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掬水へんろ館

平成11年『自分探しの旅』
4月26日(月)[ 晴れ ]

 今回、こっちに来て初めてぐっすり眠った。
 目が覚めたら朝5時だったなんて(夜中に何度も起きなかったなんて)、私にはすごいことだ。さすが「徳の高いお寺」(勝手に決めた)の宿坊だ。

 6時からのおつとめは、住職がお若いので少し貫禄にかけるのと、お経の途中で、住職本人がでっかいくしゃみなんかされるものだから、ちょっと笑ってしまったが、ま、ご愛嬌ご愛嬌。
 お寺のタケちゃん(犬ではない。お寺の人よ。でも、僧侶でもないようで、役職がいまいちわからないのだが、ここに長く勤めておられるらしいおじさん)が、「今は若い住職になって、スターがおらんからイカン。前の住職は遍路たちのスターやったから」とおっしゃっていた。
住職は寺の顔。参拝者の獲得には住職の力も大きいんだそうな。
 多くの遍路たちに囲まれた、前の住職の写真がいくつも飾ってあった。

全部はダメよ

 このお寺はとてもキレイに清潔にしているが、他のお寺と違って、(タケちゃん曰く)「お金はぜんぜん無い!」のだそうで、お寺にある新しいものは(仏像の一部も)、ほとんど信者の皆さんからの「寄付」で建てられたものらしい。
そんな状態なのに、時々「賽銭ドロ」が現れるという。一度、ハンカチを広げて、ザザーッと賽銭箱をひっくり返しているのを見たので、「全部持っていかんといてやー」と声をかけたら、ドロボウがギョッとして振り向いたんだそうな。でも「声」をかけただけ。追いかけてとっ捕まえたりしないところが、ほのぼのしている。
 でも、だからって「わずかなお賽銭」、取っていかないでね、仏さまは見てらっしゃるんだよー、ってところかな。
 タケちゃん(そう呼んでね、とおっしゃったのだ)に、いろいろ楽しいお話を聞かせてもらって、すっかり長居をしてしまったが、そろそろ行かねばならない。
もう一度ゆっくりお詣りしてから出発した。
 次の「6番寺」まではほんの1キロだ。

トイレのご真言

 第6番札所「安楽寺」に到着。
あまり人のいない時間らしく、ひっそりさっぱりした風情だった。
 お詣りを済ませ、手洗いに行ってみると、「四国八十八カ所霊場モデルトイレ」と書いてあった。さすが「モデルトイレ」らしく、広くてキレイ。
「トイレのご真言・オンクロダナウウンシャク」なんていうのも書かれてあった。
これを唱えながら用を足しなさいということかな。
・・・トイレでも気は抜けない。

 「5番寺」へ向かう途中、やっと念願の「郵便局」を見つけて、我が家と夫の実家へ「ささやかなおみやげ」を送った。速達にしたが、私の方が早く帰り着くこと間違いなしなのだ。(何をやってんだか)
 郵便局で、5番寺までの地図を描いていただき(郵便局の人は本当に親切だ)、またテクテク行く。
・・・地図までもらっているのに、また迷子になりかけた。
 畑の中にポツンといらしたオジサンに道を訊きにいくと、「体調悪いんじゃないの?」と心配して下さる。どうも顔色が悪いらしい。
確かになんだか疲れている。でもがんばる。

イチョウの下で「風」になる

 第5番札所「地蔵寺」に到着。お詣りを済ませて、少し休憩することにした。
800年の大イチョウの下のベンチでひと休み。バナナ半分、カロリーメイトなどを食べて、ぼんやりしていると、「檀家募集中」と書かれた杭を発見。
杭には「檀家の方に限り墓地あります」とも記されていた。
お寺も大変なんだなぁ、墓地で檀家を募る時代なんだねぇ。
 でも、ここにはちゃんと「生活」があって、お寺と地元の人たちが密接に関わり合って暮らしている。ここで死んでここに眠るのだ。
でも、「遍路」は流浪の旅。住み着く土地もなければ「墓」もない。
お寺は「札所」として通り過ぎる場所なのだ。
 そんなことを考えていると、自分がまた、そこに「物体」としては存在していない、「風」のようなものに感じられた。

 向かいのベンチに、おじさん遍路が現れて、私もまた「人間という物体」に戻った。大柄の男性で、なんとも横柄な態度でベンチにふんぞり返っていらっしゃる。
そろそろ行かねば、とリュックを担いだが、黙って行くのも愛想がないので、立ち去り際に「歩きですか?」と、一言声をかけてみた。
するとおじさん、いきなりどどーっとしゃべり始めるではないか。
 またリュックをおろすことになった。

 おじさんは、2ヶ月の予定を組んで「通し打ち」でまわられるという。
もう70才を越えているとおっしゃるが、体格もりっぱだし、声は大きいし、まだまだ「人生これからだぞ」という、すごいバイタリティを感じさせる人だ。
 いままでどんなにがんばって働いてきたか、にはじまり、お遍路は初めてだけど、山登りは慣れているので、山歩きは完ぺきだし、登山靴も持ってきた、と、これからの「遍路への意気込み」、続いて、「こう生きねば」みたいな「お説教」まではじめられるではないか。
・・・話は終わらない。
 今までの私なら、「またこんな人に捕まっちゃって、かなわんなぁ」と思ったところだろうが、もう先を急ぐ身でもないし、これまでの経験から、「少し話したくらいで、人を判断しちゃいけない。それにこの人も、88カ所をまわりきる頃には、少し違う人になられるのかもしれないし・・・」、なんて考えると、何も反論することもない。

遍路の「賭け」

 ニコニコ黙ってきいていると、そのうちおじさんの態度が変わってきた。
説教口調がなくなって、丁寧で落ち着いた話し方になってこられたのだ。
おじさんの中に、「僕は、こんな小娘(もちろん彼から見て)と同じじゃないぞ」から、「この女性はもう88カ所歩いたんだな」という、「歩き遍路」の仲間的感覚が生まれてきたのだろうか。「会話」になってきた。
 そこで、おじさんとカケをした(お寺の境内で!)。
「道路と山道で、靴を履き替える」とおっしゃって、大きなリュックの横に、これまた大きな登山靴をぶら下げておられるのを見て、「登山靴は、きっと重くて送り返すことになると思いますよ」と言うと、「必要なものだから、そんなことはぜったいしませんよ」とおっしゃる。「でも、荷物は少しでも軽い方がいいし、靴は歩き用の1足で充分だと思うんですよ」と、しつこくアドバイスすると、「いいや、僕には登山の経験があるんですから! ・・・そんなにいうならカケましょう!」となったのだ。
 話しているうちにすっかり楽しくなって、なんだかこのまま一緒に歩きたいような気持ちになった。最初の印象と違って、子どものように素直でかわいげのある人だった。(やっぱり、人間よく話してみないとわからないものなのね)
これからこの方が出会う「遍路での感動と幸せ」を、そばで見てみたい気までしてきた。でも、私は3番寺へ、彼は6番寺へ向かわねばならない。
 なごり惜しいけれど、ここでお別れだ。

 お寺の境内で「賭事」をした「不真面目遍路」2人は、遍路が終わったら「登山靴を送り返したか送り返さなかったか」を「報告」する約束をして、お互いに「私の勝ちに決まってる」とほくそ笑みながら、ゴキゲンで手を振って別れたのだった。

「歩き遍路」さまざま

 「3番寺」へ向かう。
 途中、若い男性の歩き遍路に会った。元気に歩いているので、「気をつけて」とだけ挨拶して行き交う。
 今年は、本当に「歩き」が多いんだなぁ、と思っていると、また会った。
今度は40才過ぎくらいの女性遍路だ。うれしそうに駆け寄ってこられたので、しばし立ち話。ものすごく重そうなリュックを背負った上に、「車用」の遍路地図を持っておられたので、「へんろ道保存協力会」の地図の購入方法や、リュックの中身を減らす方法などをお教えした。奈良からだそうで、とても人なつこい、かわいい方だった。人の言うことを素直に聞き、「ありがとう」を忘れないタイプ。
この人なら、この先も大丈夫。誰かが必ず「助け船」を出して下さるはずだ。
人間、素直と愛嬌が一番だと、あらためて確信した。
 「カケ」をしたおじさんは2ヶ月、この女性は3ヶ月でまわる予定を立てておられる。一気にまわってしまうなら、そんなに日数はかからないと思うが、「余裕」をもって歩くのはいいことだと、一人納得する。
 もうすぐ3番札所という所で、また女性の一人歩き遍路に会った。
「へんろ道保存〜」の地図も持っておられたし、あまり「何か教えて」というタイプでもなかったので、軽く挨拶しただけで別れたが、彼女のリュックからは、長い「掛け軸」の筒が2本も突き出ていたし、手にも1本持っておられた。
あの姿で山に登るのはキツイかもしれない、と、ついいらぬ心配をしてしまう。
(先に進むごとに、イロイロわかってくるし、どんなことでも「なんとかなる」とわかっているのに・・・)

 札所の始めの方では、まだまだ初心者歩き遍路が多くて、地図も持たずに歩きはじめた8年前の自分の姿を思いだす。
そういえば前に、「お礼詣り」で逆打ちしてきた人に、
「そんなに荷物が多くて大丈夫かなぁ」なんて言われたよなぁ。
「なによー」とか思ったけど、あの人の気持ちが、今はわかる。(勝手ね)
 これからそれぞれ、「感動の旅」に出て行かれるんだと思うと、ちょっとうらやましいような気もした。
(天の声)「じゃあ、もう一度やる?」 
(私の心)「いいえ、これで充分です」
(ははは・・・。早く「完結」しなきゃ)

「不動明王」へのお礼

 3番寺のすぐ手前で、「高野山真言宗阿王塚聖天教会」という社を見つけたので、入ってみた。誰もおられなかったが、靴を脱いで中に入り「お詣り」させていただく。線香の匂いが立ちこめ、ひんやり静かで、とても居心地のいいお堂だ。
 「不思議の不動尊」と書かれてあったが、どんな不思議があるんだろう。
私としては、きのうお世話になった「倉敷の不動院」の方といい、今回は「不動さま」に縁があったので、「不思議」といえば不思議だったのかな。
 いつも「お大師さま、お大師さま」と言っているので、ここで「不動明王さま」にも、しっかり今回のお礼を申し上げた。

 やっと第3番札所「金泉寺」到着。
ここにも、態度の悪い「歩き遍路」らしきオジサンがいたが、もう話しかけない。
歩き進むうちに「態度」はどんどん変わっていくはずだし、だらしなく見えても「いい人」なのかもしれない。でも、話しかける気になれないというのは、その人と私には「縁」がないということなのだ。

 2.5キロ歩いて、アッという間に、第2番札所「極楽寺」に到着。
ここは、前にご夫婦遍路さんに「遍路旅最初の一枚」を写真に撮っていただいたお寺だ。また、犬(のら犬らしい)が出てきたので、残っていたカロリーメイトを全部あげた。
 もう何もいらない。あげられるものは、何でもあげてしまいたい、という気分だった。(荷を軽くしたいって意味じゃないのよ)

変わったもの、変わらないもの

 2番寺から、1.2キロ。いよいよ本当に、「思い出」の寺、出発点、第1番札所「霊山寺」に帰ってきた。

 皆にいろいろ聞かされてきた(最近会った遍路仲間の人は、誰も1番札所をほめない)ので、驚かないようにしようと思って入った、が、やっぱり驚いた。
「何でしょー、この変わりよう!」
 なーんにもなくて、田園風景がのどかだったお寺の前には、大きな大きな「みやげもの屋」がデンとできて、門前の視界をさえぎっているし、中に入ったら入ったで、工事中の塔を含めて、ゴチャゴチャゴチャゴチャいろんなものが建っているではないか。
(前は素朴であったかい感じのする、いいお寺だったのに・・・)
 がっかりして、「最後はまた出発の寺で泊まりたい」という気持ちが、へにゃへにゃと失せてしまった。
(泊めてくれるかどうかもわからなかったんだけど・・・)

 それでも、ここが出発点であり終着点なのだ。心を込めて、最後のお詣り。
「結願」の報告とお礼のお経をあげる。

 救いもあった。
「納経所」の人は前と変わらず、親切でやさしかったし、8年前に、私の「杖」に名前を書いて下さった人を、皆さんで「推理」し、「探し出して」下さって、無事、お礼も言えたのだ。(まだ、ちゃーんと、ここにいらした)
「お互い、あれから8才も歳とっちゃいましたねー」なんて言いながら・・・。
でも、やっぱりうれしい。 

 うーん、少しは「結願の喜び」も出てきたかなぁ。

「錦」に向かう、夫婦遍路

 境内でうろうろしていると、なんと、71番「弥谷寺」で会った「金の納め札」夫婦遍路のお2人にバッタリ。
奥さまの方が、「この子見たことあるわ」とおっしゃって、再会のご挨拶。
「わしは、誰におうてもよう覚えてへん」というご主人と2人で、相変わらず四国をグルグルまわってらっしゃるという。
 またお2人から「金の納め札」をいただいた。
「回数が違うから、持ってなさい」とおっしゃるので、よく見てみると、88カ所巡拝回数が「78回目」になっていた。(前にいただいたお札は「76回目」だったから、たった1週間で、四国をまた2回もまわったということなの?) 
「家には、月に2、3日しかいないのよー」と言いながら、また「今度来たら家に電話してね」とおっしゃる。
電話かけても、おられんでしょーが〜、とおかしかったが、うれしかった。
 楽しくお話をしたあと、「来年は、錦のお札をあげるからねー」と、朗らかに去っていかれた。いいご夫婦だ。
でも、来年までに巡拝100回を越えようというんだから(錦の札は、100回以上まわらないと持てない)、なんとも忙しいご夫婦だ。

 お元気で、がんばって下さいね。

いちばんの修行

 さあ、もうすっかり「帰る気」になったので、とにかく何か「おみやげ」を買わなくちゃ、と門前のりっぱな「みやげもの屋」に入る。
他にお客さんもいないし、帰る時間も決まっていないので、たっぷり時間をかけて、いろいろ見てまわった。
 しまいには、このコーナーに一人しかいない女性の店員さんを独占して、相談に乗っていただきながら品選び。
「遍路」にみやげを期待する人もいないだろうが、近しい人には、少しは何か買って帰りたかったのだ。お金ももうほとんどないから、ほんの数百円ずつのものしか買えないのに、あれこれ悩んでしまう。
「うーん、難しい」と店員さんと2人で腕組み。
「歩くより、これが一番の修行のようです」と言って、笑われてしまった。
 この店員さん、もう成人した大きな息子さんがいらっしゃるとは思えないほど、とても若くてチャーミングな方で、イヤな顔一つせず、相手をして下さった。
食品などの大きな「みやげ」は、あとで宅配してもらうことにして、やっと終了。

 ここでようやく、私の「歩きへんろ紀行」に決着がついた気がした。

完ぺきな「終演」

 ところが、困ったのは「帰る方法」だ。
もう、前に乗った「鳴門行き」のバスはないし、一番近い鉄道の駅までも、けっこうあるらしい。
しかも、列車は1時間に1本しかなくて、次は何時に来るのかもわからない。

 もう夕方なのに、また駅まで歩くしかないのかなぁ、と漠然と考えていると、なんと、最後の「助け船」が出た!

 ずっと一緒に「おみやげ」を考えて下さったさっきの店員さんが、「私、もうすぐ仕事が終わるから、駅まで送ってあげましょう」と言って下さったのだ。
「うれしすぎる〜!」
 申し訳ないと思いながらも、遍路最後の「お接待」を、有り難くお受けして、ご厚意に甘えることにした。(甘えてばっかりで、どうも・・・)

 お仕事が終わるのを待って、車に乗せていただく。
ここから一番近い「JRの駅」まで、と思っていたのに、彼女はなんと、数十分もかけて、「鳴門の(三宮方面)バス乗り場」まで送って下さったではないか! 
 しかも、「到着してお礼を言って車を見送って地下道を通ってバス乗り場に着いた瞬間」に、「舞子行き」のバスが来た。
(神戸の舞子駅からJRに乗って帰るので、バッチリなのよー、すごいのよー)
なんというグッドタイミングなんだろう。 美しすぎる展開ではないか!
 思わず、「お大師さま、貴方はすごい!」と、叫んでしまった。
カンドーしてドキドキした。

 完ぺきな終演だ!

 カンドーとコーフンでお名前を忘れてしまったが(何で忘れるかなぁ)、かわいくてやさしくて、ハンサムな息子さんと一緒に「霊山寺一番街」で働いておられる、とっても感じのいい、40才半ばくらいの女性の方、本当に本当にありがとうございました。

終着点

 舞子の駅から、JRで三宮へ。

 迎えに来たダンナは、「元気に帰ってきてくれて、ほんとうによかった」と、何度も何度も、私の頭を撫でた。
 夫と2人、遍路衣装のまま(さすがに上にジャケットを着たけど)、八つ悟ると書いて「八悟(やご)」という、なんとも「結願」にピッタリの、なじみの居酒屋に直行。
 「88カ所巡礼」の「打ち上げ」をした。
 新婚なのに、快く「遍路」に出してくれて、ありがとうね。

 家では、母が、やわらかな笑みをたたえ、迎えてくれた。
「長いあいだ、ご苦労さま」 
母の言葉は、何度も作ってくれた「おにぎり」と同じで、しみじみ有り難くあたたかかった。
「こちらこそ、長いあいだ、本当にありがとう、ママ」

 2人を見て、ふと思った。
「自由」と「愛情」を惜しみなく与えてくれる、この「家族」こそ、私の「遍路」の「終着点」なのかもしれない。

 後日、「山歩きなどしたことがない夫」のせいいっぱいの「お接待」で、一緒に「高野山」に登り、「報告のお詣り」をして、8年(6回)かけて、88カ所をまわった私の「歩き遍路」は、本当に終了した。

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