掬水へんろ館遍路日記第3期翌日談話室
掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 第3期くしまひろし

第0日(12月26日) 高知へ

電子メール

12月のある日、東京新聞特報部記者と名乗る加藤さんから電子メールが届いた。遍路の取材をしたいという。直接会ってお話を伺ってみると、新年の特集企画として「団塊の世代」をとりあげ、この世代に属する様々な人々を記事にしたいとのことである。

今度はいつ遍路に出るのかと尋ねるので「この年末年始に出掛ける予定」と答えると「それは好都合。元日の新聞に間に合わせたいので、ぜひ初日に同行して写真を撮らせてほしい。決してお邪魔はしない。自由に歩いて下さって結構」という。

遍路とは本来ひとりで歩くものだし、僕自身は体力の限度ギリギリで歩いている面があるので気にはなったが、遍路が記事になって歩き遍路が少しでも増えればうれしいと思い、結局OKした。

夜行バスで節約遍路

12月26日、曜日の関係で、今年は今日が会社の御用納めである。15時に仕事を終わって、職場で軽くご苦労さんの乾杯をして退社というのが普通なのだが、今年は欠礼し、すぐに東京駅近くの職場から横浜の自宅にまっすぐ帰宅。妻に夕食用の弁当を作ってもらって、再び東京駅へ。そして東京駅八重洲南口19時40分発のJR「ドリーム高知」の乗客となった。

あえて夜行バスを選んだ理由は、費用の問題と日程の都合である。

まず費用の点でいうと、高知までの飛行機の繁忙期の普通運賃が片道\24,250であるのに対し、夜行バスでは\12,500である。ほぼ飛行機の半分である。夏の遍路のときは、JAS徳島行第1便の早起き割引という4割引のサービスを利用したが、高知行きにはそうした便もない。夏の遍路に続いて年末年始と続くと、遍路費用を乏しい小遣いから捻出するのも楽ではなく、半額という魅力には負ける。

日程については、足摺岬にこだわった。ちょうど大晦日ごろに足摺岬にかかるので、そこにある金剛福寺で大晦日を過ごしたいという思いがあった。四国最南端、自殺の名所、その名も歩き遍路のために付けられたような「足摺岬」、そこで除夜の鐘を撞くなんていうのは何となくロマンチックではないか。

そこで、真っ先に金剛福寺に電話してみると、「大晦日はちょうど40人の団体が入っているから泊まれますよ」という。お寺によっては、まとまった予約のない日は泊めてくれない所が多い。この金剛福寺もその一つである。ラッキーである。

そこで、その前後の日程を詰めていくと、どうしても初日の27日の行程が30キロ以上となってしまう。朝の飛行機で高知に飛ぶのでは、歩き始めはどうしても昼頃になり、30キロは無理だ。そこで前述の費用節減も兼ねて、前夜の夜行バスを使うことにしたのである。年末年始ということもあって、営業していない宿が多いのではないかと危惧していたが、その他の宿も一発で予約できた。

「ドリーム号」の思い出

就職したばかりのころ、東京と奈良の間で遠距離恋愛をしていた。僕が奈良に行ったり、彼女が東京に来たりした。僕が奈良に行くときは、金曜日、仕事が終わると新幹線で京都まで行く。日曜日の夜は、10時半頃京都駅を出る「ドリーム京都」で、早朝に東京駅八重洲口に到着、そのまま出勤するということをしていた。当時の夜行バスは普通の観光バスのような座席で窮屈なものであったが、新幹線の9時頃の終電に乗らずに、少しでも長く彼女といたいということから窮屈でも何でも我慢したものである。そういうわけで、僕にとって「ドリーム号」という名前は、甘く切ない青春の思い出なのだ。

シンデレラエクスプレスという新幹線のCMが始まったのはもっと後のことであるが、僕としては、著しく感情移入してしまったものである。

一路、高知へ

現在の夜行バスは、当時のバスとは大違いである。座席は1列3席であり、それぞれのシートが独立して、その間は通路になっている。つまり隣の人と肩触れ合うということようなことはない。飛行機のエコノミークラスで眠るのよりは、よっぽど快適である。(ビジネスクラスにはかなわないが…)。1車両定員29名で大変ゆったりしている。トイレ、洗面台や電話もついている。

今日の座席は3号車1番B席、つまり最前列の中央の席である。しばらく三宅裕司主演の「サラリーマン専科」の上映があり、一度サービスエリアで休憩したあとは、窓のカーテンも閉めてしまいそのまま高知まで突っ走る。

明日は、初日から35キロの行程、しかも記者同伴という慣れない条件が待っている。オーディオサービスの落語を聞いている場合ではない。できるだけ睡眠をとろうと努力する。運転手が2人乗っていて交代のときだけ停車するのだが、停車する度に目が覚めてしまうので困った。

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