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掬水へんろ館雨遍路コウシン

《夕暮》

 雨は降ったりやんだりしている。今日の札所はもう終わった。あとは明るいうちに歩けるところまで歩き、野宿をするだけだ。はたしてどこまで行けるだろうか。
 県道28号線を行く。途中、食料品店があったので立ち寄り今夜と明朝の食料を買った。
 「雨があがってよかったですね。」
 店の人が声をかけてくれた。うれしい。道中はほとんど人と話すことがないので、このようななにげない声かけに元気が出る。
 寺を出て30分程して、今度は22号線に出た。左へは大龍寺、右へは鶴林寺の標識があった。そのT字路の左角にはラーメン屋があった。うまそうなラーメンを思い浮かべるだけにして、先を行く。
 腰につけているカセットをかける。「川は流れる」の歌が聞こえてきた。しみじみとその歌を聞きながら歩く。

 川は流れる ずっとずっと昔から
     ただひたすらに だまりこんだままで
 どこから来て どこへ行くのか
     それは誰も 知らない

 この小さな星の上に 生まれ合わせて 生きている
     道に迷った子羊のように 悲しみをくり返して
 ほんの短い人生だから
     喜びにあふれて 輝いてあれ *1

 やがて道は勝浦川に突き当たった。そこを左に曲がる。薄日が差してきた。山間を流れるその川面はキラキラとオレンジ色に輝いている。薄靄を通して遠くに見える古い潜水橋の上を車がゆっくり走っていく。時折カラスの鳴き声が聞こえる。静かな、そしてゆったりした夕暮れの景色に、私の体から疲れがスーッと消えていく。歌を聞きながら、その夕暮れの中を私は行く。あふれてくる哀しみに心は癒され、吹く風に疲れた体が癒されている。

 道はたで犬が激しく吠えていた。先ほどは2頭の放し飼いの犬に威嚇され恐怖を感じたが、今度は大丈夫。その犬は鎖につながれていた。
 道の反対側から人が出てきた。飼い主なのだろうかと思いながら犬の前を通る。
 「あのー。」
 後ろで声がする。振り返ると中年の女性が立っていた。犬の飼い主と思った人だった。
 「今日はどちらまで行かれるのですか。この先の金子屋さんにお泊りですか。」
 「いいえ。もう少し歩いて、野宿します。」
 「野宿ですか・・・。それならこの先に小学校があって、その体育館の下が広くあいていますから、そこがよいですよ。雨でも大丈夫ですから。」
 彼女の体育館の下という言葉にどのような構造なのか不思議に思った。
 「ありがとうございます。でも、もう少し日があるようなので進みます。おそらく鶴林寺への山中になるでしょう。」
 こう言いながらも、密かに接待宿を期待する。何と卑しい自分であることか。一瞬強烈な自己嫌悪が走り、心臓がビクッと痛んだ。
 彼女は手に何かを持っていた。それに目をやると。
 「これはお接待です。よかったら使ってください。私が縫ったものですが歩きの方に差し上げているんです。」
 受取るとそれは布製のテイッシュ入れだった。
 お礼を述べて、また歩きはじめる。時刻は6時半を回っていた。あと30分、7時には暗くなるだろう。

 生名に入る。先ほど言われた民宿の金子屋があった。その横を流れる小さな川に沿って、民家の建てこむ道を進む。すると鶴林寺へ左・車道、直進は歩きの標識が道端に小さく立っていた。
 水田脇の小さな道を行き、民家の横を抜けると急な登りとなった。木が低くおおいかぶさる細い道が続く。一足ごとに夕闇が落ちてくる。心細い。わびしい。道にかぶさった樹木が途切れる。気がつくと左側の斜面はミカン畑だった。
 高度が上がり、下の方に民家の明かりが見えてきた。勝浦川もぼんやりと見える。進む先を見ると森がポッカリと黒い口を開けていた。
 「今日はここまでにしよう。」
 雨にぬれた草の上にリュックを放り投げた。

*1『川は流れる』作詞 加藤登紀子 歌詞使用許諾 トキコ・プランニング殿 2000.8.9

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