掬水へんろ館遍路日記第3期前日翌日談話室
掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 第3期くしまひろし

第4日(12月30日) 民宿みやこ〜安宿旅館(土佐清水市下ノ加江)

小糠雨

浮津海岸
浮津海岸
朝食のおひつにたくさん余ったご飯で、おにぎり2個作って包んでもらった。昼食用である。お弁当代は請求されなかった。

7時30分出発。内陸へカーブする国道56号から分かれて海岸線を歩く。

今日は雨という予報であったが、夜の間に峠は越えたらしい。まだ多少降っているが、特に雨具はいらない程度の小糠雨である。このまま上がってくれればラッキーである。この一週間、雨の予報は初日の午前と今日だけであったが、初日も高知入りする前に雨は過ぎたし、今日もこのまま晴れることになれば、大変天気に恵まれたことになる。

入野松原 入野海岸
入野松原 入野海岸
8時、松原大橋を渡り、打ち寄せる波の音を聞きながら松林の中を行く。入野松原といって、数十万本の松があるという。しばらくは海が見えない。松林の中はキャンプ場になっており、止まった車のそばにテントが張ってある。

間もなく道は、美しい入野海岸に出た。波打ち際に若い女性が二人、椅子にかけて沖をながめている。何かと思ったら、沖の方でサーフィンをしている点のように小さく見える若者たちを見つめている。監視しているのだろうか。

柔らかい砂浜の感触が、アスファルト舗装道路に疲れた足に心地よい。

雨雲は去る
雨雲は去る
雨雲が東方去り、青空が広がるのがはっきり分かる。今日もいい天気になりそうだ。

長い入野海岸が終わる。ここから先のコースは3つに分かれる。一つは四万十川の河口を渡し船で渡るコース、四万十川大橋を渡るコース、そして多少遠回りだが、中村市の中心部を通るコースである。渡し船は1日5便しかなく、待ち時間がかかりそうだ。天気も良くなってきたので、しばらく四万十川に沿って歩き四万十川大橋を渡る2番目のコースをとることにする。

この付近は土佐西南大規模公園(大方地区)にあたり、真新しいトイレや道路ができている。遍路地図も遍路道しるべもあまり参考にならず、よく分からない。かき瀬橋という橋があったので地図で確認すると、四万十川の河口方面に向かう道に入ってしまったことを知る。あわてて逆戻り、下田の口で何とか国道に戻った。

10時、逢坂トンネルを抜けて中村市に入る。足摺岬56キロという表示があった。ここに来るまでは、国道の距離標識は宇和島や松山までの距離ばかりだった。いよいよ足摺岬に近づきつつあることを感じる。

謎の作物
謎の作物
10時30分、古津賀分岐で中村市の中心部へ向かう国道56号から分かれる。あひるの遊ぶ川沿いに、四万十川大橋を目指す。

水田に見慣れぬ作物があった。この季節、たいがいの水田は、稲刈り後の株がそのままになっているか、機械で稲藁を裁断して漉き込んで春に備えているかのどちらかである。水は落としてあるのが普通だ。ところが、ここでは水田は澄んだ水を満々とたたえ、土の面には20センチほどの幅に縦横に筋がつけてあって、きちんとした格子状に見慣れぬ作物が植えてあった。誰かに尋ねてみようと思ったが、通るのは車ばかりで歩いている人はいない。結局、謎のまま残った。どなたか右の写真を見て分かる方はご教示願いたい。

四万十川に散った沢庵

四万十川
四万十川
四万十川
沢庵を惜しむ
11時、少し早いが河原で昼食とする。

快晴の空の下、四万十川の雄大な眺めを前に、民宿みやこで作ってもらったお握りの包みをあけるのは幸せな気分である。お握りは中に昆布の佃煮を入れてくれてあり、細長い味付け海苔で巻いてある。さらにたくわんが3切れついていた。民宿みやこのシェフ(?)は残りご飯のお握りなどというメニューにない注文に、困ったような顔をしていたが、有り合わせのもので結構うまく仕上げてくれていた。

アクシデントは1つ目のお握りを食べた後に起こった。2つ目のお握りを取り上げたのと同時に、弁当のパックは強い風にあおられ、高く舞い上がったパックから、黄色いたくわんは四万十川の河原に飛び散って行った。何たることか、ポリポリとたくわんを噛む幸せは一瞬のうちに失われてしまったのだ。実に悔しかった。食べられなかったたくわんをこんなに惜しいと思ったことはない。

右の写真は、河原に降りる階段にカメラを置いて、苦心してセルフタイマーで撮ったものだ。たくわんを失った悔しさが背中に漂っているのが分かるだろうか。

11時50分、約700メートルの四万十川大橋を渡る。すごい強風で、あごひもで二重にしばった笠も飛ばされそうである。杖まで風であおられてふらつくほどだ。

橋を渡りおえると川沿いに国道321号を歩く。おばちゃんから、「のど乾いたら食べて」と、ぽんかん2個のお接待を頂く。

枯れススキ

枯れススキ
枯れススキ
道路は川から離れ、団園地帯に入っていく。ここには大文字山という山があり、京都と同じように旧盆には大文字の送り火が焚かれているとのことだ。

津蔵淵(つくらぶち)橋を渡りしだいに高度を上げていく。道路脇の枯れススキが美しい。

伊豆田トンネル1.6キロ

伊豆田トンネル
伊豆田トンネル
大文字橋、伊豆田橋と次々に橋を渡り、13時20分、伊豆田トンネルの入口に到着した。すぐ手前に今大師寺というお寺がある。近くのバス停で休憩、さっきお接待されたぽんかんを食べる。

伊豆田トンネルは全長1.6キロ、20分で歩いた。たっぷり休憩したせいか、すこぶる調子が良い。トンネルの中は車の音でうるさいのを幸い、「南無大師遍照金剛」と大声で唱えながら歩いてみる。どんどんペースが上がる。こういうふうに何故か異様に元気になるときというのがあって、これはいわゆる「ジョギング・ハイ」というのと似ているのかも知れない。

トンネルを出ると、ドライブイン水車があり、近くにはきれいな公衆トイレがあった。

下ノ加江に近づくと住宅や店が立ち並び町になっている。道路では子供たちがビー玉に興じている。僕が「こんにちは」と通りすぎると、女の子が「おへんろしゃん」と甘えたようについてくる。

安宿旅館

安宿旅館
安宿旅館
15時20分、安宿旅館着

食堂を兼業している。店の扉を開けると、息子さんらしい若者が丁寧な応対で宿の玄関に案内してくれた。2方向に窓のある角部屋である。ご主人によると、この部屋は窓を開ければ夏もクーラー不要だという。

今日の足の手当ては右足の裏である。初めから調子が悪かったがテーピングで今までカバーしてきた。今や、広範囲に水がたまっている。そっと針でつくとうまく水が出た。3度目の遍路にしてやっと分かって来たことは次の通り。痛む部分のテーピングは早いほど良い。マメは、ある程度水がたまるまで「育てて」から針でつく。あまり早くいじり回すと水は出にくいし化膿の原因にもなる。

安宿旅館のご主人の話

安宿旅館という名前は、安心して泊まれる宿という意味で父がつけた。「やすやど」ではなくで「あんしゅく」だ。遍路だけでなく、ビジネスや観光の客も来る。元々近所に住んでた人が里帰りとか法事で帰ってきたときにも泊まってくれる。自分の家だと掃除したり炊事しないといけない。たまに帰って来るとそういうのは億劫なもの。
遍路地図だと、足摺岬まで25キロぐらいと書いてあるけど、私は28キロぐらいあると思う。帰りは、西側を回ってくるといい。また違った景色が味わえる。少し距離は長いけどね。
ここから、足摺岬に日帰りで往復する人もいる。一番早かったのは、6時に出発して、3時半に帰り着いた人だな。雨の日でね。途中休憩といっても立ったままて5分ぐらい休むぐらいでとにかく歩き続けたみたいだよ。

同宿のお客は初老の夫婦である。この町に法事か何かで大阪方面から来たらしい。

テレビで、帰省中の車のトンネル内正面衝突のニュースをやっていた。今回はやたらとトンネルが多い。トンネルの中で車が斜行してきたりしたら逃げ場がない。考えただけでぞっとすることである。

47,211歩、33.5キロ。

掬水へんろ館遍路日記第3期前日翌日談話室