掬水へんろ館遍路日記第5期前日翌日談話室
掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 第5期くしまひろし

第7日(8月28日) 民宿岡田〜66番〜70番〜本大温泉(観音寺市本大町)

4時半に起きてテレビをつけると、東日本には大雨、洪水警報が発せられ、被害も出ている。幸い四国はそれほどひどくはないが、やはり雨である。きょうは四国遍路最高峰の雲辺寺に向かう。今回の遍路行の中でクライマックスとも言える日だ。それが雨天の幕開けとなり、気が重い。

おかみさんが昨夜遅くこしらえて、玄関においてくれたお握りの包みを部屋に持ってきて、腹ごしらえをする。5時15分、雨具をつけ、覚悟を決めて出発。

豪雨の雲辺寺

昨晩、ご主人に教えられた通り、国道に出る手前から遍路道に入る。しばらくは、急な林道に沿って取り付けられたコンクリートの階段を登る。早朝にもかかわらず、工事車両が急坂にエンジンをあえがせながら次々に登っていく。やがて山道に入る。30分ほどで雨が上がったので、ほっとして雨具を脱いだが、直ぐにまた降りだした。

小降りだろうと思い、とりあえずカッパだけ身につける。ビニールズボンの方は蒸れるし、着脱も面倒なのでなるべく履きたくないのだ。ところがだんだん雨が激しくなってきて、ついに豪雨となった。雨宿りするところもないので、すこしでも頭上に木が繁っているところを選んで、キャラバンシューズの上から苦労してビニールズボンをはく。

もうすっかり夜は明けている時刻だが、雨の山の中は鬱蒼として暗い。ともすると、足元の地面さえ見づらくなるほどだ。聞こえるのはごうごうという激しい雨音だけ。初めからこれほどの雨であったなら、きっと出発を見合わせただろうが、今となっては引き返すも進むも困難は同じである。転ばないように気を配りながら、とにかく一歩一歩登りつづけるほかない。薄暗い前方にところどころ薄白く見える遍路札が心強い。

滝と化した階段
滝と化した階段

6時40分、ようやく、キャベツ畑の広がる高台に出た。高圧線の鉄塔が近くに見えている。昨晩、民宿岡田のご主人に教えたもらったところでは、ここが標高650メートルの地点である。宿から約400メートルほどの高度を登ったことになる。目指す雲辺寺は標高920メートルなので、残る高度差はあと260メートルだ。

しばらくゆるやかな登りの林道を歩くが、雨はますます激しくなり、水が舗装路面全体を覆って上から流れてきて、キャラバンシューズを洗う。道は再び、林の中の山道に入る。ところどころに設けられた階段を、滝のように水が流れ落ちている。靴をなるべく濡らすまいという努力もこの状態では無益だ。

そして、7時25分、ついに仁王門に到着した。ふと気づくと何と雨は小降りになっている。皮肉なことに、一番雨が激しいときに、一番険しい部分を歩いてきたわけだ。

雲辺寺付近の高低図

こころの結願

66番 雲辺寺
66番 雲辺寺

雨具を脱ぎ、一息ついてからお参りをする。66番雲辺寺は標高921メートルの雲辺寺山の頂上にあり、88カ所の中でも一番高い。民宿岡田近くの登り口からの標高差は、650メートル。天候が良ければ山登りというより、普通の人にとってはハイキングに適する程度の低山である。

だが、僕は6年前に心筋梗塞で一度は倒れた身である。丹沢周辺の山々を歩くのを趣味の一つにしていた僕の心臓の一部は、心筋梗塞によって恒久的なダメージを受けたので、好きな山歩きはもう一生できぬものと諦めていた。だから、一昨年、初めての歩き遍路で、焼山寺への遍路ころがしを歩くにあたっては、事前に地形図で何度も等高線を検討し、果して自分に登れるのだろうかと、かなり悩んだものである。

その僕が、こうしてその後も四国遍路を続け、最大の難関と思われる雲辺寺にも、5キロの荷を背負って自分の足で到達することができた。しかも、豪雨の中の山登りという、今までの遍路の中で最悪の条件の中をである。そんな思いが次々に湧いてきて、大師堂で最後の回向文を述べるときには、我知らずいささかこみ上げてくるものを覚えた。

札所の数からいうと88カ所中66番、まだ4分の1残っているが、主観的にはこれで結願を果たしたような心持ちになる。

納経所で住職に下りの遍路道を教えてもらう。「登ってくる間が一番雨の激しいときで参りました」と言うと「歩きの人には申し訳ないけど、水不足だから私らには雨はありがたい」という。確かに、ここ雲辺寺ではトイレの水道は止まっているし、他のお寺では水を流しっぱなしの手水鉢も、ここでは「命の水」と記された小屋に納められて、汲んだ分だけ自動的に補給されるような装置がついていた。山上での水の確保は深刻な問題なのだろう。

8時、出発。門前の売店には、「冷たい甘酒」とか「ところてん」の貼り紙があって食欲をそそるが、残念ながら未だ開店前である。雨がぱらついているので、売店のそばに放置してあった廃品の電話ボックスの中で着替えをした。濡れた体を拭き、乾いたTシャツに着替える。靴下もぐじゅぐじゅで気持ち悪いが、靴自体が濡れているので今履き替えても無駄だから、もう少し辛抱することにする。

雲辺寺山を下りる
雲辺寺山を下りる

住職からは「売店の前の広場の先の舗装道路を行くと、遍路道の標識があるからすぐ分かります。その先も舗装道路が続いているけど、あとはテレビの中継所があるだけ」と教えられたのだが、5分ぐらい歩いて行くと遍路道の入口をみつけられないまま、中継所の前まで来てしまった。おかしいと思い、先程の売店のところまで戻ってみるが、それらしい分かれ道はない。もう一度同じ道を行くと遍路シールがあったので道は間違っていないはず。結局、再び中継所のところまで来て落ち着いて見回すと、そのもっと先に左に入る四国のみちの道標があった。

ひたすら山道を降りて行く。ほぼ100メートルおきぐらいにベンチと吸殻入れがあるのは山火事を警戒してのことだろうか。雨上がりの涼しい道を乾いたTシャツで歩くことがこんなに快適なことだとは。2〜3時間前の苦行が嘘のようである。靴がまあまあ乾いてきたので、靴下も履き替えた。

9時50分、下りの山道が広い舗装道路と交差する。旗を持った警備員のおじさんがニコニコしている。制服の胸の名札には「山本」とあった。退屈しているのであろう、「良く来た」という感じで色々と解説してくれた。

山本さんの話

山本さん
山本さん
お遍路は、毎日3〜4人は通る。昨日は通らなかったけど。
この道路は工事専用道路で、関係者以外は通れないことになっている。だから私が番をしているんだけど、無理やり通る人もいて困る。制止を振り切ってバイクで突っ走る人とか、「自分の田んぼを見に行くんだから通せ」とかね。一般道路ではないから事故があっても保険はおりないんだ。
地図にも載ってないよ。ダムが完成したあとは、一般道路になるけどね。

しばらくして、今度は道路工事の現場で「全部歩いて回りよるの? えらいなあ。夏は暑い。いい季節は春と秋だよ」と話しかけられる。

小松尾寺

67番 大興寺
67番 大興寺

民宿おおひらの前を通って大興寺に向かっていくと、書類袋を手に駐車場とおぼしき方角から歩いて来た男性に尋ねられた。「大興寺はこちらですか?」「え? そっちじゃないんですか」お互い狐につままれた感じ。「おかしいですねえ」と一緒に駐車場の方にいくとその隣が大興寺だった。「小松尾寺」という看板があったので、彼は違う寺だと誤解したことが分かった。ここは「小松尾山 大興寺」というのだが、「小松尾寺」とも称しているらしい。

11時、67番大興寺に到着。お参りのあと、駐車場のベンチで買い置きのパンを食べて昼食とした。11時50分出発。

大興寺から出て観音寺方面に向かう道の道標がよく分からず、田んぼの中をぐるりと一回りしてしまった。一度戻って近所のおばさんに聞き、何とか国道377号に出てコースをとらえることができた。

『四国のみち』にもの申す

四国のみち
四国のみち

ほぼ一直線に、観音寺の市街地に向けて車道を歩く。香川県に入ってから、四国のみちの道標の表示がいい加減だ。観音寺市街へ2kmという交差点に立っている四国のみちの柱には「大興寺5.5キロ、68番まで5.3キロ」とある。これだと、9キロ弱のはずの67番から68番までの距離が10.8キロもある計算になる。その他、向きが間違っていたり、キロ数の数字が塗りつぶしてあるところもあった。また歩道と車道の間に立っていて車道側に表示があるので、歩道を歩きながらでは読めない。愛媛では大変歩き遍路に親切に思えた四国のみちの道標の設置事業も、県によって対応が異なるように感じた。

アスパラ畑
アスパラ畑

アスパラガスのビニールハウスがはちきれんばかりに膨らんでいるのを物珍しく見ながら、一路観音寺市街に向かう。元気に「今日は」と挨拶をかわした小学生の2人連れが自転車で、僕の先になり後になりながら同じ方向に向かっている。お互いに「道知ってるん?」と聞いている。観音寺近くなって帰ってくる二人とすれ違う。すっかり顔なじみになってしまったのでニコニコしながら会釈する。少しいくと町に入ってすぐのところに模型屋があった。きっとここに来たのだと思う。僕も少年時代、町の模型屋にモーターを買いに行ったり、ラジオ屋の2階でコイルを注文したりしたときのワクワクする気分を思い出した。

13時55分、68番神恵院(じんねいん)に到着。ここは一つの境内に69番観音寺(かんおんじ)もあって、『一粒で2度おいしい』ありがたい札所である。さて、ベンチにザックをおろしてお参りしようと準備をしていると、輪袈裟を紛失したことに気づいた。雲辺寺への雨の中でびしょ濡れになってしまったので、ザックのふたにはさんで乾かしておいたののが、どこかで滑り落ちてしまったらしい。売店に行ってみると、今まで持っていたのと全く同じデザインの輪袈裟があったので購入。

14時45分、出発。乾いた道の上に杖を引きずりながら行く。朝、雨の中で酷使したので杖の先がひどく毛羽立っているのを削り落とすためだ。金剛杖は弘法大師の身代わりなので、刃物をあててはいけないとされている。だからこうして地面で擦ることによって毛羽を落とすとよいとモノの本で指導されている。

へそまがり青年

吉田さん
吉田さん(左)

15時50分、70番本山寺(もとやまじ)着。逆打ちで歩いている青年に出会った。北海道出身の吉田清人くんである。

吉田君の話

専門学校で船の勉強をしている。5月の連休に区切り打ちを始めた。
遍路は初めてだが、なぜ逆打ちからいうと、へそ曲がりの自分に合っていると思ったから。ゆうべは善通寺の境内で出会った近所の人が「ウチに泊まれ」というのでタダで無料で泊めてもらった。今回は今日が2日目で、あと4日歩く。

横で聞いていた車遍路のおじさんが「偉いなあ」としきりに感心していた。話してみると純朴そうな青年で、とてもへそ曲がりには見えない。ということは、きっと僕もへそ曲がりなのだろう。今晩は近くの一富士旅館に泊まると言って、携帯電話で予約していた。

16時半、本山寺を後にして、橋を渡り、5分ほどで本大温泉ビジネスホテルの前に到着。だが、ここは素泊まりなので、食料を仕入れるためコンビニを探す。くんくんと鼻をきかせ、賑やかな方に歩いていくと果してローソンがあった。夕食用の弁当と、朝食用のお握りを買う。

本大温泉ビジネスホテル
本大温泉ビジネスホテル

本大温泉ビジネスホテルは、ワンルームマンション形式になっている。入口で鍵をもらって部屋に入ると、台所と6畳ほどの和室がある。残念ながら洗濯機はない。仕方がないので、洗面所で手で洗い、ベランダに苦心して干した。長期滞在向きのホテルだと思うのに洗濯機や乾燥機がないのは不思議だ。

部屋にはユニットバスがあるが、すぐそばに本大温泉ファミリー温泉という銭湯があり、ホテルのキーを提示するとただで入れるようになっている。近所の人達で賑わっていた。2日目のコスモオサム、4日目の湯之谷温泉に続いて3つ目の『温泉』である。ただし、この銭湯は8月末で閉店だという。

今日は、元々の計画では、雲辺寺に登るのに時間を要した場合は、観音寺付近でおしまいにしようと思っていたが、次の本山寺まで来れたので、明日の行程が楽になった。うんと早起きして、最終日を早仕舞いにしようと思う。札所の納経時間は朝7時からなので、宿のそばの札所を打ってあるかどうかは翌日の行程に大きく影響する。今回の場合でいうと、本山寺の納経を済ませていない場合は、いくら早起きしても、7時まではその先に進めないが、済んでいる場合は早起きして7時までに12キロ先の71番弥谷寺まで行くことが可能だ。

明日の帰りの飛行機は20時発の最終便を予約してある。これは、早割りで買ったので本来は変更できないことになっている。ただし、当日、空港に行って前の便に空席がある場合に限り、変更することはできる。そこで、ANAに電話してひとつ前の16時25分発の空席状況を聞いてみると、今現在100席以上あるという。これなら大丈夫だ。最終日の明日はうんと早起きして早仕舞いとしよう。

55,826歩、29.6キロ。

掬水へんろ館遍路日記第5期前日翌日談話室