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掬水へんろ館ウマヤドの自転車遍路1人旅《8月3日 - 1日目》
17時間かけ、昼12時30分、フェリーは徳島・津田港に着く。
昨夜のイライラも和食定食を食べたところで忘れた。テンションが高い。
ブルブルしている。なんだこれ、というくらい自分ではない。
自転車を船から降ろそうとして後ろから肩を叩かれた。
「それ、僕の自転車です」なんだ、なんなんだ。ポリタンクが同じ
ジャイアンツだからって間違えるなよ。おまえのバイクはアラヤの
クロスバイク。舞い上がってる。落ち着け。

大地に踏み出す。大地が揺れている。自分が揺れてるんだ。さぁ、走ろう。
愛車にまたがって、後輪がパンクしているのに気がついた。
ポンプでエアを入れてもすぐ抜ける。
ちゃんとメンテナンスしないと、これからどうなるか。
「すいません、この近くに自転車屋ありませんか?」
かっこわるいな。荷物をキャリアに積んで押して歩く。暑い。
4キロ先に自転車屋を見つけた。
「パンクじゃないね、バルブの調整がいけない」
そんなことなら自分で出来たじゃないか。ふっと、お接待という
言葉が浮かんだ。このくらいならお接待で只になるかも…。
「千円です」
なんてこと考えたんだ。恥ずかしい。

気をつけて行けとも、どこに泊まるといいとも何にも言ってくれない。
もう少し親切かな、と、思った。本を読むとそういう出逢いが書いてある。
でも、他の人たちの日常に横滑りしてきて、何かを期待するのは
駄目だってことか。甘い。
徳島の市内に向かって3キロ走って、あっ、ポシェット、自転車屋に忘れてきた!
お金もなにも大切なものが入っている。戻るなんて、もう、空海さん、
試練ならもっと、楽なことにしてくれ。何でこんなこと…。

舞い上がり、もう一発。
吉野川の土手を降りて、すぐ。喉がかわいてしょうがない。自販機を探す。
すると、あった。20個ほどの自販機が並んでいる。
祈りは通じるものだと感激した。
お金を入れても出てこない。他をやってもだめだ。軽く叩いてみる。
奥の事務所から女性が出てきて、くすくす笑いながら、
「うちは自動販売機の会社で、そこにあるのはモデルなんですよ」だって。
そういえば、富士冷熱株式会社という看板がある。
冷蔵庫から氷水を飲ませてくれた。ありがと。
でも、なんて舞い上がりなんだ。

津田港から22キロ走って一番・霊山寺(りょうぜんじ)についた。
22キロというと、東京ー横浜くらいあるのかな、と自分を甘やかす。
真夏の昼下がり、境内は10人を数えるだけ。池の鯉が
暇そうにあくびしていた。
売店で白衣とか、地図とか…いらない。いつやめるかわからないもの。
気持ちはルーズ、飲み屋で友人に見栄はった時と変わっていない。
「納経だって300円を八十八所だろ、そんな金あったらうまいもの、
食った方がいい。傍観者だよ。疲れたらそこで終わり。帰ってくる。
客観的にお遍路体験をドキュメントしてみるさ」などと、偉そうに。

二番・極楽寺までは5分もかからない。慣れない手つきでお参りのふり。
蝉が鳴く。大師堂の前でお遍路さんがしゃがみ込んでいた。
何か訳があるのかとそばに行ってみたら、近所のおばさんが
草取りしてただけのこと。
とにかく誰にも逢わない。
こんなに暑い夏。夏はシーズンオフだって。
少年の頃、セミ取りに行った寺が目に浮かぶ。

三番・金泉寺(こんせんじ)に向かう途中、中学生の暴走族遍路に追い抜かれた。
茶髪に「南無」の幟。原チャリ2台に4人。なんだ、あいつら。
あんなのもいるのか…。
金泉寺。階段で遊んでいた彼らに写真を撮ってくれとカメラを渡された。
うんこ座りの特攻服姿。おい、そんな顔しないで、もっと普通の顔!
とたんに普通の中学生のあどけない顔になる。きれいな目をしている。
友だちが事故って、それで供養してるんだって。そうなんだ。

四番・大日寺に向かう道は田舎の町から少し外れて山に続く細い遍路道だ。
猪の飼育場があって、かわいい顔が寄ってくる。奥のスクリンプラーで遊ぶ
猪たちの背中に虹が見えた。そうか、虹を背負って生きている動物も
いるんだ。負けた。帰ったら、「猪を食べてはいけません運動」をしなくては。

再び舞い上がり。道を確かめようと、田んぼの奥のおばさんに声をかけたが
返事がない。よく見たら案山子だった。
これって、サザエさんのギャグじゃない。
初日の興奮が自分の座標感覚をとっぱらってしまった。
そこにいるのは大人の自分ではなく、ただ一人のいんちき遍路なのだと、
走っているうちに気がついた。
大日寺のお水取りはキングギドラみたいなのが玉をくわえている。
頭に網を被っているのがおかしい。
ここから3キロ走って、五百羅漢の五番・地蔵寺。

ほとんど下りなので、風が気持ちいい。
県道12号線を6キロ走って六番・安楽寺に着く。何か無我夢中で走っている。
そろそろ今日はどこに泊まるか、心配になってきた。
予約はないし、明るいけど5時を過ぎている。
1キロちょっとで七番・十楽寺に。
初めてお遍路の団体を見た。近畿ツーリストのバスで到着した観光遍路。
温泉に行くような雰囲気で宿坊に入っていく。
バスの運転手に、ここに泊まれば、と勧められたが、
何となく遠慮したい感じだった。もう少し行ってみよう。
どうせ御朱印はいらない旅だから、納経所が閉まっていてもかまわない。

寺には、おいしい水とそうでないところがある。
金泉寺はおいしかったけど、大日寺の水は少し濁っていた。
十楽寺は水の出も細く、お水取りに蜘蛛の巣がかかり、ボウフラが涌いていた。
シーズンオフなので「ま、いいか、状態」の寺があるのもしょうがない。
でも、夏の遍路は水が命だ。後で書くが、柄杓の底にバーコードが張ったまんま
というのには、さすがに腹が立った。 
バーコードくらい剥がせっつうの!

6時前、八番・熊谷寺(くまたにじ)に着く。上り坂が多くて疲れた。
寺前の看板広告を見て十番の切幡寺の門前、坂本旅館に電話した。
5000円でOKとのこと。ひと安心。
6時過ぎ、九番・法輪寺着。寺の人が若い女性と親しそうに話している。
一句出来た。「法輪寺 坊主恋して ホーリンラブ」はい、はい。
熊谷寺からはほとんど下りで楽だった。法輪寺、この寺は風情がある。好きだ。
寺の人が、「納経するの?」「しません。あの、切幡寺へは?」「看板読めば!」
この寺は嫌いだ、などと自分勝手。
 
6時30分、十番・切幡寺に。自転車を置いて330段の階段を登る。
猫の声が悲しい。お寺に猫を捨てないで下さい。
坂本旅館の玄関にはナイキのエアマックスが、ひとつ。
食堂で逢った坊さんのものだった。客は僕と彼の2人だけ。
酒を断とうと思っていたのに、坊さんからビールをすすめられた。
坊主にすすめられて断れるか。ビールはおいしかったが、食欲がない。
ほとんど食べられなかった。昼も抜いている。
今日は53キロ走った。6時間、舞い上がりっぱなし。
洗濯して寝る。眠れない。明日もこんな感じだったら、帰ろ。
甲子園は1回戦で負け。最後の寺の砂をスパイクバッグに入れて。
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