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掬水へんろ館

32日目 1999年7月26日  薄曇り、時々晴れ(熱暑)、夕刻から雨

 今朝は曇りに加えて風がある。歩きやすそうだ。嫁さんは、まだ行ったことのない金比羅さんの階段を登りたいと言うので、今日は別行動になる。それなら、今日は一人で多めに歩いて距離を稼いでおき、明日の女体山は二人でユックリ歩くことにしよう。よし今日は志度まで行くぞと決めて、7時過ぎに幸荘を出た。

 香東川の河川敷のサイクリングロードを進むが、薄曇りで風があるのにヤッパリ暑い。それに、やたらに喉が渇く。40分しか歩かないのに、腰を下ろして休んでしまった。 香川県に入ってからは、ずっとこの状態が続いている。結願が近いため安心感で気が抜けているのだろうか? 体調がずっとおかしいのだろうか? それとも、暑さに身体が順応できていないのだろうか? いずれにしても、遍路完遂まであと3日。今日もガンガン攻めるしかない。

 8時45分に83番一宮寺を出て、屋島に向かう。高松の市街を碁盤に例えると、一宮寺は左下(南西)の角で屋島は右上(北東)の角になる。遍路コースは、左の辺を北上して高松の中心地を通り、上の辺を東に向かって屋島に至るようになっている。しかし、中心地の方へ行く気がしなかった。信号や交通量に加え、ヒートアイランド化した場所へ近づきたくはなかった。

 選んだルートは、碁盤を対角線に沿って進むコース。左右に曲がる回数はずっと多くなるが、向こうに見える屋島を目がけて進めばいいので、迷う心配はほとんどない。右に左に曲がりながら、細い道を選んで進む。路地を抜けたり、畑の間の踏み跡を進んだり、側溝の蓋の上を歩いたり、アパートの駐車場を突っ切ったり・・・・。楽しくなってきた。

 が、やはり暑い。歩くスピードは遅いままだ。宿に着くのは予定より遅れそうな予感がする。おまけに、空の雲が切れてきた。しばらく歩いて春日川の土手に出たら、風が通るようになって人心地つけた。が、今度は日陰がない。それに腹も減ってきた。一宮寺を出てからモーニングを食べたのに・・・。でも、腹は減っているが、それほど食欲があるわけではない。軽く流し込めるものが欲しい。

 国道に出て、ケンタッキーのお店に入ったが、パンにはさまれた肉もフライドポテトも食べられなかった。パンの部分とコールスローだけを何とか食べて、屋島寺に向かって登り始める。登りはヤバイかなと思っていたが、登りのツラさより日陰の快適さのほうが大きく、休みを入れずに登り詰めることが出来た。が、今日はもうヘロヘロだ。

 12時50分、84番屋島寺の本堂にお参りするが、息も絶え絶えの状態で、やたらに息継ぎが多いヘロヘロ読経になってしまった。ジュースを一本飲んで、来た道を帰る。山門前で工事をしていたオジサンが「あれ? 今来たところやのに、もう帰るん?」と声を掛けてくれたが、うなずくだけで、声を出して返事をする元気もなかった。

 下りの途中で、「そうか。屋島にはケーブルカーがあったんだ。乗って降りたいなー」と思った。こんなことは今まで一度もなかった。鉄道も、バスも、車も、ケーブルも、乗りたいとは全然思わなかった。というより、これらは歩き遍路の枠の外にあるもので、目に見えたにしても、自分にまったく関係のないものだった。それなのに、今日は見えもしない乗り物に乗りたいとは・・・。相当ヘロヘロになっていたに違いない。

 85番に向けて屋島の街を歩くが、なんとか持ちこたえている状態の、トロトロ歩きだ。14時すぎに、八栗の町にあるスーパーの軒下のベンチに座り込み、氷アイスを黙々と食べる。隣に座ったオカアサンが、「学生さん?」とか「今日はどこまで?」とか話しかけてくれるが、まともに返事ができない。目だけで「ゴメンナサイ」と答えるだけだ。

 「今日の登りは八栗寺まで。何としても行くぞ。歩き遍路の最終試験だ」と自分に言い聞かせて、坂道を上り始める。ケーブルの駅があっても、今度は乗りたいと思わなかった。ケーブル沿いの参道をユックリ休まずに登る。時間の感覚はなく、ただただ身体を上に向かって持ち上げる意識だけだった。

 15時過ぎ、85番八栗寺の山門が現れた。しばし放心。しばらくしてから思わず拍手してしまった。「よくやったぞ。スーパーから一度も立ち止まらずによくやった」 自分に対する祝福の拍手である。杖の握りの部分から下はベタベタに濡れていた。雨などではなく、腕から出た汗が流れた跡だ。一緒に頑張った杖がいとおしくなって、顔や腕を拭く前に、タオルで丁寧に拭き取った。

 本堂に続き大師堂にお参りしていると、後ろでクスクス笑いが聞こえる。振り向くと嫁さんがいた。金比羅、一宮、屋島と電車やケーブルを利用してお参りしてきたという。しばらく休みながら話し込んだ後、志度寺で17時に会うことにして、八栗から下り始めた。とにかくキツイ。急な下り坂なので、登り坂と同じようにキツイ。超ヘロヘロの身体を運んでなんとか下り坂を過ぎ、国道に出て、コンビニの前に座り込んでしまった。

 もう立つ気にもならない。腹はペコペコだが、やはり食欲はない。でも、何かを腹に入れなければと、「ヨイショ」と立ち上がってお店に入った。「ゼリー」これなら食べられそうだ。お店の外に出て、みかん粒が入ったゼリーを食べる。 ウマイ! 2口で食べてしまった。そして、もう一度お店に入り、ゼリーを買い足して食べた。

 ゼリーを食べたら、少し回復してきた。「あと3km。一気に行くぞ」 国道を離れると小雨が降ってきた。笠を脱いで雨に濡れながら歩く。急に回復してきた。ヘロヘロではなくなってきた。今日一番のスピードで、ラストスパートに入る。17時05分、小雨の降る86番志度寺の山門では、時間に遅れた僕を、嫁さんが心配そうな顔をして待っていた。

 今日はきつかった。いや、今日もきつかった。もし午前中が曇りでなかったら、もし風がなかったら、もし嫁さんに出会わなかったら、どこかでツブレていたんじゃないかと思う。しかし、最終盤に入って、いろいろなことを考えてまとめなければならない時期なのに、これではまるで徳島の修行の道場と同じだ。一日中ほとんど何も考えられなかった。Something great が「何も考えるな。低俗な答えを出すより、出さない方が身のためだ」と言っているような気もする。

 今夜は早く寝て身体を休めようと、8時前には布団に入った。が、嫁さんがいつまでも話しかけてくる。一ヶ月間離れていたのだから、その気持ちも解らないわけではないが・・・・・。電気を消す前に時計を見ると10時を過ぎていた。 「明日はいよいよ88番だ」 こう考えると、すぐには眠れなかった。

 この夜に見た夢は興味深いものだった。 「小さい子どもの時に見たような、山村の小径や小川や木の橋などを、登ったり下ったりしながら次々と通る。映像は、小鳥にカメラをつけたように、近づいたり遠くなったりしながら、これらを次々にに写していく。小径の途中にある祠や、鳥居や、石仏などには通し番号がついていた」 人物は一切登場せず、88ケ所ミニ版のイメージビデオのような感じだった。

 32日目 →36km、↑560m、50000歩、7:05〜17:20、高松市志度「いしや旅館」

<へばった時(全身疲労)>

 いつもヘロヘロになっていた僕が、この題で解説するのはおこがましいとは思いますが、一応一般的なことを述べておきたいと思います。何よりも、へばらないように歩くのが一番大事なことですが、へばった時には、運動量の抑制、休養、補給の3つがキーワードになるのではないでしょうか。

 まず一つ目は運動量の抑制です。僕のようにガンガン歩くことを喜びにする人には当てはまらないかも知れませんが、へばった時は、スピードを落とす、目的地を近くに変える、登りを避ける、荷物を減らす(預ける)・・・などして、エネルギー消費を低くすることが一番だと思います。それでも、へばってしまったら歩くことを諦めるしかないのでしょうか・・・。

 気力が支えになることはもちろんありますが、それだけに頼って歩き続けると、疲労が蓄積し、何日か後につぶれることになると思います。5日目から1週間前後が危ないのではないでしょうか。想像ですが、1番から通し打ちに出て途中で挫折する人は、おそらく徳島市から室戸あたりでストップするのではないかと思います。(19番立江寺が関所的な意味を持っているとのことですが、序盤のヘバリを確認するという意味が含まれているのではないかと推測しています)

 僕の場合は、徳島で5日間無理をしたため、疲労の蓄積でダメになりそうでした。が、リラックス日をつくって、距離の少ない日(運動量の抑制)を設けましたので、何とか最後まで歩けたのだと思います。

 二つ目は休養です。一番の休養は睡眠ですので、時間さえ大丈夫ならば、へばったときは昼間でも眠ってしまうのが良いと思っています。ほんの15分でも30分でも横になれば、スッキリすることが多いと思います。僕の場合は、昨日の白峰寺で眠って回復しました。必要以上に時間の長い休憩は、あまり効果がないように思います。目覚めていれば、不安や焦りが出てくるからだと思います。

 3つ目は補給です。大体は空腹感による、シャリバテとかハンガーノックと呼ばれるバテが多いのですが、これは血糖値の低下によるものです。ですから、血糖値が下がらないうちに、こまめに補給することが大事だと言われています。僕の場合は、終盤で暑さのため昼飯が食べられなくなることが多かったため、これが原因のヘロヘロがほとんどだったと思います。もう少し、オヤツをこまめに食べておけばと反省しています。

 おまけですが、覚悟や意志もヘバリに影響しているように思います。精神が身体のヘバリを抑えるのでしょう。また逆に、身体のヘバリが意欲を落とさせるのも事実です。この意味で、身体・精神の両方にヘバリがなく、お互いに良い影響を与えあう好循環の良好な状態が、最も大事だと思います。(と、書くのはとても簡単ですが、実践がいかに難しいか、今回の遍路で痛感しました)


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