掬水へんろ館遍路日記第6期前日翌日談話室
掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 第6期くしまひろし

第5日(5月3日)

徳島へ

朝食を済ませ、民宿八十窪のおばあちゃんや奥さんの暖かい言葉に見送られて、6時40分出発。おばあちゃんは、わざわざ玄関先に出てきて、歩きの道順を念を押して教えてくれた。

一夜明けてみれば、昨夜感じた違和感も、大した問題ではない。最後の難所を越え、結願を果たした幸福感で、心は満たされている。1996年5月から丸3年かかった、歩き遍路の記憶のひだをさぐりながら、人の通らない林道をゆるやかに下っていくのは心地よい。足がひとりでに前に出ていく。へんろ道に入ったり、また林道に出たりを繰り返しながら、徳島を目指す。

これから、10番切幡寺を経由して、途中で一泊、明日、1番霊山寺にお礼参りをするのだ。このお礼参りをするかどうかというのは、昨日のハナイさんの言葉通り、もちろん「好き好き」だ。だが、出発点に戻って「輪を閉じる」ということに意味がありそうな気がする。また、3年前に歩いたところに戻って、僕がこの四国遍路の世界に魅せられることになったプロセスを思い出してみたい。

88番から1番に戻るには、3番を経由するルートと、10番を経由するルートの2種類がある。僕は、記憶をたどりたいという気持ちから、逆行する区間の長い10番経由をとることにした。

何匹も犬に出会う。吠える、ついてくる。

7時50分、徳島県に入った。県境を越えてから、「同行二人」の地図と、バス停や橋の名前の対応がつかなくなった。今、歩いている県道2号は新しい直線的な道だ。平成7年から10年にかけてできた橋やトンネルが続いている。連休中のためか、幸い、車の通行量は、さほど多くない。

県道2号
県道2号

「同行二人」の地図や他の遍路日記に、この付近の道路について、ダンプカーの往来が多いと書かれているのは、この県道を新たに建設していたからなのだろう。歩道は広く、左右の山は新緑が美しい。はるか右側の山裾沿いに、旧道のものらしいガードレールが見える。どこで分岐したのかは分からなかった。

車で通りかかった遍路らしい男性から「1番に戻るんでしょ。乗りませんか?」と誘われたが、「歩きますので」とお断りした。

9時10分、白水橋。地図にもある橋である。近所の奥さんに「この辺はすっかり新しくなりましたね」と挨拶すると「そうですね。これで香川県とつながりました」とうれしそうである。単なる来訪者である遍路は、古い道が失われることを嘆くが、そこに住む人々にとっては生活の利便性が高まるのだから喜ぶべきことなのだろう。

今日も朝から晴天だが、10時ごろから、強風が吹き始めた。消防車が巡回して、空気の乾燥と強風に対する注意を呼びかけている。天気予報では、ここ数日安定していた天候が、今晩ごろからくずれるという。明日は雨だろう。

しばし逆打ち

切幡寺分岐
切幡寺分岐

10時50分ごろ、10番切幡寺へ左に登る分かれ道に到着。正確には、今これで僕の歩き遍路の輪はつながったのだ。3年前、遍路の2日目の朝、たみや旅館を出た僕は、9番法輪寺を打ち、門前の茶店でふかし芋のお接待をいただき、前方から歩いてきて、ここで右折して、切幡寺に登って行ったわけだ。

今回、当初の計画では、ここから先、道筋を逆にたどりながら、途中、法輪寺など特に思い出に残る札所のみ訪れる積もりだった。特に、切幡寺は山の上にあるお寺だから、わざわざ登ることはせず、このままこの交差点を素通りする積もりだった。

ところが写真を撮ったりしていると、鈴を響かせながら、白衣のお遍路さんが次々と下りてくる。今朝から、遍路の姿を見ずに歩いてきた目に、お遍路の姿が非常になつかしく写った。思わず、引き寄せられるように、僕は、その細道に足を踏み入れてしまったのだ。

茶髪遍路
茶髪遍路

僕はまだ「お四国」を去る心の準備ができていないのだろう。坂道を登り、山門をくぐり、300段の階段を登って11時10分、10番切幡寺到着。改めてていねいにお参りした。やはりここから先の札所もきちんとお参りすることにしよう。思えば、3年前には、恥ずかしくてロクに読経もできなかった。灯明や線香を備えるようになったのは、翌年からだ。3年前に手を抜いた分を今補っていこう。

11時30分出発。山門の付近では、内側まで車が入り込んで思い思いに止めているので動きがとれなくなっている。

9番への道を歩いていくと、逆打ちの方向なので、多くの遍路とすれ違う。

ハイキング姿の軽装のカップルが来た。「こんにちは」と声をかけると、

「10番の登りはきついですか」
「そうですね。坂を登って、その上に、まだ300段ぐらいの階段があるけど。まあ…でも…それほどでも…」

何だか、サチコさんの口調が移ったようだ。女体山ルートが「すごい」かどうかを巡って口をにごした彼女の心理が、ようやく分かった。遍路は自分自身で体験するものである。あらかじめ解説を聞いて、現場でそれを確認しても仕方ない。それに、同じ事実であっても、人それぞれに受け止め方が違う。300段の階段というのは事実だけど、それが「きつい」か「大したことない」か、は他人が決めることではない。自分で体験しなくてはならないということだ。

風があるとはいえ、晴天の下、今度は、帽子なしの若者が歩いてきた。

「暑いのに、帽子なくて大丈夫ですか」
「はい。大丈夫です」
「がんばって下さい」

ただそれだけのやりとりである。一期一会、どこの誰とも知れない。仮にもう一度どこかで出会ったとしてもおそらくお互いにそれと認知することはないはずの、はかない出会いのはずであった。ところが、遍路から帰って数日後、「掬水へんろ館」の談話室に下記のような書き込みがあった。

99/05/10 いくりんさん
はじめまして
わたしは、今回、はじめて四国88ヵ所巡りを思い立ち、5/2〜5/5の四日間1番の霊山寺から順番に歩いていたものです。
このページを知ったのは、12番の焼山寺登山時に一緒に登った人から教えていただいたのですが、ページの写真を見てびっくりしました。
実は、くしまさんにあっていたからです。確か10番の切幡寺に向かう途中、白装束のくしまさんに挨拶を交わしたと思います。その際、ラフな格好で帽子もかぶってなかったわたしに、「暑くないですか、がんばってください」と言葉をかけていただいたと思います。違っていたら申し訳ありませんが・・・。
また、来ます。では。

もともと、今回の遍路には、インターネットを通じて知り合った方々と予め連絡を取り合ったりして、実際に出会うという、これまでなかった楽しみがあった。だが、このいくりんさんのように、実際に出会った後になってから、インターネット上で再度の出会いが生まれていくというのはうれしい驚きである。

車の遍路が、窓から10番への道をきく。

「はい、この先ですよ」

中年男性が、しっかりした白装束で金剛杖をついて黙々と歩いて来る。「こんにちは」と挨拶したが返事はない。すれ違いざまに振り返ると、ザックではなく、ボストンバッグに紐をかけて背負っていた。何か悲壮な感じである。

次の若いカップルは、女性のみが白衣だ。そろそろ9番。今度は、こちらが道を尋ねる番だ。

「9番はこちらでよろしいですか」
「そう、その先を左に入れば9番ですよ」
「歩きなのに、ずいぶん荷物が少ないですね」
「9番に車を止めてあるんです」

12時25分、9番法輪寺到着。

お参りをすませて、門前の売店でうどんを食べる。白衣を着た車遍路の家族連れが、店の奥さんと話している。

「昨日は宿がどこも満員で、鳴門の24時間サウナに泊まった。今日は6番に泊まる。きょう、これからどこまで行けるかな。12番までかな」
「お寺の納経は5時までですから、それで行けるとこまでいけばいいんですよ」
「でも、宿坊には5時までに入れと言われているからなあ」

それで思い出した。今晩の宿、6番安楽寺に確認の電話を入れるのを忘れていた。店を出て電話をすると、そんな名前は予約名簿にないという。何度も確認してもらって、最後に漢字を説明したら、やっと確認できた。「くしま」という名前は無意識に「久島」や「九島」と思い込む人が多いが、僕は「串間」なのである。

思い出の美容院

水田地帯の道を行く。車遍路から9番への道を聞かれる。9番は県道から少し入り込んだところにあるし、境内が木々で囲まれているので、分かりにくいようだ。

思い出の美容院
思い出の美容院

思い出の美容院が見えてきた。当時、水田のど真ん中の瀟洒な建物にびっくりしたものだが、今でも、水田のど真ん中である。だが、大きな道路の工事中だ。この辺りも今後開発が進んで、あの美容院にふさわしい町並みになるのかもしれない。法輪寺は水田の真ん中にあるので「田中の法輪さん」と言われているそうだが、その風景も近い将来、失われてしまうのだろう。

8番は、徳島自動車道をはさんで向こう側にあるので、大体方向の見当をつけて歩いて行った。高架近くで、8番から下りてきたらしいカップルがいた。男性だけ白衣を着ている。数十メートル離れていたが、念のため道を聞く。

13時45分、8番にお参りして、まっすぐ下り、3年前に泊まったたみや旅館の前を通る。「おんやど たみや」の看板が昔のままだ。

白衣を着て、頭に白手拭いを巻いた男の子が歩いて来る。「こんにちは」と声をかけても、あいまいに微笑むだけで、返答がない。でも、そうして歩き続けるうちに、君も、自分から挨拶するようになり、杖も持ち、菅笠をかぶるようになるに違いない。

松野たらいうどん店も記憶に残る店だ。3年前、遍路道の周辺に食堂もパン屋もないことに驚き、空腹をかかえて足取りも重くなっていた。1時半になってやっとここをみつけ、うどんの昼食にありついたものだ。当時は、食堂はプレハブで、その脇にはテントを張って植木などを売っていた。そのテントがあった所に、今はロッジ風の建物が建っていて、その中で食事するようになっている。

この付近は逆方向の表示も完備
この付近は逆方向の表示も完備

「お四国病」という3年間にわたる魔法を解くような積もりで、こうして最初に回った札所を一つ一つ逆上って巡っていく。お礼参りのために、10番で元のコースに接続し、1番に向かって最初の部分を巻き戻し再生するように復習していく。何とよくできたシステムなのだろう。

14時50分、7番十楽寺に到着。

まだ巡り始めらしい夫婦遍路が、経本を手にして声を合わせて般若心経を読んでいる。そのたどたどしい声を聞いていると、自分自身の3年前を思い出す。どこで息をついていいか分からず、それを他人に聞かれるのも恥ずかしかった。「最後までがんばって下さいね」と心の中で念じた。

菅笠をかぶりナップザックのご婦人に道を聞かれた。同じく、ナップザックで、車用の遍路地図を見ながら歩いている人もいる。こうした光景は阿波の札所の初めの方だけのものかもしれない。

ケータイも鳴るお勤め

15時35分、今晩の宿、6番安楽寺に到着。駐車場の横には新しいビルが建築中。建築主は安楽寺とある。お参りを済ませて16時、チェックインした。

予約するとき、個室か相部屋かと尋ねられ、安い相部屋の方を希望しておいたが、割り当てられた部屋は4畳半+板の間の小さい部屋で、一人だけである。机がないので、メモを整理したりするのにちょっと不便だ。

安楽寺の宿坊
安楽寺の宿坊

17時過ぎると、団体のバスが次々と到着。境内は駐車場に早変わりする。個人の客の応対は、アルバイト中みたいな若いにいちゃんが担当しているが、団体さんは、かっぷくの良い執事のお坊さんが、下へもおかない扱いで、自ら客室に案内している。寺務所の前の部屋割り表を見ると、今晩は、団体と個人で100人ぐらい泊るようだ。

ハナイさんと再会した。昨夜は、白水橋の近くのトラック置き場で野宿したとのことだ。

食事は、個人の客は一間に集まって食べる。隣り合わせになった九州の青年も、歩き遍路だ。

九州の青年の話

初めは、納経のことなど知らず、金もなかったので、納経帳は持たなかった。だが19番で、「納経だけはした方がいいよ、記念になるし」と言われて始めた。4月に88番で結願し3番を経由して1番に戻ったあと一旦帰宅。今回、連休を使って、納経を残したところを再度巡っている。4番から18番で納経を済ませ、そのあと高野山にわたる予定。

午後7時から、本堂でお勤めがあった。100人近い宿泊客が一同に会し、備えつけの経本が配られる。執事のマイクの指示に従って、般若心経を唱え、薬師如来の御真言「おん、ころころ、せんだり、まとうぎ、そわか」を108回繰り返す。執事が数珠玉を繰りながら数を数え、終わりになると鐘を打つ。弘法大師の発句は9番まで読む。

住職は終始背を向けて儀式の所作を行っており、副住職がみんなの方を向いて説話を行う。向井千秋さんの話などとりまぜながら、人は必ずいつか死ぬということについて、また、旅について、誰もが納得できる話をする。最後に、「南無大師遍照金剛」を3回唱えてお勤めは終わった。

安楽寺の箸袋

ところで、説話の真っ最中に、お堂の中で携帯電話の呼び出し音が響きわたった。行儀の悪い遍路もいるものだと思って見回すと、進行役の執事が、袂から電話を取り出して体格に似合わない素早さで立ち上がり、祭壇の裏に駆け込んだのがおかしかった。御真言108回の途中だったらどうなっていたのだろう。

54,760歩、30.8キロ。

掬水へんろ館遍路日記第6期前日翌日談話室