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![]() | ![]() | くしまひろし |
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とりあえず足の痛みは落ちついているが、どこまで歩けるかは不安である。捻挫しているのに何十キロも歩くのは無謀かもしれない。でも、ここまできて中断するのは惜しいのでとりあえず出発する。途中何箇所かJRの駅に近いところを通るので、具合悪ければ中断しよう。
阿瀬比から平等寺へ
遠くKさんの後ろ姿が見える6:45発。竜山荘の方から坂口屋の前を通って行った歩き遍路の人がいた。Kさん以外の歩きの人に初めて出会った。
7:20 阿瀬比からへんろ道に入る。しばし舗装道路から解放されほっとする。雑木林と水田の間の道を行く。
道中には3種類の道しるべがある。
一番目立つのが「四国のみち」という建設省がたてたもの。
次が「へんろみち保存協力会」のたてた道標やシール。
そして昔からある「へんろみち」と刻まれたへんろ石。
だが、「四国のみち」はどちらかと言えば一部車道を優先しているところもあり、同じところにある「四国のみち」と「保存協力会」の道標が別々の方向を示していることもあった。「保存協力会」の示す道の方が車が少なく歩きやすい。
「四国のみち」系統では地図が設置されている所もあるが、これがいかにもお役所的である。地図がどちら向きに設置されていようとも、上が北なのである。だから、道の実際の方向と地図盤面の方向が逆転しているところもある。
「四国のみち」の地図
頑に「北が上」になっているので
実際の方向と盤面の方向が逆
町の中や水田地帯などでは、保存協力会の丸いシールが電柱やガードレールに貼ってあり、道が間違っていないことを確認できて心強い。
へんろみち保存協力会の道標
山道の所々には、木々の枝に「へんろ道」とか「南無大師遍照金剛」とか「がんばって下さい」と書かれた10センチくらいの金属札が下がっている。金属札には個人名と日付も書かれており、保存協力会主催で毎年整備しているようだ。木の枝も成長したり枯れたりするし、金属札も錆びてしまうので、こうした活動を継続していくのは大変なご苦労だと思う。春と秋には草刈りを兼ねた巡拝団も催されるとのこと。
ただ、この金属札に書かれる言葉の中にはちょっと気になるものもある。
「雑草のように」 「だますなら最後までだませ」 「自己の行為を美化するな」何だか暗い。そう言えば、五百羅漢の堂の壁にも、誰かに金をだまし取られた経緯を延々と記載した古文書が貼ってあった。他人への「恨み」を自分自身の「修行」に置き換えることによって不満を自己満足に転換しているような気がする。こういう雰囲気は僕が遍路の周辺であまり好きになれない部分だ。
ただ、この一週間で僕が再確認したことは、「遍路」に人が期待し、またそれから得るものは人それぞれだということだ。現代のお遍路さんは、概して陽気である。日本の宗教的風土は、信徒とそれ以外の人との間に明確な境界線を求めようとしない。遍路服に身を包み、お接待をうけ、札所でまねごとの礼拝をし、金剛杖をついて歩いていると、空海伝説にも仏教説話にも違和感なくひたることができる。そして、人々の「善意」だけが心に残る。
8:40 22番平等寺。足の調子はいいようだ。小型トラックの若い人が、「日和佐は遠いよ。乗って行きませんか」と声をかけてくれる。ありがたいことだが辞退。 10:20鉦打橋をへて国道に入る。あとはこの山の中の国道をひたすら15キロ行くだけである。歩いている人は他に誰もいない。だから、店はおろか自動販売機も何もない。人に出会ったのは道路工事の人だけ。だんだん足取りも重くなる。「喫茶店○○あと10分」などという看板があるが、それは車で10分ということであって、要するに10キロも先なのである。
11:40 星越トンネルを抜けると初めて店があった。星越茶屋。親子丼を頼む。店内には、これまでにここを訪れたお遍路の納札やへんろみち保存協力会のポスターなどが貼ってある。近所の人も食べに来る。少し遅れてKさんがやってきた。お接待のコーヒーがうまい。久しぶりのコーヒーである。店の娘さんにKさんと並んで写真をとってもらう。12:25出発。あと10キロ。ガンバロー!
星越茶屋 とにかく歩く。国道にはほとんど遍路道の道標はない。人とも出会わない。大型車がびゅんびゅん走り抜ける。歩く楽しみというよりは、せっかく歩き遍路をしているのだからここだけ交通機関を使いたくはないというこだわりだけで路肩を歩く。日陰が欲しい。やっと昔使われていたらしいバス待合所のような小屋を見つけて一休みする。靴を脱ぐと、靴下から湯気が立ちのぼるようである。靴下も脱いでほっとする。生ぬるい水筒の水を味わって喉に流し込む。捻挫したところは、ぱんぱんに腫れているが、それほど痛くない。湿布が効いているのか、軽傷なのか、重症すぎて麻痺しているのかよくわからない。とにかく出発!
14:40 徳島県の最後の札所第23番薬王寺に着いた。しばし「やり遂げた」という感慨にひたる。納経を済ませ、山門で待っているとKさんも出てきた。Kさんはここで一泊して帰るという。道中は、「日和佐で乾杯するのが楽しみだね」などという話をしていたが、Kさんも疲労が見える。早く宿を決めてすぐ寝たいという。なごり惜しいけれど、握手をして別れた。
第23番 薬王寺 一人で歩いていて道の方向に自信がないとき、後に先に、Kさんの金剛杖がバシッバシッと地を打つ音が聞こえるとほっとしたものだ。また、太龍寺からの降り道でちょうど出会ったことなど思い出は尽きない。
JASに電話をして帰りの便を予約する。徳島駅からのバスの時刻も聞く。とにかく日和佐駅にいく。ショック! 徳島方面行きは行ったばかり。次は45分後16:14である。しかも徳島まで1時間半もかかる。改めて、結構な距離を歩いて来たんだと感じる。荷物を整理したり、遍路服を脱いで元の服に着替えたりして俗世間に戻る。17:47徳島着。
今度はちゃんとバスの時刻を確認済である。乗換時間は3分しかない。バス乗場に走りぎりぎり17:50発の空港行きに飛び乗る。バスの最後部の座席の青年二人の会話が聞こえてくる。どうやらジャストシステムの会社訪問をしてきたらしい。一人の学生は、「ジャストシステムほど自分の方から就職したいと思った企業はない」などと興奮しながら話している。
帰りはちゃんと荷物を預けた。菅笠と金剛杖も預けた。搭乗待合室で徳島特産のちくわをかじりながら、一週間ぶりのビールを飲む。うまい!
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