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掬水へんろ館

平成9年『出会いの日々』
【3日目】(通算37日目) 5月14日(水)[ 雨 ]

 ゆうべは10時半にはベッドに入ったが、午前1時半頃暑くて寝苦しくて目が覚めた。午前4時半、今度は寒気がして目が覚める。どうもノドが痛い。ヤバイなぁ。外は雨の音がしてるし、こんな日に歩いたら完全にまいるよなぁ。今日一日、このホテルでお休みしたいなぁ。でも、まだ3日目、いくらも歩いてないのに・・・。

 ダメだ、行かなくちゃ。

 肩、足のひどい筋肉痛に加えて、髪はバクハツ、浴衣はだけまくり、超ブータレ顔。最悪の気分ながら、なんとか起きあがった。きのうの飲み過ぎ(ジュースよ)食べ過ぎで、胃がどんよりしているので、胃薬を飲む。
 荷造りをしながら、それでも朝食のパンを食べる。

青ずくめのヘンなヤツ

 テレビの天気予報は、雨90%と言ってるから、カッパ・傘の完全装備をしたのに、外の雨は、やんできた。(どーすりゃいいのよ!)
 脱ぐのもまた一苦労なので、そのまま出発。少し歩きだすと、また激しく降り出した。・・・天気予報、信用してよかった。

 さて、さすがナカナカの街中だ。車の量は多いわ、通学の子どもたちは通るわ、もう大変。
 この辺の子たちは集団登校しているようだ。ちっちゃいのが5〜6人、一列になってトコトコ歩いてる。「おはよー」と声をかけようと思ってたのに、ビミョーに視線をはずされる。真っ白の「まるでお遍路の見本」みたいな、いつものスタイルなら、それほど怪しまれなかったかもしれないが、今日はブルーのカッパの上下、グリーンのカバーのかかったリュック、菅笠と杖を持って雨傘をさしている。ウエストバックと、肩からは、ずだ袋(これも濡れないようにビニール袋で覆ってる)まで・・・。どう見ても変なヤツだ。
「見てみたいけど、こわいぞこわいぞ、目をあわせるな」という、子どもたちの気持ちが伝わってくる。小学生のヒヨコ集団は、ひたすら私を無視して(半ばキンチョーして)、よこをすり抜けていった。
 自転車軍団の方もすごい数だった。中学・高校くらいかな、いや、おとなも大勢いた。わんさか通ってく。「ここは中国・ペキン?」って感じ。
私だけ、別世界から来た「青ずくめのヘンな奴」で、私のまわりだけ、別の時間が流れているようで、しばし「異次元体験」をしてしまった。

運のいい、かたつむり

 ふと我に返って、進みはじめる。自転車をよけるために、少しだけ人家に踏み込んだら、目の前の門柱にカタツムリが2匹くっついてた。自動車や自転車が忙しくそばを通り過ぎていくのもかまわず、「いやーん、かわいいやないのー」と、しばらく見とれる。
 カタツムリを見たのなんて、小学生の時以来かもしれない。ほんとは、捕まえて2匹で競争させるか、塩をかけて、溶けるかどうか見てみたかったけど(遍路が何すんねん、それにナメクジとちゃうのよ)、忙しいので見逃してあげた。

雨化粧

 雨はずーっと降ってる。ずーっと、ずーーっと。
番外霊場の「蓮華寺」に立ち寄ろうと進んでいたら、ふと不安になった。近くにいらした(何かの営業所みたいな所の)オバサマに、道を訊いてみる。
 少し化粧の濃い、恐そうな感じの人だったのに、ものすごく親切に教えて下さった。先の方までとても詳しく。(人は見かけじゃない)
でも、私の頭には「まっすぐ」とか「次を曲がる」くらいのコメントしかインプットできない。だからその先の「あー行ってこー行って○番目の信号を・・・」というくだりは、ほとんど聞いてないのと同じなのだ。なのに、お礼を言って歩きはじめた私のあとを必死で追っかけてきて下さって、
「さっき言ったあとの方、間違っとったわー、ゴメンゴメン」。
 雨に濡れて、せっかくのお化粧が10分の1ほど剥げかけてるのも気にせず、もう一度、道を教えて下さる。ああオバサマ、「まっすぐ」さえあってりゃ、それでよかったのです(それ以上覚えていない)。でも、ご親切にありがとうございます。
とその時、通りかかった(少し若めの)別のオバサマが、
「あたし、そっちの方行くとこやから、連れて行くわ」。

 かくして私は、オバサマ同士の見事な連携プレーにより、目的の蓮華寺の門前まで導かれることになったのだ。2番目のオバサマは、この雨の中、松山の高島屋で開催されている「バラ展」に行かれるという。「歩き遍路の道案内ができて、うれしい」と言って下さった。この人も、いい人だ。

蓮華寺センサー

 やさしい方々に出会い、心あたたかい気持ちで、「蓮華寺」の階段を上る。 
蓮華寺は雨の中。(さっきからずーっと雨なのよ!) 石段がすべる。あたしは特に、すべりやすい女。心あたたまって感傷にひたってるより、注意一秒ケガ一生、に気をつけなくちゃイカンのだ。
 慎重に2・3歩上がったところで、出た、また犬だ。今回はお守り(Dog Away)を持ち歩いてるせいか(使ってはいないけど)、ほとんど犬に吠えられることはなかったのに。まー、この子ときたら、わんわんわんわんわんわんわんわんわん・・・。(うるさーい!)
 つながれてはいないが、敵が小さかったのと首輪をしているのとで、少しは安心した。「そーよねー、今日はこんな怪しいカッコしてるもん、とーぜんよねー。吠えるのが貴方の仕事だもんねー。でも、ドロボーじゃなくて、お詣りに来たの。貴方も、大師杖くらい知ってるでしょ、お寺の犬なんだから。だからそんなに吠えなくていーのよー」と、余裕の発言をしながら、次の石段を上る。

 上の境内には案の定、誰ひとりおらず、雨で(というよりは、番外だし、しばらく誰も訪ねてないという感じだ)、線香の火もとだえていた。静かにローソクを灯し、線香をたてる。こんな雨の中、さびれた古寺の境内に、ひとりお詣りするけなげな娘遍路・・・。美しいシチュエーションだ。
 「それではここで私の美しいお経の声をば」、と本殿に進み出た。と、突然、お坊さまの読経の声があたりに響きわたった! 
「なに、なにー?」 
 センサーが人の気配を感知すると、スピーカーからお経が流れるしくみのようで、テープに吹き込まれたお坊さまの声だったのだ。
はぁー、さびれたお寺とか言って失礼しました。なかなか近代的なのね。さすがに、キョロキョロ探したりはしなかったけど、びっくりしちまった。
 テープの読経は、しばらくすると「ブチッ!」と終わって、辺りにまた静寂がおとずれた。

 本殿前の軒下に座って、しばしぼんやり。雨はまたいちだんとひどくなっていた。荒れ寺に、ひとり。ただぼんやり、雨を見ている・・・。そんな孤独と悲哀こそが、遍路の醍醐味、じゃなかろーか。

 しかし、いつまでもそこにいるわけにもいかない。雨の中、また歩き出す。さっきの犬も、帰る私には「わんわんわん」くらいの遠慮がちの声になっていた。
(帰る人間には興味ないのね)

ドジと経済観念

 「へんろ標識」を見ながら歩いていたハズなのに、ずいぶん違う道へ進んでいた。「52番へ行きたい」と、人に訊ねて歩くのだが、すでに「53番寺」近くまで進んでしまっていたようで(土地の人には、私が、順番どおりに打ちたい、なんてことはわからないから)、誰もが、近い方の寺を教えて下さる。仕方ないので、53番を通り越して52番へ行くことにした。蓮華寺から4キロで着くはずだったのに、どれだけかかったんだろう。おまけにまた同じ道を引き返さなきゃならない。
・・・雨なのに。

 雨と自分のドジに打たれながらも、第52番札所「太山寺」に到着。ここは一の門を入っても、まだ町の中だ。次の門を入るとすっかりお寺の中のようなのに、急坂の途中、まだ民家らしき家が数軒。もっともっと上がって、やっと境内だった。
遠いのねー、でかいのねー。

 お詣りして帰り際に、数人の遍路さんを連れた、坊さまらしき先達さんに、「一人で歩きよるの? えらいねー、なかなか出来ることやあらせん」と声をかけられた。「それだけ時間があるってことで、贅沢だとも言われます」と謙遜して言うと、「ほんまや、歩き遍路より車の遍路の方が、接待してもらわなアカンくらいや。泊まるお金もバカにならん」、と言って去って行かれた。
 えー? オジサン、それは違うよ! 車の遍路は、7泊8日くらいでピヤーっとまわっちゃうけど、「歩き」は、特に私くらいノロいのは、何十日もかけてまわるんだよー。とーぜん、今まで30泊以上してるんだから、お金はすごーく使ってんの。こっちこそ「バカにならん」の。よーく覚えとってよねー、とひとり心の中で文句をいうのだった。
 でも、ほめてくれたから、やっぱりいい人だったと思う。・・・何のこっちゃ。

 今来た道を引き返して、53番へ向かう。途中渡った小さな川の上流から、いくつもいくつも「ミカン」が流れてきた。どんぶらこどんぶらこって、いくつもいくつも。「もも」じゃない、まだキレイな本物のミカンなのだ! 流すくらいなら、くれりゃあいいのに、もったいない。きのうダイエーで買った伊予かんなんか、1個158円もしたんだぞ!
 遍路に出ると、ケチでビンボー性になるのだろうか。いや、普段はない経済観念がでてくると言っておこう。(自慢にならんっちゅうの)

 第53番札所「円明寺」で、お詣りと(西川さんにいただいたパンとジュースで)昼食を済ませ、少し小雨は降っていたものの、ある女性に見せたい一心で、カッパを脱いで「白い遍路装束」に戻った。

ぶぶづけ

 いよいよ約束を果たす時がきた。

 フェリーで会った、京都の女性、松山の老人ホームに入る、あの山崎さんを訪ねるのだ。
 今回の滞在もあと何日か残っていて、ホームにいらっしゃるハズだ。私のこと、待ってて下さってるだろうか。それとも「京都の人」だから、「来て来て」と言ってても、実際に行くと、「やだーこの子、本気にしたのかしら、メイワクー」なんて思われるのだろうか。
(京都には、有名な「ぶぶづけ(お茶漬け)でもどうです?」の逸話がある。単なるお愛想なのに、本気にして家にあがったりすると、「何て無粋な人なの」と嫌われるらしい。京都の人は本音と建て前が違うというお話。京都の友に訊いたら、「ほんとよー、気をつけてね」と言っていた。・・どう気をつければいいんだ?)
と少しドキドキしながら、権言町を目指す。
「へんろマーク」が近くにあったと彼女は言っておられたが、遍路地図には、権言町は載っていない。おかしいなぁ。

 しばらく行った所で、駐在所を見つけたので、これ幸い、入って訊いてみることにした。人の良さそうな、真面目そうな、神戸では決してお目にかかれないような「田舎の駐在さん」タイプのおまわりさんがひとり。
 こりゃ、すぐわかるぞ、と思って、山崎さんのいる「松寿園」を訊いてみた。と、「うーん、どんな字? 老人ホーム? えーと、えーと、ボク、この4月にこっちに来たばっかりやから」。
 えー? でもまあ、地図さえ見れば・・・。
しかし、彼は地図とニラメッコしたまま悩みまくってる様子。とうとう、訊いてすぐ出られると思って背負ったままにしていたリュックを降ろした。 
名前からやっと住所がわかった。でも今度は地図での位置がわからない。
「えーと、・・・うーん」
なんだか気の毒になってきた。彼のプライドを傷つけてしまいそうで、一緒に探すこともできずにいると、「あった! ここから簡単に行けそうだよ」 (ホッ) さてそこから説明に入って下さったのだが、これがまたさっぱり要領を得ない。
 おまわりさーん、私けっこう急いでいるの、そんな簡単な場所なら地図かいてー! 
 「描いて」と言うと困った顔をされるので、私にしては珍しく、「地図を頭に入れて」(といっても、橋を曲がれば一本道なのさ)、お礼を言って出た。

 おまわりさんも、退職後は奥さんと2人、四国参りしたいのだそうだ。テキパキしたタイプじゃないけれど、とっても人のいい、町の駐在さんだった。この町では決して「殺人事件」など起こりませんように。(あの人には似合わないんだもん)

 教えていただいた(というか自分で覚えた)道を、せっせと進む。すっかり通り越していたので、かなり後戻りして、そこからさらに2キロは歩いたと思う。
 てくてくてくてく。山崎さーん、「駅から近い」って言ったのに、駅なんかはるか向こうじゃないかー。何でこんなに遠いんだ。雨もまた降りだしそうだし、足は痛いし、今日の宿もまだ決めてないのに。遠すぎるじゃないかー!
 京都の町中に暮らしている人とは思えないキョリ感だ。「これからは、どこの土地の人でも、年輩者の「近い」は信用しないぞ」、なんて文句たらたら言いながら、途中また人にも訊いたのに、私ってばまた、間違えた。
足痛いのに、通り越してんの、バカもここまでくればおめでたい。 
♪はぁーこりゃこりゃ♪ てなもんだ。(もうヤケクソ)

再会の時

 ポツンと立ってらした、かなり高齢のおばあちゃまに道を訊ねると、「あらあ、越してしもうたね」と言いながら、なんと「松寿園」の門前まで、送って下さった。素足に下駄履きなので、「足、寒くないですか?」と訊いたら、「寒うないよ、上は毛糸きちょるにね」と笑う。確かに不思議な姿だ。でも、とても素敵なバーちゃまだった。後生大事に持ち歩いていた、長珍屋の部屋から持ってきたおまんじゅう(ちょっとひしゃげちゃってたけど)1個を差し上げようとしたら、「なあに、こっちが接待せんならんのに。いやいや、こらえてちょうだい」と、受け取ってはいただけなかった。

 「松寿園」に入って、誰もいない玄関で呼びかけたら、山崎さんご本人がいきなり登場! 
「永井さーん?」
 2階の部屋から私が来るのが見えて、あわてて降りてきて下さったのだった。
喜びの再会!

 突然の白装束遍路の出現に、入園者の方々は、一瞬ギョッとされたようだが、挨拶をすると、「ごくろうさんやね」とねぎらって下さった。ホームにお祀りしてある「観音様」にお詣りしてから、山崎さん個人のお部屋に入れていただいてお話。(ここでは皆さん個室にはいっておられる)
 さあ、はじまった。相変わらず、話が止まらない。でも、私が訪ねたこと「うれしいうれしい」と思って下さってるのが伝わって、私も、うれしいうれしい!
 約束の「お守り」も渡せた。そして、先ほどの(長珍屋の)おまんじゅうを出したら、山崎さんは、その場ですぐ食べられた。「・・・」。
(私にとっては、さっきのおばあちゃまも山崎さんも、どちらの反応もうれしかったけど)

 ひとしきり、ホームでの生活や入居者の方たちのお話などにつきあったが、そろそろ行かなければならない。宿だってまだ予約していないのだ。

お元気で

 一緒にその辺まで出かけるという山崎さんをせかせて、階下へ降りた。
地図にない場所へ来ているせいで、方向がさっぱりわからず(もと来た道を引き返す勇気もないので)、ホームの寮母さんをつかまえて、必死で、少しでも先へ進める道を教えていただく。
 しかしすでに午後4時。キャー! 今から予定の宿まで10キロも(この時はあと10キロと思っていた)歩けるわけがない! どうしよ、どうしよ。
悲しい性で、顔では「ヘイキヨ」と笑顔をつくりながら、気持ちは、めーいっぱいあせっていた。
 遍路地図で見て、ここから一番近いであろう「民宿みやもと」に電話をいれると、快くOKをいただけたので、ひと安心。やっとホームを出た。また雨になっていたので、またカッパ装着。(よく働くカッパに表彰状をあげたいくらいだ)

 途中まで、山崎さんと歩く。
なるべく早く宿に着きたいので、けっこうあせっているのに、話がはずむと、すぐ立ち止まってしまわれる。もしもーし、私は急いでいるのです。
「足でまといになってもいけないから、その辺までね」とおっしゃるんだったら、止まらないで! ゆっくりでもいいから、歩いてくださーい!
 なのに私も、つい相づちを打ってしまう。「私、でべそだから」なんて言われて、聞き流せるわけがないのだ。「え? どういうことですか?」って訊いちゃったからイケナイ。また、延々説明がはじまる。
 ひと言で言えば「出かけるのが好きな人」ってことらしい。それならそーひと言で言って下さい。その説明のために、何分立ち止まっていたことか・・。とほほ。

 ホームから、ずいぶん遠くまで送ってくださった。これ以上行くと、今度は、彼女の「帰り」が心配になる。何度か説得して、やっと引き返して下さることに。
 2人とも、何度も何度も振り返って手を振る。
好奇心が強くて、話好きで、けっこうカンカクも若くて・・・。本当にかわいい方だ。ホームは環境はいいけど、刺激が少ないとおっしゃっていた。そーでしょーとも。でも、楽しく暮らして下さいね。
 ずっと幸せでいてほしい、と心から思った。

りっぱな「団地」とイヤな犬

 さあ、急がねばならない。
「民宿みやもと」にもう一度電話を入れると、とても丁寧に道を教えて下さった。「まっすぐ」とか「まがる」のワンセンテンスしか覚えられない私は、今度はちゃんと、教えられたことを書きとめる。これなら完ぺきだ。1時間かからずに着くハズだ。
 寮母さんに教えてもらった近道を通って、国道196号線に出た。少し行くと、左手に久しぶりの海。雨のせいで少し霞みがかかって、海も港も遠くの山も、それはそれは美しかった。景色を楽しむなんて、これも久しぶり。人間ゆとりは大事だ。

 ゆとりをもって、「粟井坂大師堂」にお詣りした。もう北条市に入ったから、楽勝なのだ。ここからは教えられた(メモした)通りに少し歩けば、もう宿。お風呂に入れる、ご飯が食べられる、ゆっくりできる!
 教えられたとーりに、信号を右に曲がり、踏み切りを渡り、右手に上がって行き、教えられたとーりに・・・。
 また間違えた。
わざわざ、「行っちゃイケナイ」と言われていた団地に入り込んでしまった。
これが、「光洋台団地」というだけあって、思いっきり見晴らしのいい高台にあった。雨と疲労でボロボロの足と心を引きずって、上がるかなぁ、そんな上まで。
でも、上がったんだからしょーがない。道が誘っていたのだ。
(一般的な鉄筋ビル群の「団地」なら、いくら私でも気づいたと思うよ。でも、りっぱな一軒家ばかりの団地だったんだもん)
一番高台まで上がったら、大きな一軒家のでっかい犬(家の大きさと比例した大きなゴールデンレトリバーだった)に、またさんざ吠えられた。「しっぽ振ってそんな吠えるんじゃないわよ、いいとこの犬は、上品で物静かじゃなきゃイケナイのよ、そんなに吠えたら、ガキまるだしじゃないの!」とブツブツ。
 少し恐かったのと(情けない)、やっぱり、間違ったなぁの思いで、肩を落としてトボトボ下りる。

 団地を出たところで、小さな黒いお座敷犬を散歩させていたおじさまに道を訊いてみたら、ぜんぜん反対の方を指さして、丁寧に教えて下さった。でもこのチビ犬がまた吠える。キャンキャン声で、吠える吠える。しかも少し敵意をもってる感じだ。道を教えてもらってる間中、おじさまの声が聞こえないくらい、キバをむいて叫びまくる。
「そーよねぇ、こんな棒(杖)なんか持ってて、恐いもんねー」と、やさしく犬に言ったフリをしながら、心の中では、「あんた、いいかげんにしなさいよ! 見りゃわかるでしょ、こんなかわいいおとなしそーな美しい女性が、何か悪いこととか恐いことするわけないでしょ。長いもの持ってりゃ吠えていいってもんじゃないの。道を教えてもらってる間くらい黙ってなさい。おバカなんだから!」と、遍路にあるまじき暴言を吐いていたのだった。おじさまはとってもいい人だったのに、ホントにごめんなさい。でもあの犬はキライだ。

カエルはかわいくない

 「フン! 負けるもんか!(誰に?)」と、教えられた「反対方向」へ歩く。
雨がまたひどくなる。それに、かなり遠い。あまりに遠いので不安になって、また道を訊いた。庭で植木の手入れをしていた奥さんが、またまた丁寧に教えて下さる。で、「はい、とってもよくわかりました。ありがとうございました」って言ってんのに・・・、雨もひどくなってきてんのに・・・、日も暮れて暗くなってきてんのに・・・、奥さん、話が止まらない。
 「どこから来たの?どこまで行くの?一人で歩いてるの? NHKの夫婦遍路のテレビを見たけど、私も車でまわったのよ。それにね、・・・・・ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ・・・」 延々、話が続く。(それにしても、NHKはすごい。今回は会う人会う人に、この夫婦遍路の番組の話を聞かされた)

 何分くらい、垣根越しにおしゃべり(ほとんど一方的だったけど)をしただろう。やっと解放されて歩き出したら、またカエルが合唱をはじめた。雨が一段とひどくなってきた。もう二度とアマガエル(に限らず、雨の日に鳴くカエル)をかわいいとは思ってやらないことにした。
 そこからがまた長い道のりだったが、ほんとに丁寧に教えて下さったので、迷わず、不安にもならず、とうとう宿へ! 宿へ・・・宿へ・・・?

「宿の入口はどこー?」

 「民宿みやもと」は、宿というより、普通の大きな家で、門も垣根もなくて、畑が広がってて、庭があって、どこにも、「入口」らしきものが見つからない。
家のまわりをグルグルしながら泣きそうになっていたら、ポツンと畑に立ってるオジサンが目に入った。駆け寄って、自分の傘をさしかけ(オジサンは、雨の中傘もささずに立っていた)、訊ねてみた。オジサンはおもむろに腕を上げて、まっすぐ目の前の家を指さし、入り方を教えて下さる。
 でもこのオジサン、まったく動かない。雨はますますひどくなってる。いったん傘をさしかけてしまった以上、雨の中にオジサンを残して、一人行ってしまうわけにはいかない。オジサンが動いてくれないと、私も動けないのだ。(おねがい、歩いて!)
 「一人で歩いてまわりよるかい、えらいねー」といいながら、少し、動いてくれた。「全部まわるかい?」「はい」「へー」。こらオジサン、感心してくれるのはうれしいけど、止まらないで!
 こんなことを何度か繰り返して、オジサンはようやく自分の家に帰って下さった。(ご近所の人だった)

幸せの宿

 ほんの目と鼻の先のキョリを何分もかけて、とうとう到着。玄関らしき扉の前に立つ。「○○後援会」の看板があったり、「草の根の宿の会」と書かれてあったりしてなかなか興味深い。
 到着を叫ぶと、人品卑しからぬ、ロマンスグレーの紳士がお出ましになり、たいへん上品な態度で迎え入れて下さった。
私のお杖を自ら洗い、荷物を持って部屋まで案内して下さった。
 奥さまもとても品のあるかわいらしいご婦人で、ここまでの苦労が一気に報われた思いだった。

 とにかく大きな家で、民宿というより、由緒ある旧家を、時々「お宿」として貸しています、という感じ。調度品も、どれもお贅沢なものばかり。
 そこここに、置物・壺・掛け軸・動物の剥製etc. 案内された部屋には、それらに加えて、「フクスケ」のおじさんまで、鎮座ましましておられた。

 何より、入ったとたん、机の上に置かれたお茶セットに添えられていたものに、目がくぎづけになった。次にヨダレがダーーッ。
「うっそー、やっだー、ホントー?」 
古い女子大生みたいな文句が、頭に浮かんでしまう。
そこには、夢にまで見た「イチゴ」が! 3粒も!
「イチゴーイチゴーイチゴー!」(競馬場で、買った馬券の番号を叫んでるわけじゃない) とてもとても幸せな気持ちになった。

 雨で冷えきった身体を、お風呂でしっかり温めさせていただいたあとの夕食が、これまたちょー豪華版。メニューを紹介しますと(予約の時、「肉」か「魚」かと聞かれて「魚」がいいと言ってあった)、お刺身盛り合わせ(甘エビ・まぐろ・ハマチ・タイ)・尾頭付き鯛の塩焼き・カレイの煮付け(1尾)・白身魚のフライ甘酢あんかけ・イワシの天ぷら・筑前煮・かき揚げ2種・いんげんの胡麻和え・タコとキュウリの酢の物。すごい! 種類も多いが量も多い! 当然、ほとんど残すはめになってしまって、申し訳ない限りだったが、心は幸せいっぱいだった。

 食事のあと、奥さまと少しお話した。昨年、手術をされたとかで、あまり体調は良くないのだそうだ。ニトロも手放せないのだとか。「お四国参りにももう行けないかもしれない」と寂しそうにおっしゃる。でも、朗らかでプリティで、とっても素敵な方で、病気だなんて、ぜんぜん信じられない。この方をなんとかお元気にしてさしあげたい、何かできることはないものか、と切に思うのだった。
・・・こんな時、無力な自分が悲しい。

 朝痛かったノドが、また痛みはじめたので、少し早めに布団に入った。

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