「ふれあいの里さかもと」は、廃止された小学校の建物を改装して開いた宿泊施設である。地元の人々が企画し、町と国の予算を活用して実現したものであるが、運営は地元の運営委員会に任されている。開設前は「観光資源も少ない町なのに、お客が来るのか」と疑問視する声もあったが、結果的には予想以上の成功を納めているとのこと。 大きく開放的な浴室、グレードの高い設備、そして何より働いている人がホスピタリティにあふれている。半ば公的な施設なのに、僕が到着したとき、すばやく杖洗いのバケツと雑巾が出てきた。オープン後まもなく宿泊したお遍路さんに教えられたのだという。運営委員と地元主体の職員が一丸となって、リピーターを生み出す魅力を生み出しているように感じた。 「農村体験型宿泊施設」と謳っており、地元の方々も参加したわら細工体験など新しいメニューも次々に考案して、お年寄りにも協力してもらい、大した賃金は払えなくても生きがい創出にも役立っているという。わざわざ挨拶に見えた運営委員長さんの、地域おこしについての、そうした熱い思いをうかがいながら夕食をとっていると、女性の職員の方が鶴林寺への地図の下書きをもって現れた。 実は、横瀬橋方面から鶴林寺に登る遍路道については、「同行二人」第5版までは「路面崩壊流失、歩行困難」と注記があり、ネット上でも「地元の人に通れないと言われた」という報告が相次いでいた。「同行二人」第6版にはそれらしい道が読み取れるものの不安なので、僕は少し遠回りになるが金子やのところまで戻り、確実なルートを登るつもりでいた。 ところが、職員の方の話によると、横瀬からの遍路道も地元の方々が整備したので通れるようになったという。ただ、不確実な伝聞情報をお遍路さんに伝えるわけにいかないので、たまたまこの日の午後、職員の皆さんが現地確認のため自ら歩いて鶴林寺まで登り、現況を確認してきたのだという。そのラッキーな日に僕が泊まったわけだ。 下書きした地図を持ってきて「こんなんで分かりますか。道路の幅を書いておいたほうがいいでしょうか。ここらへんでは『 5月7日(金)翌日、朝食の1杯目はおかゆ。ふだん、僕は朝食は軽めだが、するするとお腹に入って2杯目のご飯も頂いてしまった。厨房のおばさんやフロントのおにいさんと何度も挨拶を交わし、幸せな気分で出発した。 きのう来た道を逆にたどりながら横瀬橋を目指す。昨夜頂いた、完成したばかりの地図のおかげで、最短距離で鶴林寺に着くことができた。 参考コースタイム コース解説 徳島方向に横瀬橋を渡ってすぐの交差点(左に駐在所)を右折し、川沿いに5分進むと、突き当たりにカーブミラーと石碑が見える。この分岐を左に数十メートル行くと、遍路道の入り口がある。遍路道に入ってすぐの区間は多少荒れているが、歩行に支障はなく、上の方はかなり草刈もなされていて歩き易い道だ。手作りのほうきがあちこちに置いてあり、地元の方が整備して下さっている様子が伺える。途中で農道を1度横切り、前述の石碑から約1時間で鶴林寺山門に到着。 |
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