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掬水へんろ館ウマヤドの自転車遍路1人旅《8月20日 - 18日目》
8時30分、出発。
慣れてきたせいか出発時間がだんだん遅くなっている。
11号沿いの旧道を5キロ、七十番・本山寺(もとやまじ)へ。
走っていると五重塔が見えてくる。
平地にあるので石段もなく、すうっと山門をくぐる。
大師堂で般若心経を唱えている人がいたので並んでお参り、般若心経を聞いていた。

〜とくあのくたら、さんみゃくさんぼだい〜
あれ?これって、昔やってたテレビのアニメ、
レインボーマンが唱える呪文じゃないの。
アニメのレインボーマンと得耨多羅三藐三菩提という難しい漢字が
似合わないところがおかしい。
思いだし笑いをしながら走っていたら、こけた。

靴の底にビンディングを付け、ペダルと直結している。
スキー靴と同じだ。こうするとペダルを押すだけではなく、引く時も力が出る。
外すのは簡単なのに、くだらないことを考えていたので横に倒れた。
膝をすりむいただけですんだ。集中、集中。

ルート11を10キロ走って、鳥坂を左折、いっきに下る。
帰りはこの道が上りになると思うと爽快感がない。
1キロ下ってから上り。
七十一番・弥谷寺(いやだにじ)は標高400メートル近い弥谷山にある。

無人のお堂に自転車を置き、歩いて登った。
神奈川県伊勢原市から来た歩き遍路と一緒になる。
…2回目の遍路だけど、歩いているうちに寺の観光化が疎ましくなって、
番外も回るようになりました…番外は風情があって素晴らしいです…
納経しないんだったら番外も行くといいですよ…
この先に番外・海岸寺があります…おかげでここまで40日、
帰ったら会社に席があるかどうか…。

弥谷寺は、とんでもないところに来てしまった、という雰囲気の寺だ。
森の中の参道、山門の手前に茶屋がある。
10時半到着。
ところてん、飴湯、氷イチゴとたて続けに食べた。
「あら、足が」。気がつかなかったけど、さっきの怪我で靴下まで血だらけ。
店のおばさまが包帯を持ってきて手当をしてくれた。ありがとう。

賽の河原、小石が積んである。幾つも。岩山を縫うように階段が続く。
岩をきざんでつくった大師堂にお参りをした。
先達(せんだつ・お遍路のガイド)に案内されてきたグループが、
おかしなことをしている。
「死霊を背負ってきたお遍路さんは、ここで霊を降ろすのよ。
さぁ、降ろしましょう。どっこいしょ!」
そう言って、背中にしょった霊を降ろすふりをして大師堂に置き、般若心経を唱える。
うん、なるほど。
白衣を脱げば普通の人たちだ。
どんな死霊を背負ってここまで来たのか。
僕も若くして亡くした友人たちをお参りしている。降ろしてみるか。
一人一人をイメージしながら真似をしてみる。
パソコン風に言うならダウンロードだ。
「死霊のダウンロード」。
なんか、凄いタイトルだな。

11号を東に5キロ走ると、我拝師山(がはいしざん)の麓に、
七十二番・曼陀羅寺と七十三番・出釈迦寺(しゅつしゃかじ)がある。
ミカン畑の中の小さな美しいお寺だ。
由緒ある寺も山門のすぐ横の電柱や送電線が邪魔をしていて、
その良さが読みとりにくい。

3キロちょっとで、七十四番・甲山寺(こうやまじ)に着いた。11時45分。
…どこから聞こえるのかな、都はるみの「北の宿から」…
走りながら気になっていたけど、原因はこのお寺。
お祭りでスピーカーから演歌が流れている。
この歌をバックに般若心経は難しいだろうな、と、笑ってしまった。
でも祭りは晴れやかで良い。
久しぶりに楽しそうな顔を沢山見てうれしかった。

2キロで七十五番・善通寺。総本山善通寺。全てに総本山が付いている。
コンクリートの太鼓橋を渡る。写経会道場というのがある。
信心深いお遍路さんにはありがたい聖地なのだろう。

歩き遍路の学生が着ていたタンクトップ型の白衣が欲しくて売店に入る。
羽織の上につける裃みたいに、袖がなく脇の下が開いていて涼しそうだ。
「びゃくえ(白衣)というのですか?」「はくい、です」と、店の人に言われた。

トイレで着替える。抵抗もない。抵抗もない?
…遍路に馴染んだか、お前も…鏡の中の自分がそういう顔をしている。
声明(しょうみょう・沢山のお坊さんが一緒にお経を唱える)が、
蝉の声と一つになり微妙なハーモニーをつくる。
これはグレゴリオ聖歌に負けてないな、と、感心した。

寺の隣りの「きむら」でうどんを食べていると、
横のご夫婦が、お接待です、と「おにぎり」を差し出す。
びっくりして立ち上がり、深々とお辞儀した。最敬礼。
奥さんがくすくす笑う。そうか、合掌か。
お接待、慣れてないんで、と言い訳してうちとけた。
初めてサインする新人タレントみたいに、
おにぎりのお接待でようやくお遍路の仲間に入れたような気になった。

5キロ走って七十六番・金倉寺(こんぞうじ)。
乃木将軍に逢いにきた奥さんを公務中だからと
追い返した「乃木将軍妻返しの松」というのがある。

見越しの松が「お富さん」、見返しの松が「貫一・お宮」、
妻返しの松が「乃木将軍」。
若い人には、もう通じない世界か。

4キロで七十七番・道隆寺(どうりゅうじ)着。
山門に色とりどりの布がかかっていて美しい。
大きな犬が仰向けになって寝ている。

ディフェンスをつくって生きてきた。何かあるとすぐその中に逃げ込み、
鍵をかけてしまう。人の入り込めないところから「吠える犬」。
ディフェンスをはずし、人が自分の中に土足で入り込んでも、平気でいられる
逞しさがないと大人になれないよ、と言われたことがある。
あの犬にディフェンスなどない。そばに寄っても動かない。うーん。

七十八番・郷照寺(ごうしょうじ)へは予讃線の短い電車と並んで走った。
ルート11を8キロ、七十九番・高照院(こうしょういん)に。
白衣が汗で肌にからんできた。やっぱりジャージか。

ここは天皇寺とも言う。昔、神様と仏様と無理に別れさせたとか。神宮と寺院。
天皇は神側なので天皇寺という名前が使えなくなり、
高照院となった。わかりやすく言えばそうなる。
明治政府の神仏分離令。

ルート11のバイパス、33号を7キロ、八十番・国分寺に着いた。5時。
今日は58キロ走っている。
山門から奥まで100メートル近い、広いお寺だ。
石のレイアウトがきまっている。
スピーカーから琴の音が流れている。
甲山寺は都はるみだった。どっちも良い。

次の白峰寺は五色台を上って15キロ、今日はやめておこう。
80番まで来た。いや、来てしまった。あと札所は8つしかない。
85キロで終わってしまう。
1400頁の面白い本を読んでいて、あと85頁で終り、そんな感じになっている。
高松市に拠点を置いて、2日間かけてじっくり楽しもう。

電話帳を借り、一番大きな広告のホテルに予約を入れた。
国分寺から17キロ走り、京王プラザホテル高松に。
大きなシティホテルを見て後悔した。
ここは今の自分には似合わない。ベルボーイが駐車場に案内する。
ベンツとベンツの間に自転車を置き、派手な黄色のジャージとお尻にパットが入った
サドルパンツでフロントに向った。
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