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掬水へんろ館

8日目 1999年7月2日  曇り、のち雨、のち大雨

 6時05分、宿を出発した。ロッジ尾崎のお母さんは、道に出ていつまでも見送ってくれた。ありがたいことだ。今朝も、早い出発にかかわらず朝食を用意してくれた。このような親切心に会うたびに、歩き通さなければという意欲が湧き、遍路は決して一人で歩いているわけではない、という実感がある。お大師さんと二人連れというより、予想を超えた何か(something great )が僕を後押ししてくれているような気がする。この何かを、宗教者はお大師さんに結びつけているように感じる。

 今日の目的のひとつは、徳島の教え子の同期生と会うことである。室戸市に住む彼女には、すでに徳島から連絡が行っていて、昨夜の電話では用意万端という感じであった。こちらは顔を見て少し話しをして、サラッと通り過ぎようと思っているのだが・・・。

 午前中は足がはかどり、9時30分には24番最御崎寺に到着した。ただ、24番への登り道から今日も雨が降り始めた。海を見ても視界は1kmくらいだろうか。低い雲がたれ込めている。お参りを終えたあと、ヘアピンカーブの続くスカイラインを下った。道路から薄く見える海には、我先にと競うように漁場から港に帰る船が続々と現れた。まるで港が強い力で船を吸い込んでいるようだ。お大師さん(=四国)と遍路との関係もこのようなものであろうか。

 11時30分、25番津照寺のお参りを終え、門前の薬局で教え子の住所を確認した。 「えっ? 本当ですか?」 室戸市で魚関係の仕事をしているということなので、てっきり25番の近くに住んでいると思いこんでいた。羽根町の町というニュアンスも市街地にあるというイメージだ。ところが、羽根町は室戸市のはずれで、もう隣町の奈半利に近いところだという。それなら休んでなんかいられない。宿を予約した吉良川よりまだずっと先だ。

 すぐに吉良川の民宿に電話し、予約をキャンセルするとともに、奈半利のホテルに予約した。民宿には悪いことをしてしまったが、食事をお願いしていなかったので、最小限の迷惑をお掛けしただけですんだのが、せめての救いだ。キャンセル料を後日送付するという僕の申し出にも、そんなものいらないから気を付けて遍路を続けるようにという、心温かい応援をしてくれた。

 とにかく、大急ぎで歩く以外にはない。26番金剛頂寺への登り遍路道で雨が強くなってきた。例のsomething great が「自分で出したボロは、自分で始末をつけろ。雨なんか理由にならないぞ」と、まるで僕を試しているようにささやく。 「とにかくやるしかない」 これが僕の返事だ。前に進むこと以外に意識がどこにも向かなくなった。

 26番から国道に出て吉良川に向かう道は3つある。広域農道を通って傍士(地名)へ出る道。行当岬ちかくの道の駅方面にでる遍路道。そして、26番への遍路道を出戻る道。このあたりは海岸から急斜面になり、斜面の上は台地状になっている。広域農道は台地を進んで最後に急斜面を降りるコースで、あとの二つは先に急斜面を降りて海岸沿いの国道を進むコースになっている。

 スピードの出そうな広域農道を選んだ。進みながら地図を読むうちに、農道の途中から海岸にまっすぐ降りる小道を使うほうが速そうだと気がついた。問題は、協力会の地図にはこのコースが紹介されていなかったこと、また、地図には小道が記入されているが、台地にも海岸沿いにも小道を使う必然性のあるものがないことだ。言い換えれば、この小道は生活のためでも農業のためでもないように見える。迷っているうちに、小道の入口に着いてしまった。小道には轍の跡がある。 「えーい、ままよ。つっこめーー」

 轍は台地の先端の畑まで続いていたが、畑の先はわずかな踏み後しかなかった。ここまで来ては後に戻る気にはならない。さらに進むと、小道は急斜面に入った。「しめしめ、廃道になってはいるが、道の跡はなんとかわかる。このまま行って大丈夫だろう」 ジグザグに下りはじめた。踏み跡は大きなシダに覆われた小さな台地まで繋がっていたが、そのシダの中で消えてしまった。下に向かう踏み跡はもうどこにもない。大きな雨音が気になりだした。不安感が雨音を増幅させているのだろうか。

 とにかく降りるしかない。雨に濡れた急斜面を、樹木に掴まって滑らないように注意を払いながら降りた。急斜面に入ってからは樹木以外に何も見えない。雨音以外に何も聞こえない。と、左前方がなんとなく明るい。よーく見ると、どうやら果樹園のようだ。「果樹園なら、小道がつながっているに違いない。これで一安心だ」 方向を変えて果樹園に出た。な、なんと。この果樹園も廃園だ。果樹のひとつもなく、地面は草がボウボウのままで足先が見えない。

 足を滑らせたら少なくても5mは滑り落ちそうだ。慎重に下り続ける。あっと思った時には、丸い石に乗った足が滑っていた。無意識に、身体をひねりザックがクッションになるように倒れると同時に、左手が近くの木の幹を握った。さすが体育会系、身が軽い。 「痛〜〜〜い」 左の指から血が流れ出した。木の幹にトゲのようなものがあったのだ。かまわず下る。とにかく下るしかない。 下りきると小川があり、その向こうに小道と果樹園が見えた。 「ふーーーっ」 力が抜けた。が、小川の約1.5mのコンクリート堤をよじ登る力は残っていた。

 国道に出て、農機具小屋のひさしの下に落ち着く。 「ふーーーっ」 やはり出るのはため息ばかり。雨のため血が乾かないので、指はテープでぐるぐる巻きにする。あとは被害はなさそうだ。いや、腰に付けていた万歩計がなくなっていた。が、命や大怪我に比べれば安いものだ。身代わりになってくれた万歩計に礼を言う。14時20分、時間がない。とにかく羽根町目指して出発だ。

 休まない、歩くこと以外何も考えない、痛みさえ感じない。まるでウォーキングマシーンに変身したような身体に乗って、グングン歩く。吉良川を経て、羽根町には15時45分に着いた。教え子は遅れた僕を心配してか、傘をさして家の外で待っていてくれた。 「宿は奈半利でしょう? 夜に連絡しますから、暗くならないうちに宿に着いて下さい。先生なら、2時間あれば着けますから」 そう、彼女の学生時代の僕なら9kmあまりを2時間で楽勝だろう。自分でもあの頃は強かったと思っている。が、あれから15年も年をくっているし、今日はすでに35km以上も歩いているのだ。

 我慢できずに途中でうどんをかき込んだ。羽根岬を廻ると、遠くに奈半利の町並みが見える。遠い遠い道のりだった。長い長い2時間だった。中山越えをしようなどという意欲はこれぽっちもなかった。

 17時50分、ホテルの玄関を入る。 「○○水産の社長をご存じですか? 伝言がありますが」 「○○水産? 社長?」 なんだろう、それは? あっそうか、教え子の嫁ぎ先の姓は○○だった。社長は旦那さんなんだろう。

 シャワーから出ると、もう玄関に迎えが来ているという。外は土砂降り。到着が遅れていれば、この雨にやられていただろう。急いで歩いてきて良かった。何か吹っ切れないものがあったが、迎えの車に乗り込んだ。ワイパーが意味をなさないほどの雨だ。スピードが出ないのに、羽根町まで10分あまりで引き返してしまった。10分と2時間。歩くスピードが遅いことはわかっていたが、これまで車と比較したことはなかった。10分と2時間。これは何を意味しているのだろうか。10分と2時間。今日は特別の日として、明日からは車に近づかないでおこう。一度車に乗ったら、魔力に引きずられそうだ。まるで悪女のようなものか・・・。(悪女の魅力なんてものはわかっていないが)

 小さくて家庭的なお店に案内された。お店というより民家の座敷という感じだ。同席者は、教え子夫妻、漁師さんなどで、いつもの飲み仲間だという。驚いたことに、近在の住職さんも一緒で、みんなご夫婦そろっての歓待である。食べ物は、大きな皿に盛られた皿鉢料理で、内容はトロに鯨に○○に△△と覚えきれないほどの魚だ。漁師さんと水産会社がメンバーだから当たり前といえば当たり前か。 「ウマーーイ」 大ジョッキのビールも「ウマーーイ」 酔うほどに、頭の上を高知弁が声高に飛び交う。

 料理もうれしい、ビールもうれしい、みんなの心もうれしい。でも一番うれしかったのは、高知の地元の人達の輪の中に入れたことだ。遍路をしていても地元の人とこんなにお話しをしたことがなかった。お話しをしても、やはりヨソ者として扱われている感じがしていた。だが、今夜は違う。客人であることは事実だが、みんなが仲間として扱ってくれた。

 食って食って飲んで飲んだ。歩いている時の5倍以上の速さで時間が過ぎていく。今は本当に遍路の途中なのだろうか? 夢うつつの羽根の夜だった。

 8日目 →46km、↑380m、?歩、6:05〜17:50、奈半利町「ホテルなはり」

<歩行スピード>

 出発の1ヶ月前に、練習として13時間で50数kmを歩きました。この時は、実働11時間くらいでしたので、だいたい時速が5kmでした。これは午後からのヘバリを含めての平均スピードですので、30kmの距離で平地なら時速6kmに近いスピードが出ると思っていました。が、これは体育会系らしい過信でした。

 最初のうちはこのスピードのイメージで歩いていましたが、やはり速すぎるようで、マメができたことや疲労が蓄積したことで、スピードは上がりませんでした。それに加えて、スピードを上げると頭の働きが悪くなるというのか、ものが考えにくくなります。また、景色を含めて外界への意識が減少してしまいます。このようにスピードを上げすぎると、遍路では大切にしなければならない「感受性」が鈍るような気がしました。

 日和佐からの国道55号にはキロ標示板がありますが、これを利用していろいろなスピードで歩いてみました。その結果、僕に適しているのは時速5.1〜5.4kmでしたので、それ以降はできるだけこのペースを崩さないように意識しました。距離の長い日は、ペースを速くしてクリアするのではなく、早朝の出発で歩く時間を長くしてクリアしました。

 また、途中で気づいたのは、5.5kmにスピードが上がると休憩が欲しくなり、またその休憩が長くなりがちだということです。昼寝はしなくても、ウサギとカメの童話とまるで同じになるようです。結局は、巡航スピードをキープすることが疲労を少なくし、目的地への到着を早めることに繋がるというのが結論です。
 逆にスピードを抑えすぎると、休憩が多く長い時と同じように、意欲も減退し、身体もゆるんでいくような気がしました。

 身体的強さは人それぞれですし、その人固有の歩くリズムがあるような気がしますので、歩き遍路をするなら、早いうちに自分の巡航スピードを覚える必要があると思います。一番いい方法は、休もうとは思わないで2〜3時間続けて歩けるスピードを探すことでしょうか。少し余裕のある日をみつけて、早いうちか事前に、ぜひトライしておくことをお勧めします。


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