掬水へんろ館目次前日翌日著者紹介
掬水へんろ館

平成11年『自分探しの旅』
4月25日(日)[ 快晴 ]

 あまり眠れず「夢」も見ず、新しい朝を迎えた。
 身体は疲れていても、起きて遍路衣装を着ると、「今日も歩ける」という気がするから、遍路は不思議だ。朝食をいただいて、八十窪を出る。
 「相部屋だったのに6800円は高いよねぇ」と文句が出るあたりが、
「悟りの境地」の入口にさえたどり着いていない私である。

大師の憂鬱

 あらためて、第88番札所「大窪寺」にお詣り。
本堂・大師堂に、ゆっくり手を合わせる。線香の匂いが、心を静かにさせる。

 大師堂の奥にある大きな弘法大師像の目のあたりから頬をつたうように、黒い筋になってシミができていた。大師が涙を流しておられるように見えて、思わず近寄って、大師像の足をさすってしまった。
心の中で、「大師、大丈夫ですよ。心配事はきっと解決しますし、人々は、救われると思います」と、何の根拠もないなぐさめの言葉を繰り返していた。
(大師にむかって、私がなぐさめるなんて、どーいうこと?)
 その時の私には、大師が、世の中の、人の心の乱れを、嘆いておられるように見えたのだ。大師の足をさすりながらいろいろお話(一方的に)して見上げると、大師の顔が、少しおだやかになられたような気がした。

 納経所では相変わらずの「試練」。
納経所のおじさんたちは、結願の感動・感慨をまるで無視するかのようなそっけなさなのだ。「作業(納経)」が終わると、まだ私が目の前にいるのに、「カラオケ」の話で盛り上がっていらっしゃる。
 こらー、納経のおっちゃん! もうちょっと「結願した遍路の気持ち」を考えてくれー! そりゃ毎日毎日何十人もの「結願した人」を見てるんだから、今さら感動も何も関係ないだろうけどさ、もっと「88番、満願の寺」の自覚を持ってくれてもいいんじゃないの?(ブーブー)

 でもこれで、「単に印を押してもらうだけの納経」の虚しさがよくわかったので、よかったのかもしれない。納経は「心」ですればいいのよね。

ありがとう、愛ちゃん

 ここでとうとう本当に、愛ちゃんとの「お別れの時」がやってきた。
愛ちゃんパパが、この寺までお迎えに来るというので、彼女を残して私だけ行くことにしたからだ。
 長い間一緒にいて、何度も何度も、離れてはまた会って・・・。
なんとも不思議なご縁だった。
なごり惜しいが、「別れ」は必ずやってくるものなのだ。ダサイ言い方だけど、「これからも彼女の人生に幸多かれ」と、ひたすら思う。

 本当にありがとう、元気でね、愛ちゃん。

 ここからまた10番寺に向かう。そこから逆打ちで1番まで戻って「お礼詣り」をするためだ。だから、実際の「打ち止め」は、8年前に歩きはじめた「1番寺」ということになる。そうすることではじめて、歩いた線がつながって「円」になるのだ。(と、これは私の勝手な解釈なんだけど・・・)
 快晴の青空の下、元気に歩き出した。
ここからはもう車道ばかりかと思っていたのに、キチンと「遍路道」があるんだから、「へんろ道保存協力会」は、ホントにエライ!(ありがとうございます!)
 道で会う人は皆、農作業にお忙しそう。
沿道で草ひきをしておられたオジサンが、「大窪寺から来て今この時間ゆーのは、のんびりしてるねえ」とおっしゃる。ははは。
(今日はあんまり歩かなくてもいいから、のんびり歩いてるのさー)

 もう、いちいち人の言葉に動揺しない。自分のペースで、好きなように歩く。

寝袋逆打ち遍路

 しばらくいくと、前方から「逆打ち歩き遍路」の男性がやってきた。
30才代前半くらいだろうか、寝袋装備の本格派(?)だ。3度目の遍路で、逆打ちは今回が初めてとおっしゃる。「別格札所のお寺で、泊まれる所がある」と教えると、喜んでメモをとっておられた。少しでも「役に立てた」ようで、うれしい。
 これからゴールデンウィークに入って、どんどん「歩き遍路」の増える時期だが、「逆打ち」はまだまだ少ないし、道案内も順打ちほど多くなく、大変らしい。
 がんばれ、寝袋逆打ち歩き遍路!

 農道を歩いていると、村内放送が聞こえてきた。今日の選挙の投票状況を放送しているようだ。10時15分現在で、投票率25%。男女別の投票率も発表する丁寧さ。
 これでもう選挙カーに追いかけ回されることはないし、おまけに今日は日曜日なので、遍路地図にある「ダンプ注意」地域にも、ダンプどころか、車もロクに通らない快適さだ。(歩きやすいのだー)

 暑いし、アスファルトだし、一人だし、それなりにキツイけれど、弱音を吐かず、黙々と歩く。

オジサンの日々は・・・

 歩いて歩いて、とうとう着いた。第10番札所「切幡寺」! 
333の石段を上って、8年前に記憶のある場所に辿り着いた。

 本堂、大師堂と、再会の挨拶詣りをして、ベンチに座ってゆっくり休憩。
さすがに10番寺あたりになると、人が多い。
(お寺同士が近いので、次々に人が来る)
どんどん来て、どんどん出ていく。
 「今日はどこに泊まろうかなぁ」とぼんやりしていると、オジサンがひとり、私の方に少しずつ、すり寄って来られた。いろいろ話しかけながら、とうとう「そっちに座ってもいいかなぁ」と、私の隣りに座られた。
「どこから来たの」にはじまって、延々ととりとめもないことをお話になる。
このあとの予定も決まってないし、これも大師のお計らいかと思い、長いこと話し相手になった。でも、一生懸命答えてもほとんど聞いておられないようで、何度も同じことを訊く、ぜんぜんトンチンカンなことを言いだす、で、少し疲れてきた。
「もう充分お相手したし、このくらいで終了してもいいかな」と思い、
「ちょっと宿の予約をしますので」と席を立った。

 この寺の門下にある、8年前に泊めていただいた宿にしようと思ったが、お留守のようで、どなたも電話に出られない。待ってもいいのだが、なんとなく、早くここを立ち去りたい気がしたので、先へ進むことにした。
 ベンチに戻ってリュックを担ぎはじめると、さっきのオジサンが、突然私に「ひとつお願いがあるんやけど」と、気持ち悪いくらいの甘えた声と態度で、「哀願」をはじめた・・・。
「おなかすいてるねん、弁当の一つもこうてぇな」とおっしゃる。
「それなら」、とまたリュックを下ろし、お昼ごはんに食べようと思って持ち歩いていた「おにぎり」と「パン」を差し出した。
でもオジサンは、一応受け取られたものの、ちっともうれしそうじゃない。
おにぎりやパンには目もくれず、私に抗議の目を向けて、「お金もくれ」とおっしゃる。「一万円とは言わんから」とも。
 少し悲しくなって、「その食べ物だけではダメですか?」と言うと、
「なんか飲みたいし」。 
・・・納得した。
そりゃそーだ。食べ物だけじゃノドがつまるってもんだ。
 でも、ねだられてお金をあげるという行為に、どうしても抵抗があった。
一瞬悩んで、白衣のポケットに、さっき途中の道で、おじいちゃんから「お接待に」といただいた500円玉が入っているのを思い出し、それをさしあげた。
たった500円だけれど、お接待でいただいた「有り難いお金」なのだ。
(ジュースかワンカップくらいは買えると思う)
 この500円で、やっと解放して下さったが、やっぱり少し悲しかった。
オジサンは、「本当に困っている」という風ではなく、いつもここに来て、女性の一人歩き遍路に声をかけては、お金を無心しておられるような感じなのだ。
(「警戒されんように、身なりも気ぃつけてる」とか、「きのうも東京から来てた子に・・・」なんておっしゃるし・・・)

 でも、自分は、「お接待」でお金をたくさんいただいてるのに、なぜ彼に「お金をあげる」ことに抵抗を覚えるのか・・・。
「あんた、贅沢に歩き遍路なんかしてるくらいやったら、ちょっとくらいお金くれてもええやろ」という感じの態度と話し方がイヤだったのかもしれない。
 だけど立ち去り際、「もしおナカ痛くなったりしてガマンできへんよーになったら、道々の家、どこでも飛び込んで救急車呼んでもらうねんで。薬屋行ったらお金いるばっかりやから、救急車呼んでっていうねんで」と、一生懸命教えて下さった。 オジサンの日々をかいま見たようで、少し辛い。

 オジサン、苦労してるのかな・・・。

オジサンは鏡?

 歩きながら、「玉泉寺のご住職にいただいた千円札もあげればよかった。ケチケチしないで、帰るだけのお金を残して、残りはオジサンにあげてもよかったんじゃないのか」、と思ったりもした。自分は「お接待」で、たくさんご厚意をいただいているのに、なぜ人にそれを「お返し」できないのか・・・。
と、またまた様々な考えが、頭の中をグルグルまわる。
 でも「お金」をあげれば解決する問題じゃない、とも思う。
たくさんあげれば「自己満足」はできる。(「私っていいやつだ」って)
でも、やっぱりオジサンも、人に頼ってばかりじゃだめなんじゃないかなぁ。
階段登る「体力」もあるし、知らない人と「お話」もできるし・・・。
自分で働いて、なんとかがんばらなくちゃ・・・。
 (あれ?)
でも考えてみれば、オジサンは、ちゃんと「努力」してるんじゃないの?
(彼なりに)身なりを整え、人を選び、いろんなお話をして、最後には、「助言」までも、して下さったではないか・・・。
 私は、「お金を取られた」わけじゃない。イヤなら断ればいいのに、自分で納得して、食べ物やお金を渡したのだ。(「ほんのわずか」だけどね)
えらそうなこと言ったって、私だって「口先だけ」で商売してるじゃないか!
(「おしゃべり」が商売なんだもん)
 どんな「生き方」だって、それはオジサンの自由なんだから、私がとやかく言うことじゃない。あれは、オジサンの「生きる知恵」なのだ!

 それに、もしかしたらオジサンは、毎日、ゲームのようにそれを楽しんでいるのかもしれない。そして、私たち「遍路」は、オジサンという存在に、試されているのかもしれない。
「キミはどれだけ、人にやさしくなれるの?」「それが本当のやさしさなの?」「人に努力しなさい、と言えるほど、キミはがんばっているの?」
「ボクに同情するなら、キミはどんな人になりたいの?」なんてね。
(もちろん、これは全部、私が自分に問いかけたことだけど)

 「オジサン」は、自分自身を写す「鏡」だったのかもしれない・・・。
(会う人は、まさに「大師」。様々なことを教えてくださる)

近頃の「歩き遍路」

 やはり・・・、「オジサン」の方が、ずっとよかった。
10番寺では、「まわりみんな」を不愉快にさせる、イヤな人たちを見たのだ。
 「歩き遍路」らしいのだが、ある50歳過ぎくらいの男性2人組は、ベンチにだらしなく足を広げて座っていた。大きな荷物を横にデンと置いているので、他の人が座れない。タバコをプカプカやったあと、おもむろに携帯電話を取り出したかと思うと、「あー、お遍路さんやけどー、今日2人、泊めてくれるー?」と、とても横柄な口調で宿に予約電話を入れている。
自分のことお遍路「さん」てこたぁないんじゃあないのー? 態度もサイテー。
その不遜でだらしない姿に、目を疑ってしまった。
こんな歩き遍路、いままで見たことない・・・。
 もう1組の若い夫婦遍路は、「こんにちわ」と言っても、「ああ」、とロクに挨拶もせず、しらけた態度。
 ああ、あたしゃー悲しい。「近頃の歩き遍路は!」なんてグチが出そうだ。

 イカンイカン。人のことかまってる場合じゃなかった。次へ行かねばならんのだ。「1番寺」まで、まっすぐ進んでもいいけど、できるだけ途中のお寺にも寄っていこうと、次は、ここから4.2キロの「8番寺」へ向かうことにした。
途中何度も8番門前の「たみや旅館」に予約電話をいれてみたが、お留守のようだ。一応留守番電話に「泊まりたい」とメッセージを入れておいたが、イヤな予感がする。

姉御肌「女先達」さん

 「イヤな予感」は的中した・・・。
 第8番札所「熊谷寺」に着いて即公衆電話に走り、宿に電話してみたが、「留守電メッセージ」が虚しく響くだけ。この時間におられないなら、もうほとんど望みはないのだ。不安になったきた。お詣りしていても、
「どうか今夜の宿を与えて下さい」なんてお祈りになる。
次の民宿まで6キロ以上、とてもこれ以上歩く元気はない。
 「ここのお寺、お通夜(素泊まり)させて下さるかもって、前に尼さまが言ってらしたよなぁ、申し出てみるかなぁ、それとも久しぶりの野宿かなぁ、ちょっとキツイなぁ。あーあ、どーしたもんかなぁ」と途方にくれて座り込んでいると、もう納経所も閉まっている時間なのに、突然、団体遍路さんたちがやってきた。
 お詣りを済ませた女性の先達さんが、私の方へ来られ、どーしたのかと訊かれるので、「今夜泊まるところを思案しているところです」と答えると、「私がなんとかしてあげる!」とおっしゃる。
 そして本当に、連れてきたバス会社の人たちにいろいろ指図して、私の泊まれる宿を探して下さったのだ。

 最初は、「私たちの泊まる旅館に一緒に泊まりなさい」と言って下さったのだが、そこは私が明日からまた進む方向とはまるで逆になる。
(私は今「逆打ち状態」なので、また戻ることになる)
1番寺に向かっていく方向で、「ここから歩いていける所に泊まりたい」とのわがまままできいて、あちらこちらに電話を入れて調べて下さった。
 時間はどんどん過ぎていくし、この団体さんたちは、まだこの先「お詣り」が1ヵ寺残っているというのに、「納経だけは、先導の車が先に済ませているから大丈夫!」といって、団体さん全員、文句も言わず私の行く末を見守って下さっている。そして、とうとう7番札所「十楽寺」の宿坊に予約をとって下さった。
もう夕方の5時をとっくにまわっているのに、「夕食もできるって!」のお言葉。
 「通夜」や「野宿」まで覚悟していたのに、「宿坊」に泊まれて、しかも「夕食付き」だなんて、有り難すぎる! 
 先達さんからは、「美人になる」という、買ったばかりのキャンディまでいただいた。(この上「美人」にまでしていただけるのか?) うれしすぎる!
 何度も何度もお礼を言って、皆さんの無事をお祈りしてお別れした。

 「今日も大師のお導きか」と大感激。
その貫禄たっぷりの美人の女先達さんも、「困っても、何かあっても必ず誰かが助けてくれる。大師が誰かに会わせてくれる。不思議なことがいっぱいある」と言っておられたが、「遍路行」にはホントに有り難い不思議が多い。
 確かにこの旅では、それをイヤというほど実感しているのか、「途方に暮れて座り込んで」いても、心のどこかで、「なんとかなるに違いない」と思っていたし、「この展開は、次に何が起ころうとしているんだろう」と、少し「期待」さえしていた。(今日のは、私と女先達さんの出会いのためだったのか、それとも、道は必ず開けると、あらためて「確信」させるためだったのか)
 なにはともあれ、倉敷の「岡部不動院」の女先達さん、「ニコニコ観光」さん、団体遍路のみなさん、本当にありがとうございました。

 もう足はヨレヨレだったが、なんとか泊まれる、ご飯にありつけるという安心感で、なんとかあと4キロを歩いた。迷いそうな道の角角に、「人間標識」がおられ、それはそれは丁寧に、道を教えてくださる。
(やっと連絡がついて、留守電への電話予約の取り消しを申し出た「たみや旅館」さんも、「今日は出かけていたので、何にもできなかったんですよ。十楽寺さんにお泊まりなら、よかったよかった」と、一緒に喜んで下さった)

 どの方の言葉も、本当に有り難くて、疲れた身体が「幸福感」に包まれる。

「十楽寺」の正しい夜

 第7番札所「十楽寺」到着。このお寺は、8年前にお詣りした時にも、親切にしていただいた「印象に残っているお寺」だ。
前と変わらず、今回も、とてもやさしく出迎えていただいた。
 もう5時をとっくにまわっていたのでお寺の方に気を使ったのと、かなり疲れていたこともあって、「お詣りは明日でもいいでしょうか?」と訊いてみた。
すると、「お詣りは、今日しておいた方がいいですよ」とのお答え。
そりゃそうだ! せっかくここまで来て、しかも今夜はここに泊めてもいただくのだ。ご本尊さまにご挨拶しないでどうする! 
「ホント、大師にもちゃんとお礼を言わなくちゃ」
 本来のお寺らしいお言葉に、久々に気がひきしまった。

 もう掃除をしておられるのに、ローソクも線香もつけさせて下さり、「ゆっくりお詣りしてください」のお言葉までいただいた。
何度か「不快感」を覚えた「感じの悪い札所」とはまるで違う、細やかで温かい心遣いに、疲れが溶けていくようだった。(お寺はこうでなくちゃ)

 今夜同宿の団体さんより、少し早めに着いたので、お風呂にも先に入れていただき、洗濯も済ませた。
夕食も、シンプルだけど、とてもおいしくて大満足、文句なし!
 食事の時に一緒になった団体遍路の方々(全部で8人くらいかな)も、皆さん超真面目な、礼儀正しい「正統派遍路」さんだった。
短い日程で(別格札所も入れて)108ヵ寺全部をまわられるという、かなりハードなスケジュールなのだそうだ。
(88の札所と20の別格をたすと、煩悩の数になるのです)
 大先達のおじさまも、気品があって良さげな方だし、マイクロバスの運転手さんまで、作法を心得ておられた。皆さん、ムダ口一つたたかず、お酒も飲まず、食事もチャチャっと済ませ、キチンと一人一人挨拶をして部屋に戻っていかれる。
 相変わらず「グズ」な私は、お箸を握ったままで、一人一人の「お先に失礼します」、にお辞儀をして、ため息。アッという間に広い食堂に一人ぽっちになって、あたりはシーン。
 ああ、なんと美しい形だろう! 皆さん良くできていらっしゃる。
これが、「正しいお遍路」が「正しいお寺」で過ごす姿なのだろう(私にはできないけれど)。そういえば、今日ここを紹介して下さった女先達さんも、「十楽寺さんは、本当にいいお寺だから」とおっしゃっていた。
 良い寺には良い遍路が集まるのかもしれないなぁ、とあらためて感激しながら、しつこくご飯を食べる、場違いな遍路ひとり・・・。

 パジャマは送り返してしまったし、ここにはユカタもない。洗濯したTシャツもまだ乾いていないので、「素肌にジャンプスーツ」という格好で寝ることにした。
ジッパーを開けると生肌なのだ! 
 普通なら色っぽいシチュエーションなのだろうけど、今はただ寒いだけ・・。

解脱できない

 明日、8年前の出発点だった「1番寺」で泊まるか、もうそのまま帰途につくか、悩みながら布団に入る。

 いやいや、今までさんざん「学んだ」ではないか。
先のことは「その時」に決めればいい。明日のことは明日。
なるようになるのだから、考えたって仕方ないのだ!
 考えを巡らすことをやめたら、今度は、足の痛みを思い出してしまった。
「足がだるいー、足が痛いー」が、頭の中でグルグルまわる。
ちっとも解脱(げだつ)できない。

 夕食後、ローソクを買い足すため「事務所」に行ったとき、お寺の方とお話をした。今年は、どのお寺でも、「三味線を奉納して歩いている、東京からの女お遍路さん」の話を聞く。
(寺々で、三味線の演奏をされるのだという。会ってみたかった)
 いつも私の少し先を歩かれていたようで、とうとうお目にかかることはできなかったが、ご無事にまわりきられたようだ。

 四国の道には、いろんな人生が刻みつけられていく。

次へ
[遍路きらきらひとり旅] 目次に戻るCopyright (C)2000 永井 典子