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掬水へんろ館

平成9年『出会いの日々』
【6日目】(通算40日目) 5月17日(土)[ 晴れ ]

 ここのところ、どうも「すっきり目覚める」というわけにはいかない。
どんより、と身体も心も重ーいまま、必死で起きる。このままここにしばらく泊まって、疲れをとりたい。でも、甘えていては、先へ進めない。辛い。

 6時に起きて、ぐずぐず準備をする。テレビで天気予報をやってるチャンネルを探しながら、きのう買っておいたパンをかじる。
ゆうべの飲み過ぎ(お酒ではない。お茶・ジュース3本・牛乳250ml・アイスココア300mlを、いっぺんに飲んだのだ)がたたったのか、胃が重苦しい。
でも、外は激しくいいお天気なのだ。行かねばならない。

どろどろした気持ち

 ホテルのフロントで、地図をもらって、「59番」をめざす。2キロちょっとだもの、かるいかるい。
 でも、気持ちがどんどん地面にのめり込んでいくのがわかる。足を前へ出すのがやっとだ。いつもみたいに「さわやかー」になんてとても歩けない。
通学の自転車軍団はもちろん、道で会った人にも、「笑顔をむける」くらいが、やっと。小さな声で「おはようございます」と言うのがやっとなのだ。

 どろどろした気持ちで歩いていると、道ばたの水たまりを、一生懸命、土で埋めてるおじさんが目に入った。スーツの上着だけを脱いだ姿だ。
服も汚れるし、朝もはよから大変だと思って、「大変ですね」というと、「学生たちが通るのに、あぶないから」とおっしゃる。こんなやさしい人もいるのねぇ。
 私の「どろどろした気持ち」も、少し埋めていただいたようで、何だか気分が良くなってきた。

 第59番札所「国分寺」に到着。まだほとんど人のいない境内は、静かでとてもよかった。(と言っても、もう午前9時前なんだけど) 私と一緒に、お坊さんも出勤(?)してこられたようだ。バタバタとあわただしくお寺に入っていかれる。(遅刻したのかしら)

逆さま事件

 お詣りもすませ、さあ「納経に」というところで、団体さんがドッと来た。
ぶつかっちゃった、ヤな予感、と思ったら案の定、納経所には、納経帳と掛け軸の束が、山と積まれていた。
 団体の皆さんがお詣りしている間に、引率の添乗員さんたちが、皆さんの納経帳に印を押してもらっておくのだ。
 こりゃしばらくかかるなぁ、と忙しそうな「書き手の人」や添乗員さんを、しばらくボーッとながめていた。そのうち、書き手の一人が、私を見て「先にやってもらいなさい」と若いお坊さんを指名して下さったので、有り難くやっていただいた。
 後ろへ下がって帳面収納のため、しばらくジタバタしていたら、前方で何だかハプニングが起こった様子。思わず耳をそばだてる。
「ハン、逆さに押してしもたわ!」「え?」「ほら、これ」「ええー!」「どうしよう!」「どうしよう」

 どうやら「納経印」を逆さまに押してしまったらしい。
それって大変なことなのかなぁ、それとも、「それほどたいしたことじゃないじゃん」、なのかなぁ。
だって、「一つだけサカサマ」なんていうほうが、珍しくて価値があがりそうだし、お詣りしたことにかわりはないじゃないか。それに、何度もまわる人は、何度も何度も同じ場所に印を押すので、終いには真っ赤になって、印の原型さえわからなくなるんだもん。いいじゃん、いいじゃん。そんなことで、仏さまは怒ったりしないよ。
 でも、持ち主は仏さまじゃないから、どんな反応するかわからない。もし、「一回だけしかまわらないので、見た目にも完ぺきに美しい掛け軸を作るのだ」と思ってる人のだったりしたら、ちょっともめるかもしれない。どーなっちゃうんだろう。でも、結局どうなったのかまで見届ける時間もなかったので、荷物を背負って納経所を出た。(どうか、誰も辛い思いをしませんように)

かわいげのない遍路

 それでもグズグズしてたので、団体遍路さんと出発が一緒になった。
朝からキゲンが悪い「サイアク仏頂面」で、挨拶もできそうになかったので、おとなしくしていたのに、
「わーかわいい。ホントのお遍路さんや」(貴女たちもお遍路さんでしょうが)
「ほんまの昔からのお遍路さんの姿やねぇ」(それならわかる)と、私を取り巻き、歩いてるのはエライ、若いのにエライと、いつものようにほめて下さる。
でも、朝から超フキゲンの私は、ただ笑い返すだけで、何も言葉が出てこない。皆に取り囲まれ、わいわいほめられても(今回はほめられるほど歩いてないし)、なんだかこそばゆい。やっと道が分かれるのでホッとしていたら、ナント、2人のおばあちゃんから、500円と1000円のお接待を受けてしまった。
 今日はあんまりかわいげのない遍路だったのに、申し訳ない。どーもすみません。ありがとーございました。でもこのお金は、やっぱり使えない。平成4年からの分(ずっと使えずに持ってるお金)と一緒に、「納め札入れ」に入れた。

 今日は本当に暑い。暑いのに日陰がまったくない。汗ダラダラ流しながら、ひたすら歩くのみだ。胃も重い。車がそばをビュンビュン通るので、景色をみる余裕さえもない。虫とも鳥ともヘビとも遊べない。悲しい。
 孫兵衛作バス停で、やっとひと休みした。ここは「孫兵衛さんが作ったバス停」ってことなんだよね。名前からすると、かなりのじいちゃんだと思うんだけど、「バス停」なんてハイカラ(?)なもの作ってくれたんだ。おかげで助かりました。孫兵衛さん、どうもありがとう。
(あとで、「孫兵衛作」は「地名」だと教えていただいたが、その地名も、孫兵衛さんが作ったの? と、私の中のナゾは深まるばかり・・・)

世田薬師の「お客さん」

 今度は「世田薬師」までがんばった。
かなり大きなお寺なのに、どなたも見えないし、ロウソクも線香立ても、畳敷きの本堂の中だ(靴を脱いで上がらねばならないということ)。このままお詣りせずに行ってしまおうかとも思ったが、やはり少し休ませてもいただきたいので、隣りのお堂の修復工事をしておられたおじさんに断って、中に入れていただくことにした。
 お詣りをすませ、靴を履いて出ようとした時、お寺の奥さまが、お茶を持ってきて下さった。(私が本堂に入ったのをご存知だったのだ)
しばらくここで休んでもよいとのこと。有り難い。

 ご本尊の前で、畳に足をのばし、きのう買っておいたパンとジュースで早めの昼食をとりかけたところに、突然お客さん(?)が来た。
私にいろいろ訊ねてこられるので、「あ、あたしは通りがかりの旅のもんですんで、ちょっとここの奥さん探してきやす、いや、きます」なんて言って、母屋に奥さんを探しに行ったり、何だかんだでバタバタして、時間がアッという間に過ぎてしまった。

 そのお客さん(お寺に来る人でも「お客さん」と言うのかな)は、生後6ヶ月の男の子を連れた、若くてなかなかのプリティママ。
なんでも、子どもを写した写真に何か写っていて、もし「悪いモノ」ならお祓(はら)いしたい、みたいなご相談らしい。いや、直接聞いたわけじゃないんだけど、同じ本堂の中にいたら、いやでも聞こえるわけで・・・。極力、聞くまいと、一生懸命「パンかじり」に専念はしていても、耳が、勝手にそっちに向いちゃうっていうか・・・。(片方では深刻な話してんのに、こっちでは、ばくばくパンかじったり、ジュースずるるー なんてやってて、なんか、すみません、て感じ)
 結局、あとでご住職が見て下さるということで、少し待つことになられたようだ。写真に何が写ったのか気になるけれど、ちゃんとお祓いしてもらえば大丈夫でしょう、きっとね。(科学的に説明のつくものかもしれないしね)
 同じ本堂の中にいるので、私も赤ちゃんの顔を見せていただいた。この子がまあ、まるまるしてて、ムチャクチャかわいい。よく笑う。「この子なら大丈夫」って感じだった(何がだ)。
 健康で丈夫に育ってほしいものだ、などと考えながら、広い空間が静かに広がる本堂で、随分長居をした。

住職、さっそう

 工事のおじさんたち(大工さんなんだと思う)の、のんびりした話し声も聞こえて、なんとなくのどかで気持ちいい。

いいなー、いいなー。
と、いつまでもここにいるわけにもいかない。そろそろおいとましようと、リュックを背負ったところで、お寺の奥さまが、お接待にと缶のお茶を持ってきて下さった。荷を背負ったままで、また長い話がはじまる。
神戸の震災のことや今日私が泊まる所まで、いろいろ心配して下さる。

 そうこうしているうちに、ご住職が、紫の袈裟をひるがえして、颯爽と現れた。(オー、なかなかかっこいいぞ)
 「60番の横峰山に登るお遍路は、みんな『栄家旅館』に泊まるみたいだね。よかったらウチから電話して、宿をとればいい」と、なんともご親切なお言葉をいただいた。早速、お寺の電話をお借りして宿に電話してみたが、どなたも出られなかった。「あとでまたしてみます」、と言ってお世話になった世田薬師を出る。
 奥さまといい、ご住職といい、若くて頼りがいがあってすがすがしい、いい感じのご夫婦、お寺だった。

 途中また電話して、宿もとれた。予定通りの「栄家旅館」だ。
(ここがダメならどうしようかと思ってたのよ、他にはないんだから)
 ただし、今日は家の方がお出かけで、5時半までは入れない、食事も作れない、とのこと。いーえいーえ、そんなことかまいません。泊めて下さるだけで有り難いんです、時間なんていくらだってつぶせるし、ゴハンはどこかで買えばいいんです。
 というわけで、途中の「道安寺」、「臼井の水」にもしっかりお詣りし、次の「日切大師」でしばらく休憩。お詣りを済ませて、そばの縁台に座った。
まぶたが重い。今日は朝から、歩きながら寝そうになっていたのだから、座ったらイチコロだ。眠くて眠くて・・・。

先をゆく人

 お寺は、道から少し奥へ入った所に、ひっそりと佇んでいた。
かなり寂(さび)れてる風だが、たくさんのお供え物も置いてあって、いつもお詣りの人が耐えない様子だ。私がいる間にも、おばあちゃんが次々と現れ、日常のことのように、さりげなくお経をあげていかれる。
「観光」とは無縁の「寺」という感じだが、地域に愛されてるお寺はいい。

 私が座っていた縁台に、ドンブリとお箸が置いてあって、ドンブリの下には納め札が敷いてあった。これは誰かがお遍路さんにお接待したに違いない。ちょっと拝見。うーん、何だか見たことあるお札だ。5月17日・・・今日だ。
「思い出した!」
 今日、私の行く所行く所(札所ではない「番外寺」に)、ローソクと線香が先に供えてあったので、一度、納め札箱の中をのぞき込んでみたら、この人のお札があったのだった。(名前は忘れたけど、42才と書いてあった)
いつも私より先にお詣りしてたのは、この人だったんだ。
きのうもそうだったので(姿は見ていないが、いつも私より少し先に、線香をあげた形跡があったので)、もしかしてヨコじいかナと思って訊いてみたけど、「ボクはそんなことしない!」と断言。・・・そうでした。訊いた私がバカだった。

 謎が解けて、スッとした。いつも私の前を歩くこの人に、「会うことは」ないんだろうなぁ。(ところが、会うことになるのよ)
 もう少しゆっくりしたかったけれど、蚊が、あまりにもうるさくつきまとうので、出発することにした。日切大師堂を出るころには、汗もひいて、上着も白パンツ(ジャージ)もすっかり乾いてパリパリになっていた。

「ドッグ・アウェイ」の使い道

 今治市を過ぎて丹原町に入る。せっせと歩いていると、もう出合橋。まずい。
このペースだと、早く着きすぎてしまう。そこで、天満神社の境内でまた休ませていただく。「天満神社」も、とても古びた神社で、大・小の社殿が、ひっそりと建っている。まわりのどこからでも境内に入れるオープンスペース(塀がない)になっていて、私としては落ち着かないが、地域住民の人たちにとっては、気軽に訪ねられる場所になってるのだろう。

 ここでもまた「蚊」に迫られた、いや、攻められた。
「プンプンうるさい子ね!」 ・・・あ、足にとまった。
「キミねぇ、そこはジャージの線(タック)の部分なんだよー。いくらやっても皮膚にも肉にも、血にも到達しないと思うなぁ」とアドバイスしても、蚊君は、針を何度も刺しては引き抜き、刺しては引き抜きして、私の生足に流れる「おいしいハズの血」を探している。
「一生懸命なのねー、でも、刺されるわけにはイカンのよ、すまんねー」などと声をかける。でも、とうとう大群でやってきて、あんまりうるさいので、一度パチンと叩いてしまった。でも、パチンの「パ」ぐらいで、「ヤバイ!」と気がついたので、「チン」の時には、手の力が抜けて、蚊はつぶれずにすみ、「きゃ〜、プーン」と、飛んで行ったのだった。
 遍路が殺生しちゃイケナイ。しかしこれから「蚊」と、どう折り合いをつければいいのか、悩むところだ。
「そうだ! Dog Away をふってみよう!」
 蚊本人にふりかけては、死んでしまうかもしれないので、私の足にスプレーしてみる。「うぎゃー!」。はしたなく叫んでしまった。やっぱり臭い。蚊より私が退散したいくらい強烈に変わった匂いだ。しばらくは息もできなかった。
犬が嫌って、オシッコをかけなくなるというのだから、人間にかけるもんじゃない。臭すぎる! 
でも、これを好きな子がいた。「ハチ」だ。どこからともなく現れて、追っ払っても追っ払っても、Dog Awayをかけた私の足に、寄ってくる。
柑橘系の香りが、本能をくすぐるのだろうか。一生懸命、足に近づくのだが、ミカンの花はどこにもない。どーしたものかと、ホバリング状態で悩んでる。
「あのねー、いくらそこで悩んでも、ダイコンの花も咲きゃしませんよー、悪いねー」

 蚊とハチが、あんまりうるさくつきまとうので(つきまとうのは昆虫ばっかり)、まだ時間は早いけれど、仕方なく出発した。また少し進む。
もう宿までは目と鼻の先。次は「遍照寺」というお寺に飛び込んだ。
 札所でも番外でもなんでもない、フツーの(何がフツーなの?)お寺だけど、まさか「お詣りするな」とは言われないだろう。とにかくお経を上げさせていただく。でも、「時間つぶしに入った」なんて、バチがあたるかな・・・ごめんなさい。
 最後に、「今日はゴハンがない」と電話で聞いていたので、宿より少し手前のスーパーで、買い出しをした。エネルゲンやヴィダーインゼリーといった、パワーの出そうなものと、「あ、あれたべよ」(お弁当のようなもの)、デザートのヨーグルトまで買った。ここで、やっと5時半。

レンジでチン

 「栄家旅館」到着。とっても感じのいい若奥さんが、「すみませんすみません」と、応対して下さった。
「今日は、父と母が2人そろって出かけていて、明日まで帰らないので、何にもできないんです」とおっしゃるが、なになに、できなかったのは食事だけ。お風呂にも入れていただいたし、布団まで敷いていただいた。「あ、あれたべよ」(レンジでチンすれば食べられるレトルト食品。「カレーライス」などが、すぐ食べられる)を、レンジでチンもしてもらった。久々にこの手のもの(「マーボーご飯」にした)を温かい状態で食べられて、これはこれで、けっこううれしおいしかった。

 朝よりは少し元気になってる感じだ。でも、明日はいよいよ「横峰山」。
難所難所といわれているけれど、どの程度なんだろう。今回は20キロと少しくらいのキョリが限度みたいなのに、山越え有りで21.3キロ、しかも難所。
大丈夫かなあ、ちーと不安だ。
 ま、今回も一度くらいは、「しんどいめ(大変な目)」にあわなきゃいけないのかもしれない。

 きのうから気になってることがある。右腕のつけねの一部が、麻痺してる感じなのだ。触っても、その部分だけ感触がない。つついてもつねっても痛くないし、何のカンカクもない。ずだ袋を、右肩にばっかりかけてるせいだろうか。それにしても「一部分だけ」というのが、気持ち悪い。

 ええい、寝てしまえ! おやすみなさーい。

(右腕のつけねの「麻痺」は、その後1ヶ月あまり続いて、もとに戻った。原因は未だにわからない)

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