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掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 2004年春

予見

    焼山寺のふもとのなべいわ荘では、10人ぐらいが泊まっていた。安楽寺の風呂で一緒になった大阪の若者U君もいた。

      「休みは暦通りで5日までの予定。だが帰りたくなくなった。ここまで回ってきたお寺の風景は全部くっきりと思い出せる。残りの平日2日を休んで何とか薬王寺まで回りたい。会社の先輩に電話して『このまま歩き続けたい気分です』と遠まわしに言ってみた。でも、『うん、うん。そうだろう。お前の気持ちはよ〜く分かる。でも、ちゃんと仕事に出て来い』と言われてしまった。」

    思っていた以上に印象的な体験になってしまったこの旅をもうすぐ終わるということが、実に残念そうだ。なんと、その会社の先輩というのも歩き遍路の経験者なのだそうだ。

    5月4日(火・国民の休日)

    この日は、小雨が降ったりやんだり悩ましい空模様だった。レインスーツを着て宿を出たU君が、玉ヶ峠の山道を少し登ったところでそれを脱いでいる。「大したことないって言ってましたよね? こんな山道、聞いてないよ〜」とぼやく。朝食時、峠越えを心配する客たちに対して、宿の主人は「峠と言ってもね、大したことないよ」と説明していたからだ。

    前日焼山寺を越えて来た脚力なら、おそらく問題ない道である。もちろん、生命の危険を生じるようなミスリードはよくないが、遍路道の前途について完璧な情報がそろっているのは、かえって旅の楽しみを奪うことになるだろう。だからといって宿の主人ともなれば「峠は険しいか」と尋ねられて「さあね」と答えるわけにも行くまい。想定されるお客の体力、天候などを考え合わせれば、まあ妥当な回答だったのだろう。

    僕の1巡目の終わり近く、同宿となった2巡目の女性に「88番大窪寺の手前の女体山は険しいと聞くけど、そんなにすごいの?」と尋ねたときのことを思い出す。

      「そうですね…いや…まあ…でもそれほどでもないかな」
      「どっちなの」
      「いや…ね…あんまりすごいすごいと言って、実際行ってみたら何だこんなもんかと言われたら困るからなぁ。まあ、行ってみてのお楽しみということで。ふふふ」

    結局、はぐらかされた。今思えば、「妙な思い込みを持たずに自分自身で体験してみなさい」という賢明な思いやりだったのだと思う。大きなお寺のお嬢様で、その後結婚して一児の母になられたと便りがあった。

    40分ほどで峠に到着した。一休みしているとU君が快調に通り過ぎた。

    しばらくして、昨夜同宿だった若い女性も軽やかに通り過ぎた。彼女と夕食の席で会ったときは初対面だと思っていたが、ザックを背負い、黄色いキャップをかぶった姿を見ると、一昨日、藤井寺で見かけたことに気がついた。そういえば忘れた杖を取りに戻ったときもすれ違っている。ほんとうに、僕は女性の顔を覚えるのが下手なのだ。

    続いて、同宿だった男性がもう一人通り過ぎた。「さて…」と僕も長めの休憩から立ち上がる。みんなは13番大日寺を目指しているが、僕はきょう、その手前の番外を巡るのである。

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