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掬水へんろ館

平成8年『野宿』
【4日目】(通算30日目) 4月28日(日)[ 晴れ ]

 朝寝坊した。
 この宿では「早めの時間」らしい、午前7時に朝食をお願いしていたのに、目が覚めたら7時半。あわてたのなんの、こんなことは初めてだ。(ごめんなさい)
 おいしく(でも素早く)ご飯をいただいたあと、必死で出かける準備をしたのに、出られたのは結局9時過ぎ。ホントにトロい。宿の人は呼んでも出てこられないので、また「書き置き」をして出発した。

 今日も暑すぎるくらいの、ムチャクチャいいお天気。しばらくがんばって、旧国道の入口に入る。現国道と違ってほとんど車が通らないので、快適に歩ける。しかし、登り坂だしコンクリートだし、なんたって暑い! ヘーヘー言いながら歩く。
 少し行った所で、茶色のかわいい野良犬に会った。なかなかの低姿勢でついてくる。今まで脅かされ続けてきた、飼い犬の、わがままそーでエラそぶりっ子犬とは違う「謙虚な態度」が気に入ったので、叔母にもらっていた「おまんじゅう」をあげた。それからは、ずーっとついてくる。(何度も振り返って、ついてくるのを確認していた私も私だけど)これがほんとにかわいい。そこでとうとう、きのう買って、今日の昼ごはんにと持ち歩いていた「ヤキソバ」の残り全部を、彼女(確認した)に食べさせてあげた。その後もまだ少しついてきたが、「もうホントに何にもないよ」と言うと、道の中央に立ち止まり、見送るように私を見て、もうそこからはついて来なくなった。
「ああ、やっぱり、犬って、人の心が読めるのね。もう(食べ物が)無いってこと、わかったんだわ」と思って、感心しながら歩いて行くと、前方に、子犬が2匹現れた。

「しまった! そういうことだったのか!」

遍路、野獣の餌食に?

ついてくる犬

 にわかに身体に緊張がはしる。
何度かの「遍路行」で、私はしっかり学習しているのだ。子犬がいるということは「親」が近くにいるってことなのだ。そして、さっきの犬がついてこなくなったということは、明らかに、他の犬の縄張りなのだ。
「どーしよう、こんな山の中、民家もない所で!」と思った瞬間、「やっぱり!」
 どこからともなく成犬の声! それも、1匹や2匹じゃない、四方八方から、ギャンギャン、ワンワン、十数匹はいるんじゃないだろうかという、犬の鳴き声が山鳴りのように聞こえてきた。身体が固くなる、背筋に冷たいものが走る・・・。近くまで来た子犬に目もくれないのはもちろん、声のする方を見ることさえできない。目もつぶってしまいたかったが、それじゃ歩けないし、ただひたすら前だけ見て、一心に歩くしかなかった。「お願いだから見逃してー」状態。
 この瞬間が、一人歩き遍路の一番辛い時じゃないだろうか。叫んでも辺りには誰もいそうにないし、車もほとんど通らない。もし、犬たちに取り囲まれて襲われたらどうしよう、遍路は戦えないし。(戦う勇気もないけど)
「何匹もの犬に噛みつかれるって、どんな痛さなんだろう。すぐに意識を失うんだったらまだいいけど・・・」
 肉を引きちぎられる激痛でピクピクけいれんしてる自分を想像した。アフリカなんかで、猛獣に襲われ食べられるインパラの映像なんかも浮かんでくる。行程半ばにして「歩き遍路、野犬に襲われ、無念の最後」なんて新聞に載るのかしら、やだなー、そんなの悲しすぎるなー、なんて考えていると、気が遠くなってきた。
 走ると追ってきそうでよけいに恐いので、できるだけの「早足」で歩く。あまりに「ドキドキ」して、口から出そうになっている心臓を押さえながら、般若心経唱えまくりだ。
 ほんとのほんとに恐かった。

 でも、誰も(?)追いかけてはこなかった。そして、少しずつ、犬たちの声が遠のいていく。緊張でカチカチになった身体が、少し緩みはじめたころ、トンネルの手前で、一人のオジサン発見。「神さま仏さま、キリストさま!」 もうこの際、誰でもよかった。どれほどこの「人間の姿をした物体」に会いたかったことか! 
 恐かったことをいろいろ訴えたかったのに、緊張とコーフンで、言葉がなかなか出てこない。口をパクパクさせているうちに、「一人で歩いてエライね」と、私の手にアメ玉を一個握らせて、オジサンはあっという間に行ってしまわれた。
 小さなアメ玉が、「よくがんばったね」と言ってくれているようで、なんだか無性にうれしかった。

 それにしても、どんな犬たちが、何匹いたんだろう? 追いかけてこなかったということは、鎖につながれていたのかもしれない。(結局「成犬」の姿は1匹も見ていないのだ)
「姿なきものに」に怯える、自分の中の「恐怖心」を、情けないとも思ったが、・・・恐かったのよーー!

Nさん

別格第6番 「龍光院」
(Nさんに撮っていただく)

 トンネルを抜けて、下り坂。だいぶんラクになってきた。また国道沿いを歩いて、「子安地蔵堂」でひと息。今日はあまり疲れていない。泊まるところは決まってないが、「ま、いいか」の気持ちで歩く。 

 やがて前方に「歩き遍路」発見! そのうち私が追い抜く形になったが、すぐにまた追いついてこられ、一緒に歩くことになった。
 大阪の豊中市在住、52才のNさんという男性で、私と同じ「区切り打ち(88カ所を一気にはまわらず、少しずつ区切ってまわること)」だそうだ。毎年春のこの時期、一週間ほど会社の休暇をとって「遍路」しているとおっしゃる。「若い女性の歩き遍路に会うのははじめて!」と、とてもうれしそうにおっしゃるので、しばらくご一緒することになった。
 あんまりペチャクチャしゃべっていたので、案の定、道を間違えた。
宇和島の街中をさんざんウロウロして、ようやく、別格番外霊場6番「龍光院」にたどり着いた。
 JR宇和島駅で買ったお弁当を食べて、ゆっくりさせていただく。Nさんも、道連れがうれしいらしく、(予定外の番外札所にもついてきて下さり)私に合わせてのんびりしておられる。「歩き遍路」ならと、龍光院のお坊さまが、お接待にと500円も下さった。ごきげんだ!

 少し長居をしすぎたが、なんとか出発。次の41番まで、懸命に歩く。途中、バス停で休憩していると、おばあちゃんが来て、牛乳をお接待して下さった。みなさん本当に親切だ。

 第41番札所「龍光寺」に到着。お詣りしてこの後の対策を練る。
 この寺には宿坊はない。すぐ下にある、たった一つの民宿も、「今日は満室でダメ」と言われた。なんだかあきらめムードがただよってくる。「今日は野宿する」らしいNさんに、便乗しようかなー、と思ったり・・・。

 納経の時間に間に合わないというので、とにかく次のお寺へ向かうことにした。急いで、2,8キロ先の、第42番札所「佛木寺」へ。6時までに着くように、と痛い足を引きずって必死で歩いたのに、着いてみると、「5時までです」「もう納経はできません」と言われてしまった。あんなに一生懸命歩いたのに・・・。お寺の人だってちゃんといらっしゃるのに・・・と悲しくなって、ご本尊の大日如来に、涙声で文句まじりのお詣りをしていると、やっぱり納経して下さることになった。
 心の声が聞こえたのだろうか。念ずれば通ずとはこのことか。(大日如来さま、恨みごと言ったりしてごめんなさい。ありがとうございました)

 それに、このお寺で、ボランティアで「掃除」をしておられるというおじさんが、とても親切な方で、「野宿する(どうしても宿がなかった)」という私たちのために、「境内で泊まれないか」とお寺に訊いて下さった。でも、お寺は、この後「無人」になって、警備会社の管理下に入るらしい。寺内に、見えないセンサーが張りめぐらされ、中で何かが動くと、警備会社が飛んできて大騒ぎになるのだそうだ。「境内で泊まりたい」は、あえなく却下となった。「では、貴女だけでも、家に泊めてあげましょう」とおじさん。でもNさんを残して、私一人よそ様の家でぬくぬくと眠るわけにはいかない。
 結局、お寺の前の休憩所と、その向かいの出店の軒先をお借りして、晴れて(?)初めての「野宿」体験をすることとなった。

大師の化身

第42番佛木寺を早朝からボランティアでそうじするおじさん
(野宿の世話や、食料を下さった)

 おじさんは、その後もいろいろ私たちの面倒をやいて下さった。夕食にと、家から奥さま手作りのおにぎりと焼き鳥、お酒まで持ってきて下さって、路上の休憩所で、にわか宴会が始まる。
 おなかは空きまくっていたし、せっかくのご厚意ですもの、「肉は食べないようにしているので、焼き鳥はちょっと・・・」なんて、言わない! お酒も、身体が温まるので、どんどんいただいた。(つくづく「いいかげん」な遍路だ)
 おじさんは酔うほどに雄弁になって、いろんなお話を聞かせて下さった。このお寺(佛木寺)の奥に、平家のエライ人(誰だか忘れた)が祀られていて、一つだけ「願い事」を叶えて下さるという。あまり知られていないのでお詣りする人は少ないけれど、とてもご利益があって必ず叶えて下さるから、「明日、必ずお詣りして行きなさい」とおっしゃっる。(でも、願いが叶ったら、必ず「お礼参り」に来なければならないらしい) 弘法大師が投げた3つの玉の一つが、このお寺に落ちたという話も聞いた。(高野山にも一つ。あと一つは忘れた。すんません)「弘法大師が寝ておられる十夜ヶ橋には必ず行きなさい」とも教えられた。とてもためになって楽しい話ばかりだった。
 おじさんご自身のことも話して下さった。数年前、娘さんがひどい交通事故に遭われ、その時お医者さんが、「もうダメです(このまま亡くなるか、植物状態になるだろう)」とおっしゃったのだそうだ。でも、どうしてもあきらめきれないおじさんは、即「お四国参り」を決行。88カ所をめぐり、一生懸命お祈りしたそうな。するとなんと、娘さんが、奇跡的に一命をとりとめた、というではないか。「お医者も、びっくりしてた」とおじさん。(お嬢さんは)今もまだ「車イス」だが、ドンドン良くなっておられるとのこと。その娘さんのこともあり、何かお役に立ちたいと、おじさんは毎朝夕、お寺のお掃除をしていらっしゃるのだそうだ。

 仮寝の宿と、食べるもの、そして、遍路には大満足のお話をいっぱい聞かせて下さって、おじさんは帰っていかれた。信心深く、心あたたかい方だった。私には、おじさんご自身が、如来や弘法大師の化身のように感じられ、有り難い、幸せな気持ちでいっぱいになった。

 いつも思う。大師は、いろんな場面を用意して下さっていて、「もう少しがんばって歩きなさい」とか、「こんな人に会って、こんな話を聞かせてもらいなさい」という風に、遍路旅を「演出」して下さってるみたいだ。他人事みたいな言い方だけれど、いつも、ことの成り行きを自分で見守りながら、大師が与え、教えて下さる「出会いと状況」に、驚き、感謝するようになっている。

はじめての野宿

第42番佛木寺前の出店
この夜の野宿場所
このすぐ左手側に自販機がある

 さて、Nさんは、先に、向かいの出店の所で休まれたので、私は一人、お詣りの灯明用のロウソクを灯して(3本も使った)、日記を書く。
線香は虫除けにもなりそうだし、「お詣りグッズ」はサバイバルに役立つみたい。
 家に電話もしたが、「野宿」のことはナイショだ。いらぬ心配はさせられない。

 少し寒くなってきた。眠れそうにはないが、寝る準備をしよう。

自販機荒らしと食料荒し

 確かに私は、イスのある心地いい場所を与えてもらっていたし、幾分お酒も入っていた。でも、枕が変わるだけで眠れないタイプの私が、道ばたの吹きっさらしの出店の商品台の陰で、少しでも眠れたのだから、驚きだった。深夜冷え込むことを考えて、ありったけの衣類(長袖のシャツに寝間着の上下、カッパの上下に、ジャケットを着た)を身につけ、薄いけれど風を通さないアルミのサバイバルシートにくるまったおかげで、全く寒さを感じずにすんだのもよかったのだろう。

 でも少し眠ったところで、3人くらいの男の子の「声」に揺り起こされてしまった。どうも、出店の横に置いてある「自動販売機」と遊びにきたようだ。(俗にいう「自販機荒らし」だ) さんざん自販機と格闘したあと、大きな銀色の塊(アルミシートにくるまった私)に気がついて、「なんかお坊さんがいてるみたい」なんて話になった。そこまで聞いて、私はドキドキしてきた。暗いし、頭まですっぽり隠れてるからわからないが、シートを引きはがされたら、かよわいかわいい(?)女性だって、わかっちゃう。襲われないまでも、いじめられたらどうしよう・・・。心臓が、今度は「バクバク」してきた時、離れた所で寝ていたNさんが、「ゴホン」と咳払いをして下さった。すると、男の子たちは、あわてて立ち去って行ったのだ。あー、よかった。やっぱり男の人は頼りになる。もし私が咳払いなんかしていたら、女性だということがバレて、よけいややこしいことになっていたかもしれない。「野宿」において「女」はとても損だ。
 それにしてもNさん、ありがとうございました。でも、それからはもう「ぐっすりと眠る」ことはできなくなった。ウトウトするばかり。
 そばに置いていた食料の袋に、今度はノラネコがちょっかいを出しに来た。俗にいう「食料荒らし」だ。(言わない言わない) ガサガサやるので、気になってしょうがないし、固い木のベンチに寝ているので、身体も痛い。それに、しょっちゅう車が通る。ゴールデンウィークの真っ最中だからか(?)若者たちが、車をブロンブロンいわせながら、何度もやって来た。(たった2台しかない、しかも壊れかけの自販機によ!) 
よっぽど遊ぶところがないのねー、と思うと、少しかわいそうな気もした。

 疲れているので、身体は眠ろうとするのに、神経が周りの音に反応して、耳や目を起こす。夢と現実の間を行ったり来たりしていたが、最後には、あまりにも身体が痛くて目が覚めてしまった。

 5時過ぎ頃、ようやく明るくなったので、起きることにした。

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