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3番金泉寺に裏道から入り、お参りを済ませて身支度をしていると、大きなザックを背負った、長い髪の若い女性が入ってきた。ベンチで、ガイドブックの1ページをコピーしたようなものに見入っている。普通の服装をしているので、お遍路さんではなく純粋なお寺巡りの観光かも知れない。だが日帰りやバス旅行にしては大きなザックが気になった。 4番大日寺を済ませて5番地蔵寺に向かう。大日寺の近くは1キロほど打戻りの道順になっている。向こうから、3番で見た女性がやってきた。日差しの中で帽子をかぶっていない。思わず「帽子は持ってないの?」と尋ねてしまった。5年前のいくりんさんの一件と同じ反応である。同じシチュエーションで同じ反応、僕はパブロフの犬か。 「買おうと思っているんですが売ってなくて…」 5番地蔵寺を打ち終え、徳島駅のホームで買っておいたパンで昼食を済ませた。住宅地の中を別格1番大山寺への道を探しながら行く。番外札所となると、道しるべも極端に少ない。途中、現在地を見失いそうになった。 地図にある徳島自動車道高架下の「藍住41」と表示のある通路を潜り抜け、野神社の前を過ぎ、いよいよ遍路道に入る。入り口のへんろみち保存協力会の道しるべには「雑草繁茂につき通行難 車道歩行」と書いてあった。しかし、少し前に地元の方に「最初の部分は通れる」と聞いていたので、ためらうことなく踏み入る。ただし「いったん車道に出て、その次の遍路道は入ったらいかんよ」と言われていた。 しばらく行くと、ふたたび道しるべがあって左に入るようになっている。しかしここには赤い矢印の上にに黒い文字で「悪い」と上書きされていて「右の道よし」と書かれている。誰が書いたものかは分からないが、これを信頼して進むことにした。背の低いみかんや柿の木の畑の中を、ぐるりぐるりと縫うように登っていく。正解であった。やがて車道に出た。ふたたび山道らしい入り口があったが道標もなくかなり繁茂しているようだったし、先の地元の方のアドバイスもあったので、この後は車道を登ることにする。
仁王門への通路は車道から左に入り込んでおり車は通らない。分かれ道に車が止まっていて道しるべが見づらく、あやうく入口を見逃すところだった。左右の仁王は古びて満身創痍、左仁王の片目は抜けて宙をみつめている。歩き遍路しかくぐることのない門を、長い間寂しく守り続けて、ついに老いてしまったのだろう。竹林の中を静かな石段の参道が続いている。地蔵寺から約2時間で本堂に到着した。 車道を登ってくる間、上り下りする車の中には白衣姿の方も多く、別格霊場も賑わっているのかと思っていたが、予期に反して境内は閑散としていた。多くは納経して別格念珠の玉を買ったら、さっさと下山してしまうのだろう。 帰りは同じ道を下り、徳島自動車道をくぐるところまでは問題なかったが、その後は、またも道を見失ってしまった。幸い『同行二人』第6版では周辺道路の情報が記載されているので、畑仕事のおじさんに道を尋ねたりしながら12号を目指して進み、16時過ぎには、その日の宿となる6番安楽寺にたどりつくことができた。 【参考コースタイム】 |
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[四国遍路ひとり歩き(2004年春)] 目次に戻る | Copyright (C)2004 くしまひろし |