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掬水へんろ館

18日目 1999年7月12日  雨、のち薄曇り

 6時前に宿を出た。天気予報は悪くなかったのに雨が降っている。強い雨ではないが、雨具を着た。しかし、雨具は暑苦しいので、ザックの上から肩に引っかけただけで、しばらく歩いた。雨が止んだと思ったら、また降り出す。降ったと思えば、すぐ止む。雨具を着たり脱いだりしていると、少しイライラしてきた。

 向こうから、水たまりの水をを蹴散らせて2台の自転車が勢いよく走ってきた。 「おはようございまーす」 2人の女子高生が、大きな声の挨拶と笑顔を残して走り去った。今までのイライラは女子校生とともに消えてなくなり、さわやかさが残った。そして、歩きエンジンに少しだけターボがかかった。

 宿毛から松尾峠への遍路道は山沿いを通っているが、雨が降っていたのと早朝で車が少なかったので、峠の入口まで舗装路を歩いた。松尾峠は急な一気登りだ。雨上がりの峠道は湿度が高く、汗が全身から噴き出してくる。厳しい登りを覚悟していたが、アッという間に峠に着いてしまった。

 県境に立ち、海を見ながら、修行の地・高知を打ち終えた感慨にふけるつもりだった。が、海が全然見えない。峠が雲にすっぽり覆われているのだろう。しかたなく、あづま屋のベンチに座った。静かだ。屋根のひさしから落ちる水滴の音が、竹の林に吸い取られていく。墨絵の風景画の中に入ってしまったような錯覚に陥った。神経はピリッとしているのに、心はとても静かで落ち着いている。ずっといつまでも休んでいたいと思った。

 9時に一本松の町を抜け、城辺町に向かって進む。人家がなさそうな横道から、30才台の奥さんが2人道路に現れ、僕の前を歩いていく。肘を曲げてリズミカルに振っているところをみると、きっとエクササイズ・ウォーキング(早足のトレーニング)をしているに違いない。時折、後ろを歩く僕を振り返るのは、スピードの確認をしているのだろうか。女性に負けるわけにはいかない。追い抜くのは無理なようだが、付いていくくらいはできるだろう。だが、登り坂になるとアッというまに見えなくなってしまった。ク・ヤ・シ・イ。 でも、いつも程ではなかった。ガンガンペースの功罪が分かってきたのかもしれない。

 城辺町に入って僧津川の土手を進む。何と表現すればよいのだろう、故郷へ帰った時のような不思議な感覚に包まれた。山と川と町並みがあるだけで、特にこれといった特徴があるわけではない。だのに、何か心に懐かしいような安らぐような感覚があった。 これは、風景に原因があるのではなく、僕自身に原因があるに違いない。だとすると、僕自身の変化とは? 修行の地を過ぎ、菩提の地に入ったせいなのか? 距離を抑えたために心に余裕ができたせいか? それとも、悟りの境地に近づいたのか?

 まさか、悟りの境地に入れるはずがない。禅僧は何年も座り続けても、その境地に入れるとは限らないと言われている。比叡山では千日間山々を回峰してその境地に入ると言う。たったの2週間なのに甘い甘い。スポーツの世界だって、1ヶ月で名選手になれるはずがないではないか。少なくても3年間くらいは歩き続けなければ、その境地に触れることは無理だろう。 だとしたら、故郷へ帰ったような気持ちは何によるものなのだろうか? わからない。

 乳母車を押しながら散歩する若い父親が前に見える。20才台に見えるパパは、歩きながら乳母車のポケットから缶を出して飲み始めた。うまそうだ。唾を飲み込みながら追い抜こうとして驚いた。ジュースではなく、ビールだった。まだ午前中だというのに。 あきれた。でも、うらやましかった。吹っ切るように急いで土手道を進む。

 橋を渡ると、大きなスーパーがあった。買い物をする気もないのに、中に入って売場を歩き回る。自分には、暑さを凌ぐために冷房の効いたスーパーに入るのだと言い聞かせていたが、実際は、少し都会的な雰囲気に触れたかったせいだと思う。ということは、それほど都会的でない所ばかり歩いて来たのだろうか? 高知、須崎、土佐清水、宿毛・・・。この1週間で市街地をいくつも通っているのに。 ずっと一人で歩いているので、どこかに人恋しさが出てきたのかもしれない。

 スーパーを出ると高校があった。南宇和高校。サッカーで有名な高校だ。スポーツの強い高校には興味がある。歩きながら中を覗いたら、体育館前を歩く体操服の女子高生数名に睨み返された。変な視線と間違えられたらしい。 『そんな興味じゃないんだけどなー。笠と杖を見ればわかるでしょう?』 心の中で言い訳しながら、姿勢を正して足早に立ち去った。

 12時ちょうどに40番観自在寺に着いた。この寺から、フリガナ付きのカンニング般若心経ではなく、母の写経そのものを読むと午前中に決めていた。本堂前で、「間違えても許して下さい」と断ってから読経を始める。3.4カ所は間違えるか中断するかと予想していたが、思いもよらず最後までスラスラ読めた。これは意外だった。ただの継続のせいなのか、それとも、これまでの読経に心がこもっていたせいなのだろうか。

 小学生の頃から、月に一度自宅の仏壇にお参りしてくれるお坊さんの般若心経を耳にしていた。が、「般若波羅密多」は「怖い顔をした般若のお腹を見た、というお釈迦さんはスゴイ人なんだ」という子供らしい理解でしかなかった。遍路に出ることに決めてから、般若心経に関する本を買って、その意味などを理解したばかりである。が、読経のたびに意味を再確認しようとしていたから、上手に読めたのかもしれない。

 うまく読経できて、気持ちよく40番を出た。まだ昼時で、宿まで残りは約8km。30kmの行程はとても余裕がある。ファミリーレストランで昼御飯を食べ、コンビニでおやつを買って御荘の運動公園に立ち寄った。ベンチに座って、缶コーヒーを飲みながらシュークリームを食べる。心の余裕があると食べるものがうまい。風も涼しい。瞼がいつの間にか閉じて、ベンチがベッドに変わってしまった。

 1時間ほどの昼寝のあと、宿のある室手に向かって進む。足は軽いわけではないが、午後にしては快調である。八百坂もあまり苦にならなかった。この調子であと1週間歩いて瀬戸内に出れば、88番が現実化してくるだろう。こう考えると、足がよけいに動くようになった。

 夜には、明日からの計画で悩んだ。ここから内子まで90kmあるのだが、それを45km×2日にするか30km×3日にするかの選択である。内子から先は宿がなく、内子から44番を経て45番までの50kmを一気に行くことに決めてあるので、この2通りのどちらかを選ぶ以外にない。身体の調子が戻ったのだから押せ押せで45km行くか、内子からのポイント区間を重視して30kmで抑えるか、簡単には決められなかった。

 体育会系ならば45kmという気持ちも強かったが、ここは安全策で30km×3日にしようという結論に落ち着いた。室戸での失敗が教訓になっていたのかもしれない。また、少しリラックスして後半のためにエネルギーを温存しようという気持ちも強かった。いずれにしても、日程的に計算が出来つつあるということだろう。

 18日目 →32km、↑460m、46000歩、5:55〜16:00、御荘町室手「民宿ビーチ」

<ポイント区間>

 長距離走などでは、その時期に必要な強い練習のことをポイント練習と読んでいます。この言葉を流用して、遍路中にもっとも重要視する厳しい区間を「ポイント区間」と名付け、事前から心の準備をしてきました。事前に想定したポイント区間は以下のものです。

1. 焼山寺越え ↑1400m
2. 徳島市→黒河(龍山荘)38km、↑1000m
3. 36番→38番の間に徹夜歩き
4. 内子→45番、50km、↑1200m
5. 88番→1番、45km(卯辰越えのランニング)

 ここまでに、1と2は苦しみながらもやり遂げることができました。3の徹夜歩きは、足の故障のために出来ませんでした。残っているのは4と5ですが、5はそれほど重要視しておらず、どちらかといえば出来ればいいなという程度でしたので、内子→45番の最長50kmはぜひ完遂したいと思っていました。

 ポイント区間は、歩く距離と積算登距離だけで選んだわけではありません。途中の宿の有無で決めたものもありますし、全体的な日程も考えに入れました。60番横峰寺も入れようかと思いましたが、ここは前後に宿が多く、宿泊の融通がききそうなので外しました。

 ポイント区間を設定したことで、その前後の宿泊が制限されることもありましたが、逆に、ポイント区間に近づくにつれて緊張感が増し集中力が高まるという効果もありました。毎日を同じようにダラダラ歩くのではなく、リラックス日は楽な日、ポイント区間は厳しい日と設定することで、全体的にメリハリのある行程になったと思います。

 僕の遍路行は、「現在の体力への自信」や「克服」がキーワードで、期限付きの体育会系遍路でした。ですから、異なる目的を持つ他の遍路にとって、ポイント区間の設定は必ずしも必要なものではないと思います。が、「ここは厳しいけど頑張って行くんだ」という気持ちが、そこまでの体調を整えさせるキッカケになったり、途中で落ちてしまいがちな「次に向かう意欲」を再燃させたりする意味はあると思っています。


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