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- 中途半端お遍路日記 移転
2006年6月〜8月に区切り打ちをされた京都在住Mさんの遍路日記です。途中から、靴を替えたりマメ防止スプレーを採用したりといった工夫ができるのが区切り打ちのよいところですね。迷いだらけの実際の人生に比べて、遍路には結願にむけての「揺るぎない目標」があって、それが遍路のある種の幸せ感をもたらしているというMさんの感想に僕も同感です。スマホ対応ページはこちら
- 稜線お遍路記録 (稜線の記) 移転
宇治市在住、40代男性・バイソンさんの遍路日記です。2003年2月15日〜16日に1番から11番まで歩き、1日目には地元新聞の春遍路の取材に出会い、梅の花とともに写真のモデルとなります。その後も四季折々の遍路旅を続け、2005年2月には、73番寺奥の院の捨身ヶ嶽を含めて、77番道隆寺まで回っておられます。残雪の遍路道や白梅など、季節感あふれる写真が豊富です。3月には86番志度寺まで打ち終え結願も間近です。「屋島寺は84番。やしまだから」には僕も「へぇ」と感心しました。2005年5月に最期の区切り打ちで結願。台風被害から復旧の進んだ女体山遍路道の様子も見る事ができます。大坂越えで1番霊山寺に戻ってみて「らせん階段を一周したような感じ」だということです。
- お遍路の旅・仏教の旅 移転
46歳の2008年夏から区切り打ちを始め、2009年5月に結願されたつくつく法師さんが、体験記をブログ形式でまとめておられます。歩いた日々の印象的な写真とともに、行程や出会った人々との交流が細かく記録されています。
- 四国遍路と熊野古道の俳句吟行記 移転
2002年4月、65歳の春から1年間の区切り打ちの記録です。日記には、なにもかもが目新しい遍路道の印象が1日1句の俳句として添えられています。心の平穏を求める癒しの旅だったとのことですが、その結果もたらされたものは感謝の心だったようです。2004年夏に歩いた熊野古道の道中記も掲載されています。
- 四国八十八ヶ所歩き遍路の旅 NEW
2009年3月〜5月に、3回に区切って歩き遍路の旅に出かけた記録です。道中で毎日投稿したブログ日記と追加情報、フォトギャラリーにまとめてあります。これから歩き遍路を計画されている人も、ただ歩き遍路とはどんなものか見てみたいという人にも見たいただきたいとのことです。
- 四国霊場ちんたら遍路記 移転
談話室にも登場のまっきー(魔都記ー)さんの区切り遍路日記です。永井典子さんの『遍路きらきらひとり旅』に魅せられて遍路を思い立ったそうです。2001年6月11〜13日と7月2日〜6日の2回に分けて徳島県内の1番から17番までの札所を回られました。「片足に古傷がある」ためか、歩き続けるのに苦労されているようで、途中からバスやタクシーも利用。その後も区切り打ちを続け、2001年11月に結願されました。2002年4月、遍路記も完結。
- 藤田恒夫のホームページ UP
広島県在住で、福山平成大学の客員教授を務める藤田恒夫さん(昭和8年生まれ)が、区切り打ちの体験を掲載しています。1巡目は、1998年4月からの2001年11月まで。単なる記録ではなく出会い、計画、偶然など、各回ごとにテーマを設定して論じているのが特徴です。2005年3月から2巡目を開始。5回の区切り打ちで2007年3月に結願しました。ゆったりとスケッチをしながらの遍路旅で、ホームページにはスケッチ集も掲載されています。熊野古道やサンティアゴ巡礼についても掲載しています。
- 四国遍路八十八カ所 (服部さんちのホームページ) UP
愛知県にお住まいの会社員・服部さんは、1998年4月から1999年11月まで8回にわたる区切り打ちで歩き、2000年5月と2001年5月には、歩き残したコースを再訪して歩き直して仕上げとしています。2002年8月に退職、10月27日から逆打ちで通しで歩き、何度も道に迷いながら、12月10日に2度目の歩き遍路を終えました。さらに古希の2009年、3度目、順打ちで別格20寺を含め歩かれました。
- 飄々と四国お遍路 移転
名古屋在住の筆者が、2003年4月から6回の区切り打ちで、2004年9月に結願されるまでの記録です。休みのとれる時期の共通性からか、区切り打ちで出会った方と次回にも再開するといったハプニングは僕も経験があります。翌年から、交通機関も使いながら別格20ヵ所を巡った記録や2006年から始めた2巡目の記録も掲載されています。
- 四国遍路 (道草) 移転
2003年(平成15年)より車を利用して一巡したあと、区切り打ちで歩き遍路にとりかかりました。2004年(平成16年)に2回に分けて別格4番鯖大師まで、翌2005年10月27日から11月11日まで土佐一国打ち、2006年5月末から6月にかけて愛媛県内、そして同年11月4日に無事結願されました。
- 四国遍路・同行三人 (シングルオヤジの気ままな一人旅) 移転
1945年(昭和20年)生まれの「かっちゃん」さんの遍路記です。1991年から1994年にかけて奥さんと一緒に区切り打ちで19番立江寺まで回ったものの、その後、都合がつかず中断しているうちに奥さんが他界。還暦を迎えて仕事を引退し、2006年6月4日、お遍路の続きに出発します。亡き妻も一緒にという意味で「同行三人」と称しています。内出血による発疹などアクシデントもありますが、7月18日に無事結願されました。
- はまあるきの四国お遍路日誌 (クマノコガイのアルバム) UP
2007年2月から、徳島県内の1番霊山寺から23番薬王寺までのほか、愛媛や香川も少しずつ回っておられる、はまあるきさんです。主に週末を使った小刻みの区切り打ちで、往復の交通が大変そうです。2008年8月17日に結願されました。
- ウォークキング四国88ヶ所と山登り 移転
退職を機に体力だめしを兼ねて歩き遍路をされたyoshikawaさんの記録です。2003年4月から6月にかけて3回に分けた区切り打ちの、毎日の行程の概要とフォトアルバムを掲載しています。
- 四国遍路日記 移転
メールフレンドの歩き遍路に感化されて、「なんだかよくわからないままに」歩き遍路の世界に足を踏み入れてしまったという著者の遍路日記です。最初の区切り打ちが2001年10月7日〜17日で1番から23番まで。遍路宿のおかあさんたちのやさしさに支えられ、また道中出会う遍路たちとの触れ合いを楽しみながら、旅の体験を細かく書き綴っておられます。区切り打ちも回を重ねて、2003年3月の4期目の日記は旅の1年後、2004年5月に掲載されました。チョコパイのエピソードに描かれた気持ちが僕にもよく分かります。2004年6月に3年がかりで結願。お礼参りの1番霊山寺の納経所でこらえる涙に、果たした旅への思いが集約されているようです。
- 四国遍路 (N-kubo's Home Page) 移転
久保紀彦さんは四国を6巡されましたが、その始まりは2000年。3月18日から5日間かけて17番井戸寺まで打った日記をホームページ上に掲載し、このあとの行程の見出しも作成して「後には引けない」決意で区切り打ちを続けました。2001年末から年始にかけては体の不調を抱えながら慌ただしく四国へ。シーズンオフとあって宿に苦労されたようです。 2002年5月の連休には、石鎚登山を含めて 64番前神寺まで。今度は逆に連休中のために宿の確保に苦労されたようで、宿への往復に交通機関を使うなど苦心がみられます。 2002年9月ついに結願、さらに高野山まで歩いてお参りされました。手打蕎麦からうどんへと趣味を広げた久保さんは香川県に入ってうどん三昧の毎日。うどん情報をまとめた「讃岐うどん紀行」のコーナーも充実しています。(2004年に一度消滅したサイトですが2007年5月に移転再開)
- 逆打ち四国霊場108ヶ所巡拝道中記 (野津功さんのホームページ) NEW
2006年11月から4回に分けた区切り打ちで、別格20ケ所を含めた108ケ所を、逆打ちで通算61日をかけて結願した野津功さんが詳細な遍路日記を掲載しています。「武力で平和を創れない、よみがえれ九条!」と訴えるための旅だったとのことです。野津さんは昭和1桁生まれ、1997年には50日かけて通しの徒歩遍路を結願しています。
- kentiの四国遍路日記 移転
淡路島に勤務したのがきっかけで四国遍路に関心を持ったという50歳の会社員kentiさんの遍路日記です。2000年(平成12年)12月、2週間で高知市内まで歩き、転勤後も引き続き3日〜6日の区切り打ちを続けて、2005年5月に5年がかりのお遍路もようやく結願となりました。同年9月には2巡目をスタート。6回の区切り打ちで宇和島まで回られました。
- yoshiyoshi「2006遍路日記」 NEW
2006年2月〜6月に、日帰りないし1〜2泊の区切り打ちで27日目で結願されたyoshiyoshiさんのブログです。現在、2周目を同様の区切りで行っているところです。
- やすしのお遍路日記 UP
1年の半分を海外で暮らす50代後半のやすしさんの区切り打ちの記録です。人間ドックで血糖値が高いと言われたことや、偶然、歩き遍路の紀行文に触れたことから思い立ったとのことです。2004年10月に46番浄瑠璃寺から打ち始め、6回の区切り打ちで2005年8月に結願されました。引き続き、2巡目に入り2006年5月には37番岩本寺まで回っておられます。
- 仏教の勉強室 UP
2004年(平成16年)7月から8回の区切り打ちで2005年2月に結願された、大阪在住のpiicatsさんの遍路記が掲載されています。歩けるところは歩き、車で走行中も遍路との出会いを求めながら、回られました。道中や境内の風景、出会いなどを写真をとりまぜ掲載されています。続く2巡目は京都・東寺から打ち始め約1年で別格を含めて結願。3巡目は2006年5月に16番観音寺まで。歩くたびにお寺も道も出会う人々も変わっていきます。
- 四国お遍路 (Koumei Sugiura) UP
1953年生まれのイラストレーター・杉浦孝明さんが2002年10月から始めた区切り打ちの記録です。職業柄、しゃれたスケッチが一番の見所です。「描く速度はオリンピックレベル!」と自称されるからには、札所でも「さらさらっ」と作品を仕上げるのでしょう。うらやましいことです。季節ごとに、色づく山々、柿の実のスケッチ、桜満開の花遍路と変化に富んでいます。2005年3月の区切り打ち第6回は59番国分寺まで。雪景色の久万高原や菜の花満開の松山の風景が季節を伝えています。2006年春、結願の決意を込めて帰りの切符を買わずに出発。4月5日の最終日は、同宿となった20代から70代の老若男女6人が連れ立って賑やかに結願。
- 増山進の四国遍路日記<雪がとければ春になる> UP
「定年になったら四国を歩いてみたい」という思いをもっておられたサラリーマン増山進さんは、1998年に定年を待たずに急に思い立って徳島県内を歩きました。そこで四国の魅力にとりつかれ、毎年、夏休みを利用した区切り打ちを始めました。初日から様々なカルチャーショックに遭遇、その後も、回を重ねるたびにユニークな遍路との出会いが描かれています。5年かけた区切り打ちは2003年9月に結願。結願寺で、そして結願の宿で、様々な人の思いを受け止めながらの旅を振り返ります。「四国遍路の本」のコーナーでは、拙著『四国遍路のはじめ方』にも温かいコメントを頂いています。退職を機にホームページの構成をリニューアルされました。
- ぽてぽて遍路記 NEW
2000〜2001年、3回の区切り打ちで歩き遍路を結願した、みの字さんのプログです。日記スタイルの遍路記録ではなく、「アイテム」、「お接待」といったカテゴリ別のエッセイ風の記事を通じて、あるときは菅笠のススメを力説し、またお接待の循環構造を論じています。遍路旅のあれこれを回顧しながら、来るべき2度目の遍路に思いを馳せています。
- 空の下 風の中・・・ UP
「談話室」にもご登場の睡雲さん(元かめごろうさん)の区切り打ち日記です。第1回は2001年12月23日〜26日に1番から17番まで、その後毎月1回程度のペースで歩かれ、2002年2月に結願。雪の残る女体山と徳島での満開の菜の花が対照的です。2003年3月から2巡目、地元のちょっとした光景をとらえた写真も楽しく「目をさませ」のネオンには笑ってしまいました。古いうどん屋さんのエピソード、7月は早朝の空の光景も印象的です。2004年8月には3巡目が始まりました。12月に「口車」に乗せられた話が面白いです。2005年夏には79番高照院まで。台風被害の残る横峰寺遍路道の復旧状況もわかります。淡々とした写真日記ですが、コンセントや橋脚など何気ない写真に、お遍路で開放的になった心の余裕が感じられます。11月4日、3巡目の結願を果たされました。2005年12月、4巡目へ。雪の焼山寺越えが冬遍路の厳しさを伝えます。
- 四国へんろ UP
自転車遍路の経験のある著者が、次は歩きで区切り打ちをされました。偶然の道連れ遍路と前後しながらの歩き遍路で、タウン誌の取材を受けたり、幸月さんの撮影現場に行き合ったりします。2003年4月15日から24日まで徳島県内を歩いたのに続き、2004年春、2005年春・秋に歩いて、11月に結願されました。
- 遍照の響き 尺八を携え歩いた遍路 UP
談話室にも登場されたことのある砺(と)さんの遍路記です。尺八を演奏しながら番外霊場もゆっくり回って3巡されたとのことで、その折々の思い出がちりばめられています。2003年春から1年半に渡って連載されておりましたが、ついに完結しました。「単なる連れ」との珍道中が軽妙な文体で語られ飽きさせませんが、実は「『結願したんですか?』、『はい』」(終章:香川19 旅立ち)という何気ない会話にも遍路体験の機微を見て取る繊細な感覚に満ちたエッセイです。柏坂・茶堂の「手拭い」は今も残っているのでしょうか。そんな気になるエピソードが満載です。「遍路道具紹介」コーナーでは、菅笠の紐の結び方などユニークなアイデアが写真入りで解説されています。歩き4巡目の記録「四国遍路記(第二章)」の連載が始まりました。
- 空と海 NEW
2003年10月から区切り打ちで歩かれた香里未友さんが遍路を振り返ってブログに掲載しています。2005年6月11日現在、区切り打ち2回目の2004年4月の日記が掲載中です。
- 四国遍路の部屋 (MY HOMEPAGE) NEW
定年退職を機に、2003年10月1日から区切り打ちを始めた寝屋川市在住の唐木幹夫さんの遍路記です。杖を置き忘れたり、土曜日に郵便局のATMが使えずにあわてたりといったアクシデントもありますが、2005年5月に無事結願されました。札所や遍路道の写真とともに、日々の印象的な出会いなどが記されています。
- 下を向いて・歩こうよ UP
自称「土曜遍路(サタデイ・ピルグリマ)」の珈琲しょさんのページです。「遍路旅のことなどは,ひとに言いふらすことでもないけれど」とありますが、岡山から日帰りで続けている折々の遍路での心の体験が少しずつこぼれ出て、印象的なエッセイです。2000年12月23日結願。2001年3月から始まった2巡目を病気のためやむなく中断。ようやく病も落ち着いて2005年3月に久々に讃岐路を歩かれました。
- 女たちの(歩き)遍路日記 移転
高松市の辻文栄さんたち部分参加の人も含めて5人の60代の女性グループの歩き遍路日記です。1999年4月から2000年1月まで、8回にわたる区切り打ちで結願されました。宿の夕食の献立の描写などに主婦の感覚があらわれています。
- みゆきの旅日記 NEW
2002年(平成14年)7月16日から2003年7月27日まで約1年間、ご夫婦で6回に分けて区切り打ちをされたみゆきさんのエッセイです。のべ日数52日の遍路の道で感じたことや、動物たちとの出会いが綴られています。
- のらくら遍路日記 (掬水へんろ館)
北村香織さんの1999年春から2001年夏まで2年半の遍路旅の記録です。区切り打ちが終わるたびに逐次掲載されました。非日常に遊ぶ要素が多い他の遍路日記と一線を画し、セラピストを目指す著者の歩き遍路は縁ある人々との関係性をより強化しつつ歩く「人生を作る旅」のようです。結末に明かされる「ハプニング」も含めて必然の網の一節に違いありません。
- 遍路きらきらひとり旅 - 四国霊場8年がかりの88カ所 (掬水へんろ館)
フリーアナウンサーとして、関西で活動している永井典子さんの遍路日記です。1992年(平成4年)から8年がかりの区切り打ちで体験した、泣き笑いの遍路旅。その8年の間には、阪神・淡路大震災、自身の結婚など人生の節目も織り込まれています。400字詰め原稿用紙にして650枚に及ぶ大作です。
- 四国霊場八十八ヶ所、歩きへんろ (シルバー回顧録)
談話室にも登場されている大橋義人さんのページです。1933年(昭和8年)生まれの大橋さんは、「放浪の旅に対する憧れ、好奇心から」区切り打ちで歩き遍路をされました。その経験に基づいて、宿や札所についての考えや、遍路をする上での留意事項などを掲載しています。
- お遍路に出よう (気分転換所)
宇野正清(ハンドル:雲)さんが平成7年10月から平成9年4月まで4回に分けて区切り打ちで歩いた日記。出会いと感動の遍路の喜びが伝わって来る。四国88ヶ所奥の院巡りや北海道33観音巡りも紹介しています。四国遍路こぼれ話には、遍路中に出会った光景の写真が一口コメントとともに並んでいます。ほっと心安らぐ風景、「ああ、自分も見た!」と楽しくなる写真が一杯です。杖や納経帳の自作コーナーもできました。
- 世界遺産前の遍路道を自由に歩く
談話室にも登場の株勝へんろさんの区切り遍路日記です。2001年5月20日に「最後まで残った空海の道ウォーク」に参加したことがきっかけで四国遍路に目覚め、6月3日から区切り打ちを開始。徳島在住のため週末の日帰り区切り打ちを中心に、2002年元日には雪化粧の横峰寺を越え、3月17日16:58に88番大窪寺に滑り込んで結願されました。2004年2月にホームページを大幅に改装。
- 四国歩き遍路 (ひでとかずの部屋)
北九州に住むアウトドア大好き中年夫婦のホームページ。2000年秋からご夫婦で区切り打ちを始め、2002年11月に5回目の区切り打ちで結願。宿は当日に予約しておられ、休業していて当てが外れたりといったご苦労もあったようですが、4回目からは詳細な計画を立て事前予約で行動されています。2003年1月、遍路日記が完結。2月、遍路のページが独立。2005年4月には通し打ちで2巡目を結願。
- 女3人お遍路日記 (ファルーカのホーム・ページ)
ファルーカさんの妹さんの森春美さんが友人と女3人で数日間ずつ休みをとって始めた区切り打ちの記録。道中ではぐれたり、道に迷ったり生々しい迫力。平成9年10月に結願。遍路記録は、『女へんろ元気旅』として出版されました。同書の売上を利用して山中の遍路道を中心に2002年12月までに建立した5基の平成遍路石の建立報告も掲載されています。
- 倶楽部遍路 歩む道の彼方に
著者は、2000年8月から2001年6月まで11回に分けた区切り打ちで結願されました。ホームページには写真を交えて、日記形式で道中の模様が綴られています。第1回は、残暑厳しい8月下旬、自動販売機の誘惑に負けながらの道中です。通算50日を越える遍路日記は各回ごとに季節も変化に富んでおり、読者も、ともに遍路道を歩いている心持ちで読み進むことができます。出会った犬の写真が豊富。遍路を終えて変わったことのひとつは「ありがとう」が自然に言えるようになったこと。すっかり「お四国病」にはまった著者は、2001年12月から、逆打ちを始めました。順打ちのときとは違うコースを選んで風景を楽しみ、2003年1月、9回目の区切り打ちで2度目の結願を迎えました。
- むぅにいの旅の達人
1996年7月に、横峰寺を最初に歩き遍路を始め、奥様と一緒に週末ごとの区切り打ちで2000年3月に結願された「むぅにい」さんの遍路記です。途中病気による中断をはさんで、ほぼ4年間、延べ70日の遍路旅です。その後むぅにいさんは、病気が再発し2001年4月に亡くなられました。ホームページは娘さんが公開しています。
- たにぐうさんの「今どこ日記」四国編 (MidNight LongRange Drive)
「住所不定無職」で、日本中を徒歩で旅する20代の青年「たにぐうさん」の日記のページです。たにぐうさんがシャープの携帯端末コミュニケーションパルで作成して全国から送ってくる原稿を、Webmasterの「がりや」さんが編集して掲載。四国遍路の部分は、2000年2月6日〜3月18日と5月15日〜30日。野宿中心の旅で、気に入ったところには「まったり」と逗留したり、「煩悩を捨てては拾う遍路かな」(木舩良枝、へんろ第194号)を自認する先を急ぐことのないのんびり旅です。「過積載徒ほほ遍路」と自称する通り、炊事道具など35kgを背負った「荷物が歩く」旅人とのことです。
- 気分上々 お四国さん (気分上々・・)
談話室でもおなじみの竜馬16さん(奈良県在住)は1996年から交通機関で一巡、また1997年から2000にかけて歩きで結願されました。「気分上々 お四国さん」のコーナーには、15回に及ぶ区切り打ちの記録が、新しい方から「逆打ち」で順次掲載されています。また、高野山の遍路道「町石通」を歩いた記録も豊富です。ホームページには、トレッキングやマラソン大会の参加記録も満載。
- 四国が好き (うしがえるのホームページ)
倉敷在住のうしがえるさんが、週末を利用して小刻みに区切り打ちされた記録です。道路の種類(舗装か山道かなど)、所要時間、費用などが要領よくまとめられています。かなり健脚の方と思います。
- 遍路ひとり歩き日記 (掬水へんろ館)
サラリーマンである筆者が、1週間程度の休みを取りながら3年がかりで達成した区切り打ちの記録です。
