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掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 2004年春

コインロッカー

    4月30日(金)

    僕の遍路は、コインロッカーから始まることが多い。

    19時過ぎに仕事を切り上げ、職場の壁際に何気ない風に立てかけておいた金剛杖を手にして、会社を後にする。駅のコインロッカーから、出勤の途中に入れておいたザックや菅笠を取り出して、地下街のトイレで着替え、革靴、スーツ、ワイシャツ、そしてネクタイ──すなわち「日常」の名残りとも言えるサラリーマンセット(?)を宅急便で自宅に送った。しばし自由の身となり、遍路へ出発である。

    東京駅20時30分発、徳島経由高知行きのJRバス「ドリーム高知号」に乗る。八重洲口のバスターミナルからは、次々に各地行きのバスが出発する。僕のバスの10分前には松山行きも出る。翌5月1日からの5日間の大型連休を控えて、周辺は大きな荷物を持った帰省客で込み合っていた。

    中に、金剛杖と菅笠を持ち、大きなザックを足元に置いて、人ごみを離れてひっそりとたたずむ中年の女性がいた。初遍路ならば1番札所で道具類を求めることが多いから、区切り打ちの続き、または2巡目以降のお遍路なのであろう。もっとよく見回せば、そんな人は他にもいた。あすこに一人、こちらに一人、杖や笠を不恰好にかかえた老若男女の遍路仲間がいた。四国で出会えば気軽にあいさつを交わすのが遍路同士だ。だが、ここ東京駅の雑踏では、明日からの旅に思いを馳せ、あるいは連休前にし残した仕事のことを考えながら、それぞれが寡黙に定刻を待つ。

    この貴重な休日に一ヶ月前から予定を定めて切符を確保し、連休中に逃げられぬ仕事が入りませんように…と祈るような気持ちで待ってきた。雑踏の遍路仲間を見ながら、無事旅立ちの日を迎えた安堵と興奮、そうまでして遍路に行く人それぞれの切実さを思って、小さな連帯感を覚えた。

    バスは定刻に発車したが、出発してまもなく進まなくなった。翌日から始まる大型連休を控えて高速道路は大渋滞である。事故なのか、パトカーのサイレンも聞こえる。

    今回の僕の遍路は3巡目にあたるので、コースから離れた別格も回るつもりである。初日となる明日は1番から6番安楽寺までの予定で、番札所だけなら余裕の行程だ。だが山の上にある別格1番大山寺への往復も含めて約25キロの行程を考えると、なるべく早く1番霊山寺を出発したいと思っていた。

    徳島駅着定刻は明朝5時18分の予定だが、最初から気をもむ旅立ちとなった。バスは少しずつ進み始めたが、夜間は窓のカーテンを閉めて走るので、どこまで来ているのか皆目見当がつかない。

    5月1日(土)

    翌朝、バスは1時間半遅れで徳島駅に到着した。駅のホームの売店でおにぎりをゲット、ガラガラの高徳線の車内で朝食とする。

    板東駅の待合室で遍路装束の身支度中のご夫婦に「おはようございます!」と声を掛けていよいよ出発。遍路宿が並ぶ参道の突き当たりに、懐かしい霊山寺が見えてくる。白装束のお遍路さんがひっきりなしに出入りしているのが見えた。初遍路は8年前、5月の連休も終わったあとの、いわばシーズンオフだった。そのときはお遍路の姿が予想外に少なく、当惑したことを思い出す。

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