羽沼 晃さんからのメール |
突然のお便りでたいへん失礼いたします。 実は私も平成7年7月中旬から9月にかけて、定年退職、還暦を機に念願であった歩き遍路の通し打ちをいたしました。私もへんろみち保存協力会の別冊地図を頼りに歩いた一人です。もし、あの本がなかったら完走できなかったかも知れません。無事に帰京しまして、宮崎様にお礼の手紙を差し上げました。 それはさて置き、私は最初から高野山まで歩くつもりでおりましたが、あの別冊地図にも高野山への地図は載っておりません。私同様に、高野山まで歩きたいと思っていらっしゃる方も、すくなからずおられるかと思います。そういった方々に少しでも参考になればと思い、5年前の事ではありますが私の体験をお話させていただきたく、お便りいたしました。 八十八番札所で結願し、一番札所にお礼詣りをすませその日は門前のつしまやさんに泊めていただきました。ご主人の話では、地福寺さん(ぽっくり地蔵 ー 別冊地図に載っています)の前を通りとにかく吉野川の堤防を目指しまっすぐ歩きなさい。そして堤防の上を河口のほうへ向かって行くと、吉野川橋があるからその橋を渡って徳島港へ行くとよいと教えていただきました。 翌朝6:45ごろ出立し徳島港へ着いたのが11:00少し前だったと思います。少々待ち時間があり、高速フェリーに乗り和歌山港へ12:30ごろに到着、おおよそ 1時間の船路でした。とにかく地図を手に入れなければと思い、南海電鉄の和歌山市駅へ行き売店にて地図を求めました。 売店の女性に高野山への行き方を訊いたのですが解からず、外で中年の男性に尋ねましたところ、国道を行くより紀ノ川の堤の上を上流めざして歩くのがいちばんよいと教えていただきました。 教えられたとおり行きますと、河川敷のゴルフ場があったり、電車の鉄橋のしたを潜ったり、国道と一緒になったり、また離れたりと、自動車に対する注意も国道と並走するときだけで、結構快適に歩けました。 やがて岩出橋というところに出ます、道はこの橋を渡って対岸へ行くようになっています。時刻は17:00を過ぎ、だいぶ黄昏てきました。宿の情報はまったくなく、さてどうしたものかと思いつつ岩出橋を渡りました。橋を渡れば岩出の街です。ところが、なんと目の前に7階建ての大きな「ホテルいとう」というシティーホテルがあるではありませんか。いささか気後れしながら、今晩泊めていただけるかどうかフロントに訊きましたところ、たいへん気持ち良く泊めてくださいました。 大きなお風呂があり、久し振りに湯のなかで身体を伸ばしました。食事をすませ、ホテルの喫茶室で高野山への情報を聞きました。明日は国道を(24号)歩くことになりますが、4キロほど行ったところにコンビニがあると云うことなので、朝食はそこで調達することにいたしました。そして東渋田というところから西高野街道を登って行けば高野山に着くと教わりました。 翌朝5:00出立、国道24号を橋本方面に向かっての歩きとなります。右手にある紀ノ川は暫くは見えません。やがてコンビニローソンがあり朝食の弁当を調達できました。東渋田の街に着いたのが10;00少しまえだったでしょうか、遠くから私をみているご婦人がいらっしゃいました。ご本人も車で四国の札所参りをなさるそうで、西瓜やトマトや麦茶をご馳走になり、途中で食べるようにとおにぎりまで頂きました。 いよいよ西高野街道を高野山へ向かっての登りとなります。 すこし前にいろいろとご馳走になっていたので、すぐ食べる気にならず手に持って歩いていました。そのうち我ながら素晴らしい考えがうかんできました。 奥の院へは、16:00少しまえに着いたと記憶しております。 今回の遍路最後の般若心経をお唱えし、その夜は清浄心院に泊めていただきまして翌日新幹線で帰京し私の遍路行は終わりました。 くどくど申しましたが、要約すると以下のようになります。 一番札所から高野山までの歩き方【距離は全くの概算です】
まず道に迷うことはありませんが、和歌山県の地図は持っていたほうが良いでしょ う。 以上 追伸 遍路行を終え半年ほど経ったころ、勤めていた会社の取引先からすこし仕事を手伝えというお話をいただき、現在月に2週間ほどお手伝いをしております。そこの社長に歩き遍路のみが出会えるであろう、感動、感激を熱く語りましたところぜひ自分も行きたい、連れて行ってくれという事になりましたが、相手は現役の社長であり通し打ちという訳にはいかず、では一国参りをしよういうことになり、一昨年は阿波の国、昨年は土佐の寺々をお参りし、今年は伊予路を参拝する予定でおります。 また、遍路トピックスにて、池田の民宿岡田のおかみさんが亡くなられたことを知りご主人にお悔やみのはがきを差し上げることができました。鬼無の幸荘の奥様がお怪我をなされたことも知り、御見舞のメールをお出しすることもできました。2軒のお宿ともたいへんお世話になった、想い出深いところです。 有難うございました。ながながと乱文ご容赦ください。 羽 沼 晃 |
なお、高野山に歩いて登る古い遍路道「町石道」についての、談話室ライブラリ「高野山町石道(2000/04/29 竜馬16さん)」も参考になさって下さい。羽沼さんも、2巡目を終えたら今度は町石道を歩きたいとのことです。(くしまひろし)