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掬水へんろ館
平成11年

家族の愛

 「自分のぎっくり腰のせいで、昨年、娘が遍路に行けなかった」、と責任を感じていたらしい母は、春になって、一段と(自分も含め)家族の健康に気をくばるようになり、「妻を安心して行かせてやりたい」夫は、「自分のことは自分でできるから」と、こっそり、料理の練習などもしていたようだ。
 そして、4月に入ると、母も夫も、万全のサポート体勢を整え、私の「遍路行の決断」を静かに待ってくれているようだった。
 家族のおもいやりが、あたたかく、うれしい。 

 家事全般は、母に任せていける。前回まで気がかりだった、「留守中の母のこと」も、今回は、夫がいてくれるので、安心だ。
家族が増えるということは、「安心」も増すんだなぁと、しみじみ幸せを感じた。 

 仕事の都合もつき、よくできた家族に後押しされて、私はまた、「遍路」に出る計画をたてることができた。
 今年で、足かけ8年、6回目の「遍路行」となる。
残す「札所」は、24ヵ寺。

 いよいよ最後の、「涅槃の道場・香川県」にはいる。

平成11年『自分探しの旅』
4月14日(水)[ 晴れ ]

 最後の遍路旅のはじまり。

 結婚で引っ越したので、今回は、「神戸から」ではなく、「西宮から」(同じ兵庫県だけど)ということになる。
 夫が休みを取って、新幹線の「新神戸」まで見送ってくれた。
いままでの独り身と違い、「夫と離れてひとり旅をする」ということに、妙に寂しさや不安を感じるのはなぜだろう。
でも、電車に乗って、いざ出発してみると、また「ひとりの開放感」が戻ってきた。(・・・環境にすぐ順応する性格だった)

夫のありがたみ

 岡山で在来線に乗り換える。この時点で交通費は9150円。
「ちょっとー、高いんじゃないのー?」でも、昨年の「明石海峡大橋開通」の影響で、フェリーがなくなってしまったのだから、仕方ない。
 実は、昨夜遅くまでこの事実を知らず、前回帰ってきたと同じ航路と船で新居浜へ行こうと思っていた。「妻を見送る都合」で、夫がフェリー会社に電話を入れ、判明。私ひとりだったら、
「行ったけど、船も乗り場もなかった」と言って途方に暮れるはめになるところだった。(私と違って、夫は、慎重派なのだ)
「その行き当たりバッタリの性格で、本当に無事に帰ってこられるのかなぁ」と心配する夫に、「何とかなるでしょ」と、これまたのんびりした答えしかできない私。(すみません) 
 電車は高くつくが、2時間40分で着く(フェリーなら8時間)。
スピード=お金、まさに「時は金なり」なのね。

 瀬戸大橋を渡る時、母の作ってくれたおにぎり(これだけは毎回同じ)を1つ食べた。海は、日本は、本当に美しい。母のおにぎりは、とてもおいしい。
「晩ご飯はどうしよう」と考えているうちに、もう新居浜駅に着いた。
ここからはタクシーで、すぐだ。

ビンボーモード突入

 前回の最後の宿、ビジネスホテルMISORAにチェックイン。
(さすがに、最初の宿は予約しておいた)
 おととしと何にも変わってなくて、少し懐かしかった。フロントのおじさん(他のことも全部この方がやってるんだと思うけど)、見覚えがある。「おととし、ここから帰ったんですよ」と言うと、「ああ!」と、覚えてて下さったようだ。
あの時、何かと親切にして下さった女性は、この方の奥さんかしら、また会えるかしら、とイロイロ考える。
 荷物を解いてから、近くのローソンに買い出し。今夜の晩ごはん、明日の昼食、水筒がわりのミネラルウォーター、おやつ少々。明日は宿で朝食を食べさせてもらえるので、あまり早起きする必要もないし、早く着いたので、時間はたっぷりだ。でも、テレビは100円とられるから、見ないことにした。
(もう、ビンボーモードに入っている)
 ごそごそしていると、隣りの部屋からテレビの音が聞こえてきた。
何の番組かなと思って、壁に近づいて耳をすませてみた。どうも、外国のエッチなビデオらしい。英語のあえぎ声(想像におまかせ)が聞こえる。
そうだとわかると、耳をすませなくても、かなり聞こえてしまう。
(ああもう、いきなり俗っぽい)
 まだ8時前だし・・・、寝るにも早いし、どうしたもんかしらん。

 午後10時まで「遍路地図」とにらめっこしてから、寝た。

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