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掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 2004年春

白装束

    安楽寺の宿坊は団体や個人の宿泊客で賑わっていた。さっそく風呂に入ると、大阪から来た歩きの若者と、和歌山の年配の男性が入ってきた。若者は、今朝大阪からバスで四国に入り、歩いて来たという。年配の男性は、先達として数人のグループを率いて回っており今日は1番から11番まで回って来たとのことだ。「明日は27番まで、あさっては39番まで行けるだろう」と語る。

    若者は、「すごい。一日でそんなに行けるんですか?!」かと驚き、何度も聞き返している。先達が先に出て行ったので「あの方は車でしょう」と教えると「あ、そうなんだ」とようやく納得していた。

    歩き遍路と車遍路との間には、ときに微妙な緊張関係が生まれる。歩いて回っている間に「偉いねぇ」と持ち上げられたり「自分もいつか歩いてはみたい」などと言われ続けるうちに、歩き遍路は車遍路に対して優越感をもってしまう。一方、「歩き遍路は歩くことに異様にこだわり過ぎだ」と違和感をもつ車遍路もいる。

    ちょっと拍子抜けした様子の若者に「車は車で苦労があるようですよ。お寺への道も分かりにくいらしいし…」などといらぬフォローをしてしまった。歩き遍路にも車遍路にも、人それぞれの目的と事情があるから一概に比較できない。「この若者が勘違いに陥らないように」などと思って、お節介なコメントをしてしまったわけだ。

    「遍路は、1回目はがむしゃら、2回目は知ったかぶり、3回目になってやっと分かる」というあるご住職の言葉が伝えられている。僕は3回目を始めたところなのに、まだ「知ったかぶり」の域にとどまっているようだ。いささか反省した。

    5月2日(日)

    2日目は、吉野川を渡って11番藤井寺まで行く。7番十楽寺、8番熊谷寺と打っていくと、歩き遍路の姿が多い。連休初日の昨日は出発時刻も人それぞれだが、6番安楽寺か、7番十楽寺の宿坊に泊まった人が多く、人の波が揃ったせいもあるだろう。特に白装束の若い女性が多いのにびっくりした。

    個人的な動機から歩き遍路をする人の場合、これまでは、白装束や菅笠を身につけることには抵抗を覚えるという人も多かったように思う。「八十八ヶ所のお寺は、歩くための単なるチェックポイント。自分には信仰心がなく『遍路』ではないから遍路装束は要らないし、着たら信仰厚い方々にかえって失礼にあたる」と表現する人もいた。

    ところが、この春の風景はどうだろう。女性の多くが旅行雑誌のグラビアから抜け出てきたように、長い髪に菅笠をかぶり、白衣に金剛杖の姿である。彼女たちのすべてが無信仰な遍路ではないだろうが、若者たちに白装束が浸透していることに、実は驚いた。

    今回出会ったある女性が言うには、

      「生まれて初めての一人旅。でも、どうして遍路に来たのかは、自分でもよく分からない。」
      「それで、白装束なんかは抵抗ない?」
      「まず形から入ろうと思って…」

    別の青年は「今一番トレンディなのが遍路だと思う。白装束はかっこいい」という。以前は、白装束に身を固めて黙々と遍路道を歩く姿には、諦念、悲願、決意といったイメージを抱く人も多かったように思う。いまや、TVや旅行雑誌にあふれる白装束は一つのウェアとして若者の目には写っているのかも知れない。

    こんな傾向について「外見だけの遍路のまねごと」と嘆く人がいるに違いない。でも、僕自身、歩き遍路を始めたときには、どうしてその気になったのか今もって謎と言えば謎である。当時の遍路日記に書いたように、家は神道、保育園はお寺、小学校はミッションスクールだった。だが、思いつきで遍路を始め、深い考えもなく白装束を身につけた。今思えば「ウェア」感覚だ。だが白衣1枚で地元の人々から「遍路」として遇されることを通じて、白装束の重みを感じ、背筋が伸び、心が引き締まり、成長してきたと思う。要するに僕も「形から入った」のだった。

    それに、本人たちがどのような意識で回ろうと、数多の衆生が遍路装束を身につけて来る日も来る日も、四国の島を右回りに歩き続けるという光景には、ある種、呪術的な力が篭っているような気がする。そして、その一人一人も、歩き続けるうちに、外形だけでなく中身も遍路になっていく…。

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