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掬水へんろ館ウマヤドの自転車遍路1人旅《8月19日 - 17日目》
7時30分出発。
昨日の夜、ホテルの駐車場で自転車のメンテナンスをした。
ブレーキーシューが少し減っていたので締め直す。
きれいに磨いたから気持が良い。

11号線からルート192へ。
3キロ走り四国縦貫道をくぐって500メートル、寺の案内板を見て右折。
梅錦の本店があった。普通だったら1本、買っている。

バス停、三角寺(さんかくじ)口を右折、遍路道を上る。
傾斜が半端じゃない。降りては乗るの繰り返しだった。
車も大型は入れない狭い遍路道を2キロ半、やっと六十五番・三角寺に着いた。
山門までの石段もきつい勾配。ここにきた小林一茶の句を振り返る。

「これでこそ 登りがいある 山桜」
苦しいのではなく、登りがいがある、か。

飲み屋のカウンター。友人の話。
母の句集にね、こんなのがあった。
「散りきらぬ 花に遍路の 旅仕度」
遍路宿の玄関先、出発の準備をしながら、
母が庭先の花を見てたのかと、最初は思った。
でも母は遍路に行ってないんだ。
母が亡くなってからもう一度読んでわかったけど、
散りきらぬ花って自分のことだったんだな。
友人たちが亡くなっていくのに、自分はまだ散っていない。
そろそろ死出の旅路の仕度をしなくては…ということか。
遍路って、言ってみれば、死出の旅だぞ。

食欲がないとか、足がつるとか、水が欲しいとか、
徳島、高知と訳もわからず走り回っていた頃は
こんなこと、考えもしなかった。
愛媛にきて、自転車のペースもつかめるようになってきて、
自分のしていることがなんなのか、
何かがチラチラ頭を突っつくようになってきた。

三角寺から下り、梅錦の先を右折、ルート192を5キロ走る。
ここから旧道に入れば番外・椿堂になるが、寄らずに雲辺寺を目指す。
このあたりから境目トンネルまで5キロ上りっぱなし。
トンネルを越えると徳島県。雲辺寺は徳島県、池田町にある。
3キロ先の県道8号を左折、佐野の遍路道に。
曼陀(まんだ)トンネルから右に入り
六十六番・雲辺寺(うんぺんじ)までとろとろ上った。

サハリという言葉はスワヒリ語で、
「生まれたところに心を残して旅に出る」という意味だ。
望郷というのか。
旅というのはもともと狩猟民族の考え方で、
土地に縛られていた農耕民族の日本には、
本当の意味での「旅」という感覚はないのではないか。
いくつかの例外を除いて。

親分に破門され、見知らぬ町へ一宿一飯した「やくざ」の「股旅」。
山頭火や芭蕉の、死ぬまで続けた「遊行」。
高齢や病気で家を出され、果てるまで歩いた昔の「遍路」。
みんな死出の旅だ。
やくざと遍路を一緒にしたら叱られるか。

空に幾つも花が浮いている。
赤、青、緑、黄色。パラセールだ。
雲辺寺山のスロープと風を使ってこんな楽しみ方もあるのか。時代は変わる。
ロープウエイが出来たので、昔の難所も今はすっかり観光地。
お水取りはセンサーつきで、手を出すと自動的に水が出る。
四国の夏は水が足りない。

雲辺寺から北東に32号線を目指し、5キロ先の野呂内(のろうち)小学校で左折、
県道6号の細い峠道、薬師寺峠のアップダウンで息が切れた。
ロープウエイに乗ってみたかった。
10キロ走って377号線に出る。
左折して2キロ走り農面道路を入って六十七番・大興寺(だいこうじ)到着。しんど。
ルートの取り方を間違えたかも。県道8号を走ったほうが楽だったか。
樹齢1200年という栢(かや)の木が凄い。楠も大きい。
雲辺寺にはあんなに人がいたのにここは静かだ。
お参りしてからしばらくベンチで横になった。
ここから香川県。
徳島・発心(ほっしん)、高知・修行、愛媛・菩提と終わって、
ここは涅槃の道場ということ。
出逢った懐かしい顔を思い出す。

大興寺から北へ。
377号を横切り、県道6号を左折、観音寺に向かう。
予讃線、観音寺の駅を過ぎて財田川を渡ると琴弾公園に並んで、
六十八番・神恵院(じんねいん)と六十九番・観音寺(かんおんじ)があった。

駅の近くに「サニーイン」というビジネスホテルを見つける。
シャワーを使い、観音寺の町に出て、
「まり」という名のうどん屋で天ぷらうどん(450円)を食べた。
それにしてもかわいい名前のうどん屋だ。
今日の走行距離は67キロ。総計で1300キロをこえた。
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