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掬水へんろ館ウマヤドの自転車遍路1人旅《8月6日 - 4日目》
7時、金子屋を出発、二十一番・太龍寺を目指す。
尾根伝いの遍路道と、車の道のチョイス。車道を選んだ。
県道16号線を立江寺方向に引き返し、22号線に入らなくてはいけないのに、
それを通り過ぎ、10キロ走って気がついた。戻りを入れれば合計20キロのロスだ。
これも試練か、単なる方向音痴か。

持井橋を渡って戻り、加茂谷橋で那珂川を渡る。景色が素晴らしい。
坂口屋を右に折れて急な遍路道を上る。
昨日、立江寺で逢った長野のお遍路たちが下りてくる。
あと3キロよ。頑張って。なんか、うれしいな。ありがとう。

11時、ついに二十一番・太龍寺(たいりゅうじ)に着く。
素晴らしく美しい寺だ。あじさいが咲いている。山の霊気を感じる。
宿を出て3時間半もかかった。金子屋をほとんど同時に出た歩き遍路に逢った。
道を間違えるとこうなる。彼は尾根伝いに歩いたそうだ。大師堂にお参り。
実のところ、何をお参りして良いのかわからない。
足が持ちますように、自転車が壊れないように、などと
自分に都合のいいことばかり祈ってる。
ベンチで話しかけてくれた人が、お遍路をやれば、
3年は気力、体力が充実すると言った。
そうであって欲しい。

1時、二十二番・平等寺に到着。下りが続くので自転車にはうれしい。
風が快よくジャージの汗を気化してくれる。
行基の句がある。

「山鳥の ほろほろと鳴く声聞けば 父かとぞ想う 母かとぞ想う」

ふと、亡くした父の顔が浮かんだ。そうだ、父の供養をしよう。
やっと、何をお参りするのかがわかってきた。
自転車が壊れないように、だって?空海さん笑ってるよね。
生まれてまもなく死んだ妹、小学生の時、川で溺れた高島、
中学生の時、母親と一緒に屋台を手伝っていて交通事故にあった吉岡。
高校生で自殺した金子、大学の時、一緒に映画を志した小林、
ロバート・B・パーカーの面白さを教えてくれた石崎、
キルトを日本に広めるんだと熱っぽく語った野原…。
若くして夭折した友人たちの顔が次々と浮かんだ。
よし、彼らを供養しよう、でも供養ってどうすれば。
般若心経も知らないし。

平等寺から日和佐に向かう月夜峠で考えた。
故人の求めるものを求めよ、という言葉がある。
あの時点で亡くなった彼らが今生きていたら何をしていただろうか?
彼らの人生を自分で追体験するのも供養ではないか…などと勝手なことを考えてる。

また長野から来た遍路たちに逢う。花ござを敷いてお弁当を食べていた。
缶コーヒーをご馳走になる。お札をくれた。住所が書いてある。
お札も持ってないので住所を書いて渡した。
今日は二十三番・薬王寺まで行って、ホテル千羽に泊まるけど、
あそこの温泉はいいから頑張ってそこまで行けば?と言われた。
約束は出来ないけど、行けたら行きます。
なんか、やっぱり、うれしい。3回も逢った。これは因縁というものかもしれない。
長野の学校の先生とサークルの人たちだって。
55号線の久望トンネルを出たところで一休み。
物凄い交通量で恐ろしい。これが現代の曼陀羅か。
二十三番・薬王寺で初めて供養らしいことをした。
今日は67キロ走ってホテル千羽に着いた。
遅かったので長野の人たちには逢えなかった。

疲れがピークだ。食欲がなくって、食事が出ても食べられない。
天ぷらの出汁や刺身の醤油にお茶を入れて飲んだ。後は何も受け付けない。
そういえばここまで昼飯を食べていない。食べられない。
うんこまで脱水状態になっている。これまでか?

温泉でわたり(とび職)の人から、「あんた、自転車?」と言われた。
「何でわかるんですか?」
「だって、指先だけ陽に焼けてる」
そういえば、指先をカットしたグローブをしているので、指先だけ陽に焼けてる。
明日はグローブをやめよう。人からそんな指摘されるのはうれしくもない。
もっとミステリアスなほうが、という雑念が走る。よく足を揉めと言われた。
でも、「俺はわたりだけど、あんた自転車遍路だね」と言われて
「わたりって何ですか?」と質問した自分が恥ずかしい。
鏡を見て驚いた。頬がこけ、瞼が2重になり、目が奥目になっている。
陽に焼けているのでインドの人みたいだ。
限界かな?足が痙攣する。
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