くしまひろし |
高野山の朝は寒かった。お勤めは6時からだ。列席者は、僕ともう一人の遍路らしき若者。途中からもう一人女性も入って来た。この人も宿泊客だが、遍路ではないようだ。
本堂の祭壇では、副住職らしいお坊さんと、昨日の寺生2人との3人でお経が続き、もう終わりかと思うころ、ようやく住職登場。ますます足がしびれる。だが、このお勤めで、僕は初めて声明(しょうみょう)というものを体験した。平板にお経を詠むのではなく、独特のメロディーで合唱するのである。この声明については、TVでちょっと見たことはあったが、ナマでじっくり聞くのは初めてだ。特に、ゆっくり声を延ばしてうたい上げる光明真言の声明には、背筋がゾクゾクした。
三宝院 最後に、僕たちも順番に焼香する。四国巡拝では境内で立ったまま線香を灯したが、ここでは座敷で抹香なので、何となく普通のお葬式に出ているような感じがして奇妙だった。そのあと、別室にある大師像にも焼香する。三宝院の大師像は、座像であるが、「おい、クマさん」という感じに顔が右を向いている。鎌倉時代の作で「北面大師」(通称「横向き大師」)という。ちなみに、この三宝院の建物自体は1695年の建造物、つまり築300年である。
宿坊に戻るとき、もう一度本堂に入ると、寺生に住職が声明を個別指導中だった。 「そのな『アア〜』というとこは『アア〜』ではなく、もっとこう『アア〜』とういうふうにな…」。
昨夜と同じように、部屋で朝食をとったあと、寺務所で会計を済ませ、限られた時間での高野山のお参りの順序を相談した。まず奥の院にお参りし、次に金剛峯寺、あとは残った時間でその近くの建物を回ったらどうかという。「ただ、きょうは結縁潅頂というて、特別の催しをやってるから、ゆっくり見学できないでしょう」とのことだ。お祭りみたいなもんだろうか。よく意味が分からなかったが、元来、仏教建築や古美術に興味があるわけではないので、気にしない。ちょうど、もう一人の遍路の若者も出発しようとしていた。一緒に出るなら少し話でもしてみたかったが、彼はまだ寺務所で写経用紙を分けてもらう用件があるようだった。僕は、荷物をそこに置かせてもらい、奥の院に向かって出発。雨がポツリポツリと降っているが、傘をさすほどではない。
奥の院へ 一の橋から奥の院への約2キロの道は墓地の中である。立ち並ぶ立派なお墓には、織田信長、明智光秀、浅野内匠頭など歴史上の人物のほか、江崎グリコ株式会社墓所とか、森下仁丹とか、大阪市浪速区戦争犠牲者墓所とか、大阪洋服北陸県人会墓所とか、会社や団体の名前が多い。8時20分だが、寒く、ほとんど人影はない。清浄な空気の中、無人の石畳を行く。
奥の院に近づくと、前方にいくつか団体さんがいて、ガイドのおじさんやおばさんが、お墓の由来などを、面白おかしくマイクで解説している。御廟橋を渡るとその先は撮影禁止で、立派な燈篭堂がそびえ立つ。堂内には無数の奉納された灯籠が祀ってある。空海の眠る御廟はこの建物の裏にある。団体さんの後ろに付いていくと、ガイドの先導に合わせてみんな般若心経を唱えている。普通の観光団のほか、四国のバス遍路を終えてここに直行してきたという風の団体も多い。
奥の院の納経を済ませ、三宝院の前を通って金剛峯寺へ向かう。最後のチェックポイントである。大通り(国道371号)はみやげ物屋や精進料理のレストランが立ち並び、いかにも門前町という雰囲気だ。せまい通りを大型バスが軒先すれすれに走っていく。
金剛峯寺といえば、高野山の本堂にあたるのだろうが、行ってみると確かに建物は大きいが殺風景な境内である。訪れる人も、奥の院ほどではない。靴を脱いで納経所へ行くと、中の部屋や美術品が見学できるようなので拝観料を払って回ってみることにした。それぞれ部屋のいわく因縁とか、ふすま絵の来歴がパネルで解説してあるのだが、高校時代、日本史20点しか取れなかった僕が見ても、あまりありがたみは分からなかった。
あとは、残った時間で、伽藍と呼ばれる一帯にある金堂や大塔などの建物を見学しようと行ってみると、そこで例の結縁潅頂(けちえんかんじょう)という催しが行われていた。係の人にこれは一体何なのかと尋ねると「仏様と縁を結んで頂く儀式」で、所要時間は1時間ぐらいだという。折角の機会だし、何事も経験と受けてみることにした。毎年5月と10月に3日間ずつ開かれる、ちょうどこの日に来たというのも、お大師様のお引き合わせなのだから…。
一旦、大塔で3千円を払って受け付けをすませ、次の開始時間を待つ。塔内では、床にひれ伏すようにして般若心経を一心に唱える若者がいた。
20分ぐらい待たされたあと、50人ぐらいがまとまって案内されて金堂に入る。入口で大日如来の姿が印刷された帯状の紙を渡された。「両手が自由になるように、余計な荷物は持たないで下さい。眼鏡ははずしてポケットなどにしまって下さい」と注意があり、一体何をされるんだろうとちょっと緊張。
堂内はうす暗い。中に入ると、天幕のようなものでいくつかのゾーンに仕切ってあり、儀式の各フェーズ毎に各集団が進んでいくようになっている。最初のフェーズでは、一同床にすわって、南無大師遍照金剛を唱えながら阿闍梨様(偉いお坊さん)を迎える。
「仏様と縁を結んで頂く儀式です」と再度説明があり、これを受けると過去の煩悩や罪障が消えるのだという。キリスト教の洗礼みたいなものか。信心のない僕がこんなものに参加して、罰があたらないだろうか。
阿闍梨様の後について、十善戒という誓いの言葉をみんなで繰り返す。足のしびれが気になる。だが、こんな敬虔な雰囲気ではさすがに足をくずす勇気がない。耐える。大日如来の印という手の組み方を教わり、大日如来の真言(おんあびらうんけんばざらだとばん)を唱える。最後に、再び南無大師遍照金剛を唱えながら阿闍梨様をお送りする。
立ち上がって一人ずつ、焼香をし、次のコーナーへ移る。床に手をつきながらゆっくり立ち上がっで何とか醜態をさらさずに済んだ。次もまた正座なんだろうから、この貴重な機会になるべく小刻みに歩いて、少しでも足の血行が回復するように努めた。
ここで、次にすることの説明があった。立ち上がり、両手を合わせて、先ほど教わった大日如来の印を組み、突き出した2本の中指で、渡された木の葉をはさむ。2枚の葉の間には小さなつぼみがある。そして、入り口で渡された細長い紙で目隠しをしてもらう。印を組んだままの指の先端で前の人の背中をそっと触って確認しながらそろそろと進む。「たとえ、前の人が確認できなくなっても、勝手に動かないように。回りにローソクなどがあって危険だから」とくどいほど注意があった。
この辺りで、やっと『空海の風景』(司馬遼太郎)で読んだ潅頂の話を思い出した。空海が長安の青竜寺において、曼陀羅に2度投華(とうげ)して、2度とも見事に中央の大日如来に落ちたという話である。そうか。あの儀式なのか。
やがて、そろそろと列が動きだす。何も見えないまま、右に曲がったり、左に曲がったりして、前の人の背中が離れたと思ったら、係の坊さんらしい人の手がここに立ち止まれというように肩に置かれた。耳元で呪文のようなものを早口で唱えたあと、「はい、指を開いて花を落として下さい」という。指示通りすると、目隠しが取られた。眼下に曼陀羅があり、中央の大日如来に乗っている花を指して、「はい。あれがあなたの投げた花です。めでたく大日如来様の上に届きました。これで、あなたは仏様と縁を結ばれたのです」という。そうかなあ。僕の花のつぼみはもっと小さいやつだったし、手前の方にそんなのがたくさん落ちているけど。うーん。目隠ししていたから分からないけどね。とにかく失敗がないようになかなかうまくできたシステムである。
そのあと、順路に従って行くと、集団検診の問診所のような所に来た。簡単に仕切られた机がいくつも並び、一人ずつ偉そうなお坊さんが待っている。お坊さんの前の椅子にすわると、横の助手のような坊さんが僕の頭に木製の6角形の帽子のようなものを当て、偉そうなお坊さんの方が水かなにかを僕の頭頂部に注ぐ。そして、助手が手鏡を僕にもたせ、「ご自分のお顔をご覧になって下さい。これが、いまお釈迦様と縁を結ばれた直後の清らかなあなたの姿です」と言う。確かに「過去の煩悩や罪障」が消えるという説明があったが、果たしてあれだけの儀式で消えるものだろうか。だが、読経や大日如来の真言の連呼が響きわたる堂内の高揚した雰囲気の中で、手鏡の中の自分の顔を覗き込むと、その目にふと見入ってしまう。人生も半ばを過ぎようとする冴えないオッサンが、ちょっと悲しげな、そして問いかけるような目で僕を見返していた。
暗い金堂から、儀式を終えて出てくると、先程までの低く垂れ込めた曇天がウソのように晴れ上がっていた。
バス通りの食堂で昼食を取ったあと、三宝院に戻り、荷物を受け取り、バス、ケーブル、南海電車を乗り継いで大阪に戻った。予約していた新幹線の発車時刻より1時間も早く、新大阪に着いてしまった。
自由席が空いていれば少しでも早く帰宅したいと思い、すぐに新幹線改札を入った。すると、前方を行く大きなザックを背負った青年が金剛杖を持っているのが見えた。お、こんなところでお遍路さんが…。お大師様は、最後の最後まで、思わぬ出会いを用意してくれているのか。追いつこうとするが、彼は急いでいるらしく早足で、また乗客で混雑していてなかなか近づけない。そのうち見失ってしまった。だが、そのちらりと見えた横顔には何となく見覚えがある。
そうだ。彼は、昨夜同宿した青年に違いない。朝、寺務所で顔を合わせただけだから、ちょっとあやふやだが、たぶんそうだ。いや、もっと前に見たような気もする。今回、初日に76番で言葉を交わした青年ではなかろうか。彼は、自分からニコニコと話しかけて来るタイプではないようだから、今朝も特に会話はなく、会釈しただけだった。結局、僕は彼と3回も出会っていたということだろうか。そう思うと、今日言葉を交わせなかったことが、ますます残念に思えてきた。
お四国で出会った人には、会いたければお四国で必ず再会できると言う。この最後のはかない出会いは、僕に四国遍路を続けなさいというお大師様の意思なのだろうか。
連休最終日の電車は大変混雑していて、新横浜停車のひかりは、どれも自由席に空きはない。結局、1時間待って、元々予約済の電車に乗った。ホームで買った生ビール(缶ビールでなく、ボンベからプラスチック・ジョッキに注いでくれる)でひとり祝杯をあげ、一路横浜へ。明日からは、また仕事が待っている。