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掬水へんろ館
平成10年

修行生活

 3月、「結婚」のため、神戸から、同じ兵庫県の「西宮市」に引っ越し、夫と、私の母との3人暮らしがはじまった。

「おまえが結婚するとは、今世紀最大の驚き」といわれるほど、親戚・友人の度肝を抜いたようだが、実は私自身が一番驚いていた。
「恋愛」はしても、束縛の象徴のような「結婚」にはまるで興味がなかったし、私には「遍路をやりとげる」という大きな課題も残されていた。しかも相手は8才も年下なのだ(今まで、年下とつきあったことはなかった)。
でも、反対に、今までの「遍路行」によって、自分の中の「こだわり」というものが、少しずつなくなってきていたのも確かなようだ。
 「結婚」=「束縛」という図式自体が「古い」のであり、お互いの考え方で、それはいくらでも変えられる。人妻が1人旅をしてもいいではないか。
年上だから「頼りになる」、年下だから「たよりない」とはいえない。
 事実、我が夫は、「精神年齢」では私をはるかに上まわり、私の行動にも、人が驚くほど「理解」があるのだ。

 というわけで、めでたく「結婚生活」がはじまったのだった。
そして、「なにがなんでも遍路には行く、完結させる」との、結婚前の約束通り、4月には、ちゃんと「行く予定」をしていた。
家族になって1ヶ月にも満たない、母と夫を置いて、「最後の遍路行」に出るハズだったのだ。
 ところが、「準備」も整い、さあ、という時、突然、ダンナがぐずった、のではなくて、母が「ぎっくり腰」になってしまった!
 健康な2人なら、まだぎこちなくても、置いていける。でも、家事をまかせるはずが、いきなり「寝たきり状態になってしまった母」を置いては、とても行けない。「まだロクに会話もしたことのない妻の母との2人暮らし」に「はじめての家事」では、それこそ、夫はパニックになってしまう。
 それに私は、「無類の根性なし」なので、夏の遍路も冬の遍路もダメ。
「秋」も、まむしの「咬みたい時期」だとかハチの「刺したい時期」だと脅かされ、自信がない。

 結局、この年の「遍路」は、あきらめた。

 しかし、夫のことを言える立場ではない。私にだって「はじめての家事」なのだ。今まで仕事を理由に「家事全般」を母に押しつけてきたツケが、ここで一気に爆発!
 母が「ねたきり」の数週間、炊事・洗濯・掃除に追われ、身も心もボロボロになった。「たいそうな」と思われそうだが、私にとって「家事」は、異次元の世界のことなのだ。
(何が大変だったのか、言いだすとキリがないのでやめておきます)
 世間の主婦、母たちは、本当にエライと思った。
(仕事してる方がずーっとラクよ、ほんと)

 とにかく、「家事は半分こね」なんて約束、守れるハズもない忙しい夫を、時々チクチクいじめてストレスを解消しながら、今までにない努力と労働の日々を過ごしたのだった。

 これは、遍路行以上の「修行」だったかもしれない。

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