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なお歩き続ける人生 だから遍路を歩く |
【串間さんの旅】遍路道(歩きで約千二百キロ)のプロローグとも言える阿波(徳島)は「発心の道場」とされる。串間さんの初挑戦は九六年五月。六泊七日の日程で歩き始め二十三番札所、薬王寺まで、約百五十八キロ歩いた。土佐(高知)に入ったのは二回目から。同県内は道の険しさから「修行の道場」とも言われ、全行程は四国四県で最長(約四百八キロ)。夏休みを利用して昨年七月末から、七泊八日で三十五番まで約二百二十ニキロ歩いた。今回は三十六番から出発。
明 |
翌朝、高知県土佐市の国道56沿いのパス停に。前回、最後に訪れた四国三十五番札所、清滝寺はこのパス停から近い。串間さんは、慣れた手つきで菅笠(すげがさ)に白衣を身に着け、金剛づえを手に、第一歩を踏み出した。
南国・土佐は十二月とは思えない陽気に包まれ、明るい日差し。心地よい空間。
初日の行程は約三十五キロ。ハードだが、後の行程を考えると、どうしても距離を稼いでおかなければいけない。自然と歩くぺ−スが上がる。
暗 |
静 |
農村地帯を過ぎると、標高約三百メートルの小高い山にぶつかり、急な登りにかかった。この日、最大の難所だ。峠を越えるとカツ才漁で知られる同市宇佐町。車のない時代、山ツツジの咲くころになると、人々は新鮮さが命のカツオをヒノキの葉で包み、宇佐漁港から高知市などの町に、この道を使って夜を徹して運んだという。
生活道としてはすっかり寂れてしまったこの道が、ハイキングコースや遍路道として生まれ変わった。細い山道沿いの木の枝に「遍路道」の札がかかる。杉や竹の林を黙々と抜け、標高約二百メートルの峠に着くと、眼下に宇佐の町が見えた。前日の雨で滑りがちの道を慎重に下る。
ほぼ団塊世代の串間さんは「僕は多趣味」と自任する。大学時代、留年して持て余し気味だった時間を活用して、「学ぶのが容易で変わった言語をコレクションに加えたい」と始めたエスペラントが病みつきになり、講習会の講師ができる資格を取得。百人一首に熱中し、地元の区の大会に家族で出て優勝もした。
非日常 癒し 出会い 見え始める何か… |
穏 |
香ばしいにおいがするカツオ節の作業場を抜け、町に入った。土佐湾に面したのどかな漁港。カツ才漁船が港に静かに横たわる。太平洋の波が打ちつける海岸線沿いを過ぎると、この旅で最初の目的地、第三十六番札所、青龍寺が近づいた。
百六十段以上もある石段を上がり、串間さんは本堂で静かに般若心経を唱える。
最初は小声でしか唱えられなかった読経にも遍路を続けるうちに抵抗がなくなり「一気に異界に没入するような感覚」に陥るようにもなった。
再び長い石段を下り、納経所で納経帳に墨書受印を頂いた。一つ目的を達し、また歩き始める。
動 |
厳 |
団塊世代の中心、昭和二十三(一九四八)年生まれが、今年、五十歳を迎える。戦後間もなく生まれ、高度成長とともに育ち、青春時代は学園紛争の主役。そして不況風が吹く今は、リストラのターゲットと、日本の戦後史そのもののような世代。この団塊世代にスポットを当てれば、普段は気づきにくい日本社会の"ひだ"の部分が見えるのでは。そして、この世代が、より重い責任を担う、二十一世紀の日本の姿も。
次回(三日付予定)は暮れに解雇通知を受けた山一証券の団塊世代の新年への思い。
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