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掬水へんろ館雨遍路コウシン

《雨遍路》

 あの光はなんだろう。雨降る闇に、小さな輝きがある。
 それは、スーッと右へ動いた。雨音が聞こえなくなった私の耳に、私の声が、聞こえた。
 「蛍だ。」
 山の中とはいえ車の往来のかなりある国道、それも雨の降る中を蛍が飛ぶとは思いもよらなかった。群れからはぐれたのか、たった一匹。
 その光が蛍と知った瞬間、ある感覚が急に湧いてきた。だが、私はすぐにそれを、強く激しく打ち消した。
 「そのようなことはない。そんなことがあるはずがない。」

 雪遍路から雨遍路へ。季節は移り、私は歩き遍路2度目をまた徳島駅前バスターミナルからはじめた。東海関東地方の梅雨入り宣言が報じられた翌早朝のことである。 長距離バス・エデイ号は到着予定時刻よりも30分早く着いた。早速17番井戸寺へのバスを調べる。
 1時間待たされることを知る。これでは時間がもったいない。駅に行き、電車の時刻をたずねた。40分程早く着くので、阿波池田行きの電車に乗り、府中(こう)駅に向うことにした。
 この前は、井戸寺近くになって民家の路地で迷ってしまい、意外と時間がかかってしまったが、今回はわけなく着くことができた。
 本堂前の階段で寺の方が掃除をされていた。
 「おはようございます。」
 と挨拶をして本堂に入る。
 2月、ここで電車とバスの時刻を間違えて、大変なことになるところだった。その間違いを教えてくれた本堂の中にある店のご老人にお礼を言うつもりでいたが、あいにくいらっしゃらなかった。店番はそうじをしていた女性であった。納経の前に線香と金剛杖を求めた。
 「杖をなくしてしまいまして、まったく罰当たりなことです。」
 「いいのですよ。お大師様がなにかの身代わりをされたのですから。」
 照れ隠しの言い訳をしたら、その店番の方が言う。それを聞いていくらか気が楽になった。
 般若心経を唱える。
 私の遍路の願いはただ1つ。しかし、私も生かされてある身。どうしても供養をさせていただく人、息災を祈る人が増えている。遍路のはじめに、今回は4人の方々を心に、それぞれ4回納経をさせていただいた。そして、最後に私の本来の願いのために読経した。これを太子堂でもくり返す。後は23番薬王寺まで、ただただ私の本願のためにのみ般若心経を唱えさせてもらう。

 笠にビニールのカバーをかけ、雨に濡れたリュックを背負い出発する。午前9時。
 国道を歩く。間もなく鮎食川にかかる大きな橋を渡った。渡りきった所で私は道を選び間違えたが、そのことに気がついたのは30分程後のことであった。
 橋を渡ったところで、私は右に折れて土手を走っている道を進んだのである。歩道がない。やたらと車が通る。危なくて怖かった。おかしいな、しかしこれが遍路道なのだろう。そう自分に言い聞かせて進んだ。
 土手を通るJR徳島本線の踏み切りを横断した。やがて前方に別の国道が見えてきた。土手道を左に下る。下ったところに権現堂があった。そのお堂の来歴由縁を書いたものがあったので読む。お大師さまのことについてふれていた。これを見て道にまちがいないと確信してしまった。
 国道に突き当たり左折する。徳島の市街である。雨は相変わらず降り続いている。道路が広い。コンビニがある。ガソリンスタンドが何件もある。地図を確かめる。もうすぐ徳島大付属病院が見えてくるはずだ。
 ところが、なかなか見えてこない。そのうち徳島西警察署が目に入った。地図を確かめる。そして、ようやく道を間違えたことが分かった。いや、間違えたというより遠回りをしてしまったのだ。鮎食川の橋を渡ってそのまま直進し、しばらくして右折すればよかったのである。3キロ程余計に歩いてしまった。
 気を取りなおしてまた歩きはじめる。やがて大学病院が見えてきた。その隣にやはり大きな中央病院があった。地図のとおり、その角には交番があり、そこを今度は右折して、裏通りに入った。
 小学校があった。一年生だろうか元気に手を挙げている。若い先生が一生懸命声をあげている。ほほえましい光景に心がなごむ。我が末娘も一年生である。同じように今ごろ学校で元気にやっているかな、と思いながら歩を進めた。
 大きな神社が右手に現れた。長い長い石段が山の上へと一直線に延びている。徳島市の真中にあるこの山は何だろうと不思議に思ったが、やがてそれが眉山(びざん)であり、JR徳島駅からよく見えていた山だと分かった。
 大きな店や大きなビルが並ぶ広い通りに出た。街中に来て、雨足は一層強くなってきた。眉山頂上へのケーブルカーの駅があった。見上げる。山全体がこんもりと樹木におおわれている。雨に洗われて緑が鮮やかだ。山がとてもきれいだ。
 JR二軒屋駅前のバス停のベンチで休む。11時。10分ほどして腰をあげた。もうな馴れたつもりでも、やはり繁華街では人の目が気になる。雨は相変わらず降っている。金剛杖を突く右手が濡れ、しずくが落ちる。
 昼食を買うためにコンビニに入った。受取ったレシートを見る「LAWSON徳島西須賀町店」と書いてあった。
 このようなレシートは旅の記録として役に立つ。立ち寄った時刻まで記録されている。「12:15」とそこには印字されていた。井戸寺を出発して3時間と15分たったことをそのレシートは教えてくれていた。
 さてどこで食事にしようか。適当な場所をさがしながら歩く。ガラス工房の店があった。その脇には神社なのだろうか、それらしき広場があったので、雨も小止みになったのを幸いにそこで昼食とした。

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