5月6日(木)今日は別格3番 19番立江寺を打ち、ローソンで昼食を仕入れ、金子やのそばの鶴林寺登山口を横目で見ながら、慈眼寺を目指す。16号から旧道に分岐する地点に、気になる看板があった。「旧坂本トンネル全面通行止」。イヤな予感がした。地図を確かめると、これから慈眼寺に行くルートに確かにトンネルがある。トンネルの名前は記載がないが、これが問題の「旧坂本トンネル」なのではないだろうか。慈眼寺へは車道を通っていかなくてはならないのだろうか。それでは、4キロ以上の遠回りになってしまう。 あわてて、きょうの宿「ふれあいの里さかもと」に電話してみた。
とのありがたいお言葉に、一安心。 「さかもと」の職員の皆さんが自ら歩いて確認しながら作ったという、特製の地図を頂き、着替えなど不用物を抜き取ったザックを再度背負って、出発した。 高度を上げていくと、岩場のあちこちから激しく水が湧き出している。山全体から水が噴出して、その水圧で今にも山全体が吹き飛ぶのではないかという幻想にとらわれる。ふと見ると、岩壁のくぼみのかわいらしい豆地蔵に気がついた。睡雲さんが2巡目に奉納したものだろうか。簡単に昼食休憩をしながら、さかもとから90分、13時半に慈眼寺に到着した。 納経所で穴禅定を申し込んでローソクと白衣を受け取る。この境内にあるのは大師堂だけであり、本堂と穴禅定は、さらにそこから急な階段と山道を15分ほど登ったところにある。 本堂のお参りを済ませて待合所でひとり待つこと40分。ようやく前の10人ぐらいの参拝客が、穴禅定を終えて洞窟から出てきた。グループや個人の混成のようで、錫杖をもった僧形の青年もいた。 まず、案内人のおばさんの指示にしたがい「試しの柱」の間を通れることを確認する。何とか合格。火を灯したローソク1本だけを手に持って穴に入る。狭いギリギリの洞窟の空間の中では、一挙手一投足をこのおばさんのいう通りにしないと、身動きできなくなってしまう。うっかり違う足を出したりすると、おばさんの激しい叱責が飛ぶ。僕の場合、1対1というぜいたくな条件でガイドしてもらえたうえに、途中でローソクを代わりに持ってもらったりしたのでラッキーだったと思う。それでもズボンは泥だらけになってしまった。 洞窟の奥に着き、お大師様の前で、おばさんと一緒に般若心経を唱えた。どこからか湧き出るお加持水もいただく。おばさんは、長い棒の先にローソクをつけて、壁の構造や天井の高さなどをよどみなく説明してくれたが、そのうち棒が高いところにあるしきみに当たってしまい、しきみ立てごとガタンと落ちてきた。「あわわわっ」と、こちらが慌ててしまったが、幸い、お大師様が怒って岩壁を閉じてしまうなどという異変は起こらなかった。おばさんは冷静沈着、湧き水を汲んでしきみ立てに補給、ひょいひょいと岩壁に足をかけてよじ登ると、しきみを供え直して合掌した。 穴から出てきたときにはすでに15時を回っていたので、僕が最後のお客ということになった。おばさんと一緒にご本尊・十一面観世音菩薩のご真言を唱えながら本堂の回りを3周、禅定を無事済ませることができたことの御礼と健康を祈願した。 片付けを済ませたおばさんと話しながら、山道を納経所まで下りて記念撮影をした。穴禅定の案内のほか、この山道の草刈も自分の仕事だという。彼女は経験5年。もう一人、「この道35年」という85歳のおばあさんも元気にやっているそうだ。お寺のお坊さんは、本堂へはあまり上がって来ないという。本堂のご本尊や洞窟の中のお大師様を親しくお世話しているのは彼女たちだということになる。毎日15分の山道を登り下りし、狭い洞窟の中で1日に何度もアクロバットみたいな過激なストレッチを繰り返していたら、いつまでも健康が保てることだろう。 コース解説
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