掬水へんろ館目次前日翌日著者紹介
掬水へんろ館ウマヤドの自転車遍路1人旅《8月21日 - 19日目》
10時出発。今日は荷物をホテルに置いてポシェットだけ。
あまりの快適さに8時まで寝てしまった。
朝食というより、ブレックファースト。
レストランでトーストとベーコンエッグ、コーヒー。目玉焼きは
オーバー・イージィ(上も焼いて黄身は軟らかめに)などと注文をつけている。

荷物には替えのジャージとサドルパンツ、Tシャツと短パンきりなかったので、
昨夜、町に買い物に出た。ジーンズとボタンダウンのシャツ、スニーカー。
88番が終わったら、ホテルから宅急便で自転車を返し、
飛行機で帰るつもりになっている。
そろそろ社会復帰の練習をしなくては。

国道33号(33とルート11の区別がつかない。遍路の地図には11、
普通の地図では33、どちらかがバイパスなのだ)を鬼無(きなし)まで戻り、
鬼無農協から遍路道を上る。
高松西高を抜け、赤子谷へ。

ここは五色台という台地。
青峰が82の根香寺(ねごろじ)、白峰が81の白峰寺。
ここも自転車にはきつい。
ペットボトルを3本開けてしまった。あと1本。
水場がない。お店がない。自販機がない。真夏がカンカン照っている。

高松から14キロ走って81と82の分岐点に出る。
オレンジパークというのがあるけど、閉まっている。
水が欲しかったので近い82へ逆打ちすることにした。
2キロ先の八十二番・根香寺に着いた。
古くて大きく、美しくて静かな寺だ。
誰もいる気配がない。何度も弾みをつけて鐘を撞いた。
グオ〜ン…という荘厳な音色が森の中を駆けまわる。余韻が消えると蝉が鳴きだした。
お水取りに辿りついたが、残念、飲める水ではない。
桔梗の花が小さく揺れている。
手を洗い、ボトルの水で口を湿してお参りする。

般若心経を読んでみる。
昨夜、高松の書店で買った本。
お経を唱えるという感じではなく、朗読だ。
渇きで声がすぐ裏返しになる。でも最後までいけた。
門前の大きな牛鬼(うしおに)の石像に、また来るねと言い訳をして、
逃げるように走り出す。水が欲しい。熱射病寸前で頭がクラクラする。
坂を下りたところで後輪がパンクした。

昨日の帰り仕度がいけなかった。
御大師様に叱られている。
遍路を甘くみてる。お前は最後まで駄目な奴だ…。
タイヤをはずし、チューブを取り替えていると、寺の子坊主が自転車で近づいてきた。

「おじさん!」
「…雄二君か?どうした、その頭」
「今治で床屋さんに泊まった」
「バリカンのお接待、そうか」

暴走族遍路だった雄二君の茶髪は丸坊主。
白衣を着て見事に変身している。
白峰寺で詰めた水をご馳走になった。断って頭と首を湿した。
一緒に83番をお参りすることになった。
終わった81番もつき合ってくれる。
雄二君は根香寺に、チューブを替えた僕は白峰寺に向かった。

また逢えるとはうれしい。
最初は3番の金泉寺。原チャリで「南無」の幟を持った特攻服姿。
2回目は土佐清水から38番、金剛福寺へ向かう途中、茶髪に自転車。
そして82番。今治のガススタンドで3日間バイトしていたんだって。
自転車を押しているうちに、雄二君と合流した。
峠の茶屋「道草」が開いている。雄二君が大盛りのカレーをおいしそうに食べる。

「あいかわらず、お経は1行?」
「2行!」
「2行になったの?」
「色即是空(しきそくぜくう)と空即是色(くうそくぜしき)。
フランス人の面白いお坊さんに逢った。意味も教わった」

雄二君の話が面白い。

44番大宝寺に向かう途中、内子の先、長岡山トンネルの中で、急に寂しくなり
「色即是空!」と叫んだ。すると「空即是色!」と返ってくる。不思議に思って、
もう一度叫んだが、やはり同じことを繰り返す。トンネルは暗くて訳がわからない。
怖くなって夢中で走ったらトンネルを出たところで、こけた。
あとから自転車で来た人が傷の手当と曲がったハンドルを直してくれた。
外国人のお坊さんだったので、「サンキュー」と言ったら
「サンキュー、ちゃう、メルシーや、わて、フランス人やで」と言われた。
それから2日間、大阪弁で喋るフランスの修行僧、ジャンと一緒に走ったということ。

雄二君が楽しそうに笑う。

「ジャンって面白いんだ。フランス語でアイラブユーを、ジュテームって言うらしい。
ジュテームだからジテンシャって覚えろって。
発音が似ているから、フランスの女に逢ったら早口でジテンシャって言えば
キスしてくれるって。ほんとかな?」
久しぶりに大声で笑ってしまった。

ルート180・五色台線を根香寺から8キロ走り、八十一番・白峰寺に。
鐘を撞いた。雄二君はここを終わっているので見ているだけ。
鐘は2度撞いてはいけない決まりがあるようだ。
ここの水は冷たくておいしい。お茶のお接待まである。
山岳信仰のお寺はほんとに素晴らしい。
白峰寺も根香寺も何度も武士との戦いで焼けたという。
大勢の人が亡くなっているのだろう。悲しいことだ。

ルート180を6キロ下って11号を左折、国分寺役場前を右折して39号に。
500メートル先の「新名」の交差点を左折、香東川、御坊川を越え
高松南高のそばの八十三番・一宮寺に着いた。白峰寺から15キロの町の中の寺。

ベンチに座って雄二君に「色即是空」の意味を教えてもらう。

「色(しき)は人間の考え。空(くう)はないものの考え。
ないものが考えるの?ってジャンに聞いた。
そしたら人間に見えるものなんかほんの少しなんだって。
ユージ、プランクトン見えるか?白血球、見たことあるか?
あるわけないじゃん。
そうやろ、白血球は敵と味方を見分ける力がある。
ばい菌だと戦い、そうやないものは受け入れる。
考えている。人間が「ない」と思っているものが考えているんや。
「人間」の考えは「ない」ものの考えと同じ、
そやかて、つまらんことで、くよくよ、するな。
人間は、ばい菌と同じや。ジャンがそう言った。
それ聞いたら、大介が死んだこと、悲しくなくなった」

雄二君とはここで別れた。
彼は先に行き、僕は高松に戻る。
東京のアドレスを渡そうと思ったけど、やめた。
彼とは4回目の出逢いがある。
日常の座標の中で逢うより、きっと素晴らしいものになるだろう。

「自転車、好きなんだ」
「好きだ」
「おじさん、いくつ?」
「53」
「そう、えらいね」
「えらいか。雄二君はいくつだ?」
「15」
「そうか、えらいな」

えらいなどと言われたことがない2人が笑った。
バイブレーション。氣がかよう。
今日は56キロ走った。総計1430キロ。
ホテルのバスタブ。
お湯につかって、ふくらませたチューブのパンクを調べている。
四国遍路目次前日翌日著者紹介