くしまひろし |
6時20分から朝食。さすがにお屠蘇はなかったが、お雑煮、数の子がついていた。そそくさと食事を済ませ、初日の出見物にでかける。まだ暗い空であるが、雲がたれこめているようだ。あちこちの旅館やホテルからも、観光客が続々と展望台の方向を目指して歩いて来る。
最高の見物ポイントである展望台はやはり黒山の人だかりであった。これでは仕方がないので、別の場所を探す。幸い、きのうはたっぷり散策したので心当たりがある。天狗の鼻へ行く途中の遊歩道の、木々のまばらなポイントで待機する。磁石で方角も確認して確かにあのへんから日が昇るのだろうという方向を見つめて待つ。
もっとも、僕は日の出の正確な時刻を知らなかった。テレビでは、「高知の日の出は7時8分」と言っていたのだが、お寺ではみんな6時48分と言っていた。展望台の高度が関係あるのかもしれないが、それにしても20分も違うのだろうか。
諦めきれない人々 空がしだいに明るみを増して来た。やはり厚い雲に覆われているようである。7時を過ぎても、白っぽくなるだけで、日の出直前の赤みが見えない。結局、寒さに震えながら7時15分まで待ち続けたところで断念。
すっかり明るくなっても、展望台の周囲は諦めきれない人々で賑わっていた。
一旦宿に戻り、身支度をして7時30分出発。
宿に戻る人々 初日の出を諦めて宿に帰る人々に混じって、足摺岬の西側を目指して歩きはじめた。歩き始めて10分ほどたったころから、ポツリポツリと雨が降り出した。この程度の小降りなら、笠だけでしのげるのだが…。
足摺スカイラインへの分岐を右に見ながら、古い民宿が立ち並ぶ旧街道を行く。1時間ほど歩いた頃、松尾小学校の先から、旧道に入る。松尾海岸に沿って回っていく県道27号から分かれて岬の途中を近道で抜ける遍路道である。
雨はいよいよ本格的な降りになってきた。9時、雨具を身に着ける。雨具は、マント型の青いビニールカッパと、透明ビニールのズボンである。このカッパは、ザックの上からかぶるので、ザックが濡れるのを防ぐことができる。また、裾が広がっているので、通風がよく蒸れが少ない。笠は、店によってはビニールカバー付きのものも売っている。僕の笠にはカバーはないが、ニスが塗ってあるので、雨水はかなり防げるようだ。
昼なお暗い遍路道 道は一度県道に出て、橋やトンネルをいくつも通過し、10時過ぎ、再び山道への入口に来た。ますます本格的な降りなのでいささか躊躇した。だが、きちんとした遍路道しるべがついているし、道もよく手入れされているように見える。思い切って踏み込む。
山道には落葉が厚く積もっており、雨が降っていても滑る心配はない。足元もソフトで意外に歩きやすい。
途中、荒れ果てた公衆トイレがあった。カッパを脱ぎ、荷物を下ろして休憩した。ザックから乾いたタオルを出し濡れた顔を拭く快感は何物にも代えがたい。
11時ごろ、県道に合流、鹿島公園前の無人の派出所らしい建物の前のベンチで昼食にする。正確にはここはどういう建物なのか分からない。建物の前面に取り付けられた文字が抜け落ちて「○○所」と最後の「所」しか読めないのだ。ただ、屋根が付いていて濡れずにベンチを利用できるのがありがたかった。(写真の一番右端に見える建物)
鹿島公園前派出所(?) 本日の昼食のメニューは、近くの自動販売機で買ったたこ焼きである。自動的に電子レンジで加熱されて出てくる。ハフハフ言いながら、雨ですっかり冷え込んだ体を温めることができた。
国道321号に入り、足摺岬の根元を横切って東海岸に抜ける。12時すぎ、以布利の合流点に到着。13時頃、雨は一時小降りとなったが、またぶり返し、雨具を脱ぐことはできない。靴の中には水がたまってグチュグチュである。3日間ザックの後ろにぶら下げて干し続けてやっと乾いた例の靴下を今日は履いているのだが、一日でずぶ濡れになってしまった。
14時30分、下ノ加江橋が見えてくる。14時45分 安宿旅館に到着。
玄関先で濡れたものを脱ぐ。靴の中とズボンの裾だけは濡れてしまったが、カッパと雨ズボンのおかげで、ザックや衣服はほとんど無事であった。
早速、入浴して生き返る。宿のご主人は5時前から夕食にしてくれた。
おしどり遍路 金剛福寺で同宿となったアツウラさん夫妻は、足摺岬を僕より早く出発し、きのう僕が歩いた道を通って来たので距離も短く、先に到着していた。衣服が濡れてしまったようで、宿のユカタ姿である。食卓をはさんで遍路話に花が咲く。
ご主人の話
元々、60歳になったら遍路に出ようと思っていた。ところが、4月の健康診断で糖尿と分かった。即刻禁酒した。また、歩くことが良いと聞いた。『善は急げ』というわけで、まだ55歳だが、5月から歩いて遍路に出た。
禁酒していても、仕事では2次会も3次会も付き合うよ。30年間酒飲みをしていると、雰囲気だけで酔っぱらうことができるんだ。すっぱりと禁酒したが不思議と苦にはならないね。
今度の5月の連休は、45番岩屋寺と46番大宝寺を歩く。夏はマムシが出そうだからここだけ先に歩いておくんだ。マムシにかまれて死ぬのが怖い。
とにかくこの歳になって、死ぬのが怖くなった。糖尿だからといって即禁酒したり、遍路に出たりするのも、結局死にたくたいからだ。
奥さんの話
初めは5月の連休の3日間で藤井寺まで歩いた。7月下旬に8泊9日、11月初めに2泊3日で来ている。夏は台風で2日間足止めをくって予定が狂ったり、そのほか四国の知人に案内されて車に乗ったりして、途中歩いていないところが残っている。今後少しずつ歩き足して一つながりにしていきたい。
明日は39番に行く。あさっては、前回歩き残した32〜35を逆コースで歩いてみようと思っている。「ひと頃は、家で口に入れるのは水飲むだけだった人が、今では弁当を持っていくようになった。1日3食、私が作ったものを食べている」と奥さんは幸せそうに話す。
安宿旅館のご主人からは、「まむしが怖ければ国道を歩けばよい。同行二人の遍路地図を見てへんろ道に入るからマムシに会うんだ。立派な国道があるんだから山道に入る必要はない」というアドバイスである。概して、遍路宿の人など地元の方は、遍路道を歩くことをあまり勧めないようだ。このあたりは、ことさら自然への欲求の強い都会生活者との感覚の相違であろう。
今日は、ずぶ濡れになって着いてすぐ、安宿の主人から「靴の乾かし方は知っているか」とご講義があった。
安宿旅館の客室
靴の乾かし方
中に入れる新聞紙は全部で3回代える。夕食後、玄関においた靴の新聞紙を代えようとごそごそしていると、おばあちゃんが出てきた。「いま代えてあげようと思うとった」と言いながら、ゴミ袋を出して来た。東京都で使っているような「高知県」の名入りの透明の袋である。使い終わった新聞紙の屑を入れなさいといわけだ。指をなめてはしきりと袋を広げようとしているがなかなか開かない。よく見ると底の方から開けようとしている。「反対では」といって僕があけてみせたら「アラア」と爆笑してパーンと肩を叩かれた。愉快なおばあちゃんだった。
まず、着いたら直ぐに1回。靴の先の方には小さく切った新聞紙を丸めていれる。そのあと靴の口まで一杯に詰める。
2回目は風呂から出たとき。
そして3回目は食事が終わって寝る前。
こうしておけば、翌朝には立派に乾いているから。ここの古新聞使っていいからね。44,969歩、28.0キロ。