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掬水へんろ館

平成8年『野宿』
【1日目】(通算27日目) 4月25日(木)[ 晴れ ]

 6時半起床。早朝から、92才になった祖母に付き添われ(?)、まずは墓参り。「ご先祖さま、次のお寺までご一緒しますか?」なんて誘ったりしてみる。(もし、死後も魂がうろうろしてるなら、「お遍路行きたいなぁ」なんて考えるご先祖もいらっしゃるかもしれないじゃない)

 これから行く「三原」という所は、叔母の実家のある土地。叔母にも祖母にも道順のレクチャーをうけ、途中まで見送ってもらって、とうとう出発した。区切り打ち4度目の「歩き遍路旅」がはじまる。

トラクターに抜かれる

のんびり草をはむ牛

 三原までの道のりはけっこう長いが、道路は整備されているし、けっこう平たんだ(少し登りのある「真念庵コース」を避けた)。車はあまり通らないし、自然は豊かで、そばをずっと川が流れているので、とても気持ちがいい。しばらくはゴキゲンで歩いた。
 でも、1時間、2時間たつうちに、苦しくなってきた。リュックが重い、肩が痛い。そのうち足も痛くなってきて、泣きたくなってきた。宿に予約電話を入れたくても山の中、公衆電話どころか民家すらない。自然を楽しむ余裕も、すっかり失せて、何でこんなこと続けなきゃならないんだろうと悲しくなる。それでも進むしかない。途中、トラクターに追い抜かれて、自分でもおかしくなった。気を取り直し、水たまりのオタマジャクシを見学したり、イモリの子をつついたりして(ゴメン)、遊びながら歩く。でも肩も足も痛い、日は照りつける。風があるのが、せめてもの救いだ。
 牧場だろうか、急斜面の牧草地に、うすい茶色の、キレイな牛が何頭もいた。
 彼らは、ひょうひょうと涼しげだった。

魚屋さんの厚意

 三原に入った所で、魚の行商の人に「お遍路さーん、お遍路さーん」と呼ばれた。ほめてくれるのかしらんと、急いで駆け寄ってみると、「今日は39番さんの近くの嶋屋という宿に泊まりなさい」だって。
とにかくいい旅館だから、かならず行け、とおっしゃる。「今日はそこまで行き着けないと思うんですけど」と言っても、「ガンバレ!」、と・・・。
 結局、ほめてもくれず、ミカンの一つもくれず(魚屋さんだからミカンはない)、旅館の宣伝をされただけで見送られた。
 なーんだ、と思いながらも懸命に歩いて、やっと公衆電話を見つけたのが、午後2時。今日泊まりたい平田の宿に電話してみる。「今、いない」と留守番電話が冷たく応える。仕方がないので、また歩き出す。平田に入った所で、軽トラに乗ったやさしそうなオバサンが、お接待にと1000円も下さった。平田の人はいい人だ。そういえば三原でも「美人のおへんろさん」と言っていただいた。
三原の人もいい人だ。

 やっと平田の町の中心らしき所に出た。泊まりたかった宿の前まで行ったが、これが何だか、言っちゃ悪いけど、ボロい。予約したわけじゃないし、あと1時間くらいなら歩けそうなので、そのまま進むことにした。しばらくしてまた電話を見つけたので、せっかくだから今度は、魚屋さんの薦める「嶋屋旅館」に、泊めてコール。快くOKをもらえた。

大学は出なくても

嶋屋旅館のやさしいご夫婦

 4時半、宿到着。初日にしてはよく歩いた(28キロ)。遅くなったと思ったが、やはり到着第一号だったので、一番にお風呂に入れてもらって、洗濯もさせていただく。
 洗濯機の使い方がわからず、宿のお父さんに笑われた。「家で洗濯したことないんやろ」(その通りなので何も言えない) しかもここのは、「入れときゃ勝手にやってくれる」という全自動式ではなく、「2槽式」なので、余計にわからんのだ。どうしたものかともたもたしてると、宿のお父さんが、「おっちゃんは大学は出てないけど、洗濯は出来る」と言って手伝って下さった。私の洗濯物を、手際よく脱水機に移しておられるのを、他人事のようにボーッと見ていた。と、次にオジサンがつかもうとしているのは、私の「パンツ」ではないか! ヤバイ!
 やっぱり自分でやることにした。

 食事の時には、宿泊客が一堂に会す。私の他には徳島のご夫婦と岐阜からの小団体さんが今夜の泊まり客だった。皆さんからエライエライとほめていただき、ご夫婦には、ビールやお酒までごちそうになって、すっかりゴキゲン。食事も、ミニ皿鉢料理という感じの豪華版。宿のご主人夫婦も、とってもいい人だ。
 お客さんは皆常連らしく、ここが、大のお気に入りなのだそうだ。(紹介して下さった魚屋さん、どうもありがとう。人の言葉には従ってみるものですね。何もくれない、なんていじましいこと考えてごめんなさい)
 食事はおいしいし、皆さんに、「若い(彼らよりは、ね)、かわいい」と言っていただき、大満足。しあわせだー。
 人間って、ほめられると俄然やる気が出るし、簡単に幸福になれるようだ。これだけでも、ここに泊まった甲斐があったというものだ。

 この宿の部屋には、「赤富士の間」とか「沖富士の間」といった名前がつけられていたが、私の部屋は、なぜか「パンダの間」だった。(かわいい私にピッタリ?)

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