掬水へんろ館遍路日記第5期前日翌日談話室
掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 第5期くしまひろし

第3日(8月24日) コスモオサム〜57番〜59番〜栄家旅館(丹原町願蓮寺)

さてそのあとは

昨日コンビニで買ったパンを食べて、6時20分に出発。バイパスを戻り、20分ほどで、蒼社橋に着く。昨夕の疲れ足に比べると、今朝の元気足はずいぶん速い。田園地帯を一直線に伸びる車用の道路だが、朝のこんな時間にも意外に歩行者がいる。みんな犬の散歩をさせている人達だ。昨日出会った子供たちもそうだったが、暑い季節、用事のある人は車で移動するのが普通で、わざわざ歩いているのは、犬の散歩の人と遍路だけとも言える。

57番 栄福寺
57番 栄福寺

7時過ぎには57番栄福寺に到着。こじんまりとしたお寺。チャイムを押して出てきた住職がゆっくりと丁寧に納経してくれた。

58番仙遊寺へは山道を行く。ゆるやかな登りに入ると、朝露で靴がびしょ濡れなるが、アスファルトとは段違いの柔らかい土と草の感触に、足が喜んでいる。問題は昨夜張られたクモの巣だ。杖を振り回しながら進む。へんろみち保存協力会の道しるべの支柱に曰く

「食うて稼いで 寝て起きて さてそのあとは 死ぬばかりなり」(一休和尚)。

それが人生ならば、遍路も人生である。食うて歩いて 寝て起きて さてそのあとは…? 急いで何になろう。だが、区切り打ちの後には、また「食うて稼いで」の人生に戻らねばならぬのがつらいところだ。

仙遊寺

58番 仙遊寺
58番 仙遊寺

58番仙遊寺は300メートルの山の頂きにあり、仁王門から先の階段が長い。8時15分到着。境内に入ると、弘法大師像を88体の石仏が取り囲んでいる。長い階段で火照った体に、手水鉢の水が冷たく気持ちよい。ベンチでしばらく休憩してから、本堂、大師堂にお参り。納経所に行き、誰もいないなあと窓口をのぞいていたら、庭の掃除をしていたワイシャツ姿の男性がやってくれた。納経帳をていねいに捧げて返してくれたうえ、納経料のおつりを受け取る僕に合掌した。

たっぷり休んで、9時10分、58番出発。国分寺へは6.6キロの道のりだ。急な山道をかけ下りると、下界では青々とした水田が広がり、とんぼが舞っている。暑い。

10時ごろ、仙遊寺から3キロあまりの「スーパーいかり」の先で、例のパイパスと交差する。すぐ左手に、昨夜泊まったコスモオサムが見えている。

10時半、「そごうマート」という大きなスーパーの前の自動販売機で冷たい飲物を買おうとしたが、ボタンを押しても出てこない。よくみると売り切れの表示が出ているようだ。陽光が明るすぎてよく見えなかった。他の自販機も試してみたが4台すべて売り切れだった。ガッカリ…と思ったが、何だ、店の中で買えばいいんだ。幸い、冷蔵庫で冷えているのがあったし、ついでにトマトも買った。去年の夏に出会ったカワイさんが「トマトはカリウムが豊富で疲労回復に効果があるので、時々飲料水替わりにするためにいつも生のトマトを持ち歩いている」と言っていたのを思い出したからだ。

五九楽館

五九楽館
五九楽館

10時50分、59番国分寺着。門前のタオル屋さん「五九楽館」を通り過ぎようとすると、店の青年が追いかけてきて、小さいタオルをお接待してくれた。遍路には必ずお接待しているようだ。他の人の遍路記にも出てくる有名なタオル屋さんだ。「何日目?」というのは、さすがに歩き遍路と会話し慣れた人の質問だ。僕の場合は区切り打ちなので、他人との比較は難しい。青年は、「歩きの人は、おとといは1人、昨日はいなかったようです。夏も歩きの人は多いけど、今の時期はみんなもう先に行かれましたね」という。

11時20分、国分寺を出発。2キロぐらい歩いたあたりは雨が降ったらしい。地面に水たまりがあるし、雨上がりのにおいがする。バイクの郵便配達の人が雨ズボンを脱いでいた。12時ごろ、国道196号に合流して数十メートル戻ったところに、「磯ごよみ」という大きな食堂があった。屋上には派手なやぐらのような看板が出ており、昼食にしようと行ってみた。しかし残念ながら、食堂は廃業して古道具屋になっていた。

アストロのオムレツとお冷や

アストロ
アストロ

次に「アストロ」というレストランを見つけて入る。オムライスを頼んだ。最近流行りの、卵がふっくらクリーミーの軟弱なやつとは違い、ケチャップとタマネギの味の効いた、古風でしっかりした味だった。ウェイターが気配りのある青年で、食事を待つ間から食べている間中、こまめにお冷やを注ぎ足してくれてありがたかった。ここにいた30分ぐらいの間にたっぷり水分を補給できて、疲労回復した気がする。

歩きだしてすぐに、雨がシャバシャバ降り出した。道端に都合の良い台を見つけてカッパを着たら、すぐに上がってしまった。カッパの着脱は面倒なので、雨宿りで済ませればよかった思い悔しい。だが、すぐ止む雨かどうかの見極めは、都会暮らしの人間には難しい。

だんだんとバテる

13時30分、東予市に入るあたりで国道から分かれ、しばらくして世田薬師という番外霊場があった。提灯やのぼりがたくさん並ぶ、大きなお寺である。境内の案内図を見るとお堂も沢山あって、奥の深そうなお寺だったが、あまり寄り道をする元気もない。ひと休みする木陰も見当たらず、本堂で手を合わせただけで出てきた。門前のベンチがちょうど日陰になっていたので、近くの自販機で飲物を買って休憩した。

14時40分、大明神川橋を渡る。しばらく行って東予西中学校の側壁の小さな木陰をみつけ、立ったまま休憩。ちょっとした段差にザックを尻を載せて、肩を休める。

15時15分、さっき休んでから30分もたたないのに、住宅街の中のベンチのある自販機でまたまた沈没。今日の目的地が近いということもあるが、とにかく暑さで消耗している。日陰をみつけては休んでいる。昨日の犬と同じだ。

15時30分を過ぎると、ようやく日差しも弱まり、少し楽になってきたのが分かる。16時ごろ、丹原町に入ったばかりの水田の間の道路で、通りかかった小型トラックから年輩の男性が下りて来て「すいません、ご報謝します」と賽銭の接待をして下さった。お返しに納札を渡すと「もったいない」と拝んで受け取ってくれた。

栄家旅館

栄家旅館
栄家旅館

丹原商店街に入ると、また「そごうマート」の支店があった。順路はここで右折だが、今夜の宿の栄家旅館はここで分かれて500メートルほどのところにある。ちょっと道に迷ったが商店街のはずれにある栄家旅館に、16時25分に到着した。

ご主人と奥さんがあたたかく迎えてくれる。事前に電話した時点では、ビジネス客の滞在中だったので、 「部屋が明かない場合は子供部屋に泊まってもらう」という話だったが、その一団はもう引き払ったとのこと。今晩の客は僕一人である。風呂に入ろうとすると「汚れ物を出しておいて」という。遍路中は、宿での洗濯が日課だが、疲れた体に、洗濯のお接待は何よりのもてなしで有り難い。

夕食は焼魚と串カツ。ご主人が釣ってきたというチヌ(=黒鯛)の焼魚は大きく身が厚く、これ一匹平らげるだけで満腹なほどだ。「ちょっと、これは食べきれません」と言いながら、少しずつお腹に入れていくと、結局皿の上は空になった。さすがにご飯はお代わりしなかったけれども。

明日の昼食について相談すると、途中、水場はあるが食物を売っているような店はないという。そこで、早立ちのための朝の弁当と、昼食のために、お握りを2包み作ってもらうことにした。

宿帳の分析

宿帳
宿帳

お握りを部屋まで持ってきてくれたおかみさんが「昼食用には痛まないよう軽く焼いておいたから」と言い、包みにそれぞれ「朝」「昼」と書いてある。また「水筒は?」と心配してくれたので、水筒代わりにしている500ccのペットボトルを出すと、麦茶を一杯に入れてくれた。

おかみさんが置いていった分厚い宿帳は、熊谷寺ちかくのたみや旅館で見たような、旧式の宿帳である。暇にまかせて過去のページをめくっていくと、去年の夏に一緒になった通し遍路の、元教師のクボタさんや、半ズボンのカワイさんの名もある。そのほか、このホームページを通じて電子メールで知り合いになった方の名前も見つけてうれしくなった。宿帳には住所・氏名のほかに、国籍や性別を書く欄があるが、「国籍:火星」とか「性別:男と思う」などの記載もあって笑ってしまう。

仕事関係の泊まり客もあるが、前日の出発地や翌日の目的地の欄から、遍路と思われる宿泊者が圧倒的に多い。最初のページから全部数えてみると、1996年2月から1998年8月までの2年半に約370名の遍路がここに泊まったことになる。野宿の人は別として、歩き遍路にとっては横峰山の手前のこの宿が大変便利なのだ。

ページをめくっているうちに、特徴のある筆跡の東京の28歳の女性が、去年の9月と今年の5月に来ているのに気がついた。行き先は横峰寺となっているので遍路なのだと思う。またこの宿に泊まるからにはきっと歩きに違いない。たったそれだけの情報からは、何もわからないけれど、秋、春と続けてひとりで歩き遍路に来る若い女性の人生とはいかなるものであるのか、好奇心をかきたてられた。

舗装道路歩きが続き、足が痛んでいる。右4、5指のマメの水抜きをした。区切り打ち5回目ともなると、マメの手当ても手慣れたものである。

47,258歩、32.7キロ。


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