掬水へんろ館遍路日記第3期前日翌日談話室
掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 第3期くしまひろし

第3日(12月29日) 37番岩本寺〜民宿みやこ(大方町上川口)

歩く物干し

朝の岩本寺
朝の岩本寺
今回、出発前に週間予報をチェックした時点では、高知の最低気温は連日零度を下回ることはないような内容であった。でも、昨夜は冷え込んだようだ。宿坊の物干場に干した靴下が、今朝起きるとかちかちに凍っていた。大失敗。

過去2回の遍路を通じて、僕等のように日頃足を鍛えていない人間にとっては、靴下の選択が大変重要だという気がしている。色々トライした中で、イタリア製のACCAPIというトレッキング用の靴下が大変具合が良かったので、今回はこれを採用した。履き心地は大変よろしいが、ウール40%であり、脱水機や乾燥機が使えないのが難点である。厚いので部屋の中に一晩干したぐらいでは乾燥しない。

昨日と同じように洗濯物をザックにぶら下げて歩くことになる。夏の遍路と比べて困るのはこのように洗濯物が乾かないということだ。そして、休憩時にうっかりザックを地面に置くと、生乾きの洗濯物が泥だらけになってしまう。

朝もやと一面の霜
朝もやと一面の霜
朝食もユースの宿泊客と一緒に済ませ、7時40分出発。

朝もやの中を歩いていく。草原には真っ白く霜が下りている。今日も太陽に向かって歩く。逆光で未だ暗い山々と、朝日を浴びて輝く枯れススキとのコントラストが美しい。国道歩きは退屈なものだが、今は清々しく気持ちが良い。やっと「凛とした真冬の遍路」という感じになってきた。

快晴である。歩き始めて1時間。風はないが、一層冷え込んできた感じがする。マフラーを着用。

窪川町と次の佐賀町の境界で国道が大きくS字型に峰を越えるところを、直線的に突っ切る2キロほどの遍路道を行く。国道から旧道に入り、集落を抜けると窪川町環境美化センター(ゴミ焼却場)に達する。遍路道はこの中を通り抜けるようになっている。元々遍路道だったところにセンターが建設されたのだろう。フェンスに囲まれたセンターの入口には「お遍路さんへ。右の扉を開けてお通り下さい」という看板がある。センターが閉まっているときでも、遍路だけは通り抜けることができるように配慮されているのだ。

センターの奥から細い山道を歩き、国道の片坂第1トンネルの出口付近で、トンネルの上で国道を横切る。左に雑木林、右に竹林を見ながら歩く。約30分ほどで遍路道は終わり、国道に戻った。

一汗かいたので、荷物をおろして休憩する。さて汗を拭こうしたところで、タオルを岩本寺に忘れてきたことに気づいた。タオルの予備は持っていない。遍路宿の中には、タオルを用意してくれるところもあるが、必ずあるとは限らない。それに歩行中も汗や雨で濡れたときなどタオルは必須だ。コンビニを探して買うことにしよう。

吉本酒店

吉本酒店
吉本酒店
10時。国道に面した吉本酒店の奥さんが「ご苦労さん。そこで休んで行き」と声をかけてくれる。店の前にはパイプ椅子(折り畳み椅子)が4個並べてあり、水はたらいに出しっぱなし。椅子があるというのがありがたい。自販機で缶コーヒーを買って一休みすることにする。昼食用のパンを買おうとする。

酒屋の奥さんの話

パンは置いてないんだ。佐賀温泉まで行くとうどん屋さんがあるけどねえ。
どこから来たの? 横浜? うちの息子も横浜にいるよ。道路工事の仕事をしている。帰って来るのは年に1回くらいかなあ。正月は忙しいから帰って来ない。
お遍路さんには、皆ここで休んでもらう。水も使っていいよ。一人旅は気楽でいいねえ。ここから先は景色がいいよ。

他のお客の相手もしながら色々話をしてくれて、みかん3個のお接待も頂いた。

佐賀温泉

佐賀温泉
佐賀温泉
10時30分、岩本寺から約10キロの佐賀温泉に到着。

昼食には少し早いが、旅館の隣にあるうどん屋に入り、きつねうどんで軽くエネルギーを補給しておくことにする。

うどん屋のおばちゃんの話

ここは温泉といっても冷泉を沸かして使っている。
歩きの人も時々来るね。今の時期は少ないけど。全部で何人くらい泊まれるのかなあ。3月頃には50人位の団体さんも歩いて来る。毎年来るよ。

現代の石仏
現代の石仏
うどん屋で20分ほどを過ごして出発。

少し行った道路脇に子連れ地蔵の石仏があった。遍路道の周辺にはこういった石仏は珍しくないが、この子連れ地蔵は比較的新しく、生花も供えられているので何となく気になった。刻まれた文字から見ると、昭和51年に亡くなった31歳の妻と4歳の息子の為に夫が建てたもののようだ。礎石に「交通安全祈願」とあるので、交通事故なのだろう。夫が運転していたのか、母子の里帰りだったのか、それとも近所の人で道路横断中だったのか…。これを建てて花を供えつづける人の心情を思ってしんみりとしてしまい、見ず知らずの家族の為に手を合わせた。

国道をゆるやかに下っていくと、12時半ごろ、JR伊与喜駅付近で、国道が旧国道と分岐する地点に来た。佐賀町の中心部近くの合流点まで、どちらもほぼ同じ距離とのことだが、地図上の「コンビニ店 Hot Spar」を信じて新道を行く。地図通りHot Sparがありちゃんと営業中だ。タオルとビスケットを買った。昼食を買ってもいいのだが、どうせなら座れるところで食事にしたい。この先は佐賀町の中心部だからは何かあるだろう。

土佐西南大規模公園
土佐西南大規模公園
前にも書いたが、人の住んでいることろには必ず酒屋がある。徳島から高知の前半(1回〜2回)は、酒屋の看板は「金陵」が主流であったが、今回の遍路では「土佐鶴」の看板が目立つ。

佐賀町の中心部を抜けるまで、食事できるようなところは見当たらなかった。国道沿いではなく、もう少し町の内部に入らなければならなかったのかもしれない。午前中にうどんを食べておいて良かった。

13時過ぎ、佐賀橋を渡り漁港を左手にみて海岸沿いにいくとやがて土佐西南大規模公園にさしかかる。土佐西南大規模公園は、ここから四万十川河口に至るまでの海沿いに設置されており、ここはその「佐賀地区」である。海辺は公園となっており観光客らしき人もちらほら見える。近くにうどん屋とラーメン屋が並んでいたので今度はラーメン屋に入ることにした。

ラーメン屋では四つ足を避けるのは難しい。どうせ初日に肉を食べたので、気にしないことにして焼きそばを頼む。靴を脱いで小上がりであぐらをかくと、寛いだ気分である。

手伝人28号

手伝人28号
手伝人28号
14時、いつの間にか曇り空である。今朝の予報では、今晩から明日にかけて雨となっていた。降りだす前に着けるといいが…

白浜海岸を通る。名前から想像すると白い砂浜が延びているようだが、実際には鬼の洗濯板のようなゴツゴツした岩場の広がる海岸だった。近くの消防署の看板が面白い。鉄人28号ならぬ「手伝人28号」と書いてある。高知の人はとっつきにくいが、公的な看板などにこういうズッコケを入れるユーモア精神がある。

大方町に入り、井の岬トンネル、伊田トンネルを抜け海岸沿いの国道56号をひたすら歩く。今回はトンネルが多い。

民宿みやこ

16時10分、民宿みやこ到着。

ここは客室多くレストラン兼業の大きな民宿である。レストランで声をかけるとお嬢さんが宿帳を持ってきた。めくって見ると、最近はあまりお客もないようである。12月に入って数組しか記入がない。近くに、浮津(うきつ)海水浴場があり、他にも民宿が何軒かあるが、シーズンオフなのだろう。ここも明日から年末年始は休業だという。

時間も早いので、ゆっくり入浴や洗濯を済ませ、レストランで食事をとる。お客は僕一人のようだ。かつおのたたきや鶏の唐揚げなどボリュームたっぷりの食事に満腹した。

TVで金剛福寺の初詣のコマーシャルをやっていた。僕も大晦日から元旦にかけて金剛福寺で過ごす予定のわけだが、TVのコマーシャルまであるということは、人出も多いのだろう。僕も足摺岬については遍路というより観光客気分である。

左足の薬指が典型的なマメとなったので、針を差して水を出した。今のところ足の痛みはうまく飼い馴らしており、多少のマメは予定のうちだ。順調というべきだろう。

民宿みやこ
民宿みやこ
ところで、この宿を選んだのは、雲さんの遍路日記

風呂場が岬の上に新築されており、大きな湯船に浸かりながら、太平洋に日が「じゅっ!じゅっ!」と海に沈んで行く様はなんとも爽快

と紹介されていたからだ。でもこの日は天気が悪かったので結果的には無意味であった。

47,036歩、30.9キロ。

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