4日目(8月7日)、43番明石寺では、大きなザックを背負った遍路がいたので歩き遍路かと思っていたら、後から自転車で会釈しながら追い抜いていった。宇和の旧道を歩いていると、集会所の前の空き地に台車に白衣をかけ、荷物を広げている遍路がいた。「こんにちは」と声をかけたが会釈だけで、足の手入れに余念がない。
次には、向こうから逆打ちの遍路がやってきた。「逆打ちですか。大変ですね」と声をかけたが、「はぁ。お気をつけて」と足を止めることもなく行ってしまった。
この3年で、歩き遍路同士はずいぶん素っ気なくなった気がする。1996年、僕が歩きはじめた頃は、歩き同士はたいていおしゃべりをして情報交換をしたように思う。もちろん、「なぜ遍路に出たのか」などといった立ち入った話題は、出るとしても何度か出会って親しくなってからだ。でも宿の評判、道順の注意、寺の批評など話題は尽きない。ところが、昨年初め、妻と二人の2巡目を始めてみると、どうもみんな素っ気ない。こちらが二人連れだからなのかと思っていたが、今回ひとりで歩いてみても同じだ。ガイドブックがたくさん出版され、インターネット上にも情報があふれているから、いまさら人と話すまでもないということなのか。少し寂しい。
話は前後するが、3日目、三好旅館に向かう途中、尋ねもしないうちから道を教えて下さるおばあさんがあった。「こっちを行くと近道だから」と指さすのでどんどん行こうとすると、一緒に歩いて案内してくれるようだ。足を緩めてしばらく一緒に歩くことになった。
問わず語りに「近頃は、お遍路さんも色々だね。」という。お賽銭をあげようとしたら「金なら、たくさん持ってるからいらない」と言われたそうだ。
こんな勘違いの輩がいるから「遍路の質が落ちた」と言われるのではないか。お賽銭はあなたにやるんじゃない。「私の代わりお参りしてね」という気持ちのあらわれと思わなくてはならない。信心があろうとなかろうと、遍路姿をして四国を歩く以上は、その「役割」を果たすことが最低限の責務ではないかと思う。
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