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掬水へんろ館

平成5年『空と海の間』
【4日目】(通算14日目) 4月27日(火)[ 晴れ ]

 ぐっすり眠った。もう少し眠っていたかった。でも5時起床、6時朝ごはん、7時15分には出発した。
 27番「神峰寺」は「打ち戻り」といって同じ道を返ってくることになる。「麓の宿に荷を置いていきなさい」とガイド本に書いてあったので、リュックは宿に預けておいた。これでずいぶんラクなはずだ。しかしとにかく「高知一の難所」なのだ! 「まったて」といって、ほとんど四つん這いでよじ登らねばならないような45度の傾斜があるというではないか。覚悟して歩こう。

あこがれの「まったて」

 宿から山の麓まではすぐだった。やがて車と一緒にゆるい坂道をのぼってゆく。車と一緒に何度もカーブを曲がる。頭の中は「まったて」「まったて」と、「まったて」への期待と不安でいっぱいだった。「まったて」は「真っ縦」であって、「待ったってー」じゃないのよ!
(バカなこと言ってる)
 とにかくひたすら登る。はじめ雲の上のように天高く見えていた頂上のお寺の屋根が、少しずつ近づいてくる。アリのようでもカメのようでも、一生懸命一歩ずつ進むと、必ず行き着けるものなのだ。やがて「あと一、五○○メートル」と赤い字で書かれた看板が現れ、右は車、左は歩行道と矢印が出ていた。とうとう来たぞ、まったて! いやしかし、一、五○○メートルもずっと「まったて」ではないはず。「まだまだ!」
 荷物がないということは本当に楽なことで、山道登り道でもズンズン進める。いやいや、まだ「まったて」があるんだ、気を引き締めなくちゃ。と、今や「まったて」は、あこがれにすらなりはじめていた。「へんろマーク」を確認しながら一生懸命進む。だけどこの道、すぐ車道に出てくる。ちょっと登っては車道、ちょっとあえぐと車道。「まったて」は遠い。
 一度車道に出た所で、湧き水が流れてるのかなという水場を見つけた。少し広場のようになっている所で、ベンチやトイレもある。チョーチンまでぶら下がっていた。「まったて」への体力温存のため今日はまめに水分をとっていたこともあって、つい誘われて、その水を少し飲んだ。おいしいような気がした。でもちょっと気になる。ほんとに飲める水だったのだろうか・・・。上にはお寺しかないはずだし、排水は別の所を流れるはずだし・・・。大丈夫だろう。
 一時間と少しも登っただろうか、突然目の前に「・神峰寺」の看板。その横は駐車場になっていて、「これより先は寺関係の車しか入れません 参拝の方はこの駐車場をご利用下さい」と書いてあった。「うそ! 一般参拝者も「まったて」を登るの?」(私はまだ「まったて」への夢を捨ててはいなかった)それなのに・・・。矢印の先へ進むと、ナントそこには山門がででーん!(着いてしまった) 私はまた道を間違えて、楽な方を登ってきたようだ。いったい何処へ行ったんだ「まったて」は! 確かに「へんろマーク」を辿ってきたはずなのに、不思議すぎる。でも着いちゃったものは仕方ない。うれしかったりもするし・・・ははは。

 山門から少し登ると、納経所。その前には「土佐の名水」が、わっせわっせと流れ出していた。団体遍路さんたちが群がっている。私も飲ませてもらう。うまい! とてもうまいぞ! ここでハタと気がついた。さっき飲んだ水は、この「つづき」なのでは? もしかして、この流れ落ちた水がそのまま・・・。とゆーことは、おばさんたちが、ペッとかした「うがい水」とか、何か洗ったりしたものも流れてるのだろうか。アララー。 そんなことないとは思うが、なんとなくおなかが重い。やだなー、でもとにかくお詣りだ。

 ここにはとってもりっぱな大師堂があった。ご本尊もりっぱだったけれど、少し離れた所にある大師堂が、「きれいにしたばっかりだぞー」という感じの、それはそれは素晴らしいお堂だったので、少し長居をさせていただいた。土佐の名水を、持ち歩いている「お茶ボトル」に入れているところへ(名水はただだけど、「名水お持ち帰り容器」は400円もするのだ。入れ物もっててよかった)、おじいちゃんと孫の二人連れが来て、じいちゃんの質問責めにあった。一人でえらいね、さびしーないかね、などなど。そこへ今度はバイク青年が来た。もちろんバイクは下へ置いてきていたが、バイクスーツにヘルメットをかぶったままの姿。颯爽と私たちの前を通り過ぎると、目の前の階段をタッタカターっとかけ登っていった。そのあんまりの早さに、3人アングリ口を開けて、見入っちゃったほどだ。(バイクに乗ってると、足はいつまでも元気でいられるのか?)
 やがてじいちゃんと孫もお詣りに立ったので、私もようやく「おいとま」した。

 結局「まったて」はどこだったんだろう? 「へんろマーク」を見落とした覚えはないのに・・・。いくら考えてもわからなかった。また、遍路道・車道・遍路道をくり返しながら山を降りていると、車道でまずは「バイク青年」が、次にじいちゃんと孫が、ブーンと追い越して行った。どちらも大きな声で挨拶して下さった。さわやかな風が、さわーっと過ぎていった。
 気持ちよく下っていたのに、遍路道で大きな「しりもち」をついた。ははははは。こんな時は笑うしかない。「やっぱり急な坂なのよねぇ」と自分に言い訳する。同じ道を歩いて「浜吉屋」へ戻る。宿のお母さん、中におられたようだが、忙しそうなので、お礼の言葉を書き置きして、荷物をもらって出た。

 何となくおなかが重い。水のせいではなさそうだ。どうも「月からの使者」(古い表現だなぁ)のようだ。朝イヤな予感がしたので、一応装備はしているが、これじゃあ、たくさんは歩けない。それで大師が「まったて」をやめてラクなコースを歩かせて下さったのかもしれない。
 結局、浜吉屋から神峰寺への登り降りは、休憩も含めて、往復3時間かかっていた。

はいられん

 あまり疲れてはいなかったので、いつものペースで次へ歩きはじめる。ただ、暑いのとおなかが重いので、あまり機嫌はよくない。でも、私は「お遍路」。「えらいねー」と声をかけられれば、上等の笑顔を向けることを忘れない。 土佐弁がここちよく耳に響く。話し言葉だけじゃなかった。小さな川を渡ろうとした時、欄干に土佐弁の「注意書き」を見つけたのだ。「はいられん」
と書いてあるではないか。笑っちゃうー、かわいい! 「はいるな」じゃなくて「はいられん」なのだ。これは「はいれない」ではなく、「はいってはいけない」という意味。高知では「〜せられん」とか「いかれん」という風に、「れん」を「いけません」という意味で使う。とっても親しみがあってよくわかる注意書きだった。
 少し笑ったので、元気が出てきた。でも、しんどい。下山のあたりで海の近くへ出たので、リュックを下ろして座りこんだ。ずーっと持ち歩いていたポンカンとビワを食べる。ビワは少しすっぱかったが、ポンカンはむちゃくちゃおいしかった。このポンカンは、実と皮の間の白いフワフワした部分が食べられる、とてもおいしいミカンで、よく高知の祖母から送ってもらっていたので、なつかしかった。

おすすめの旅館

 立ち上がって歩きはじめた所で、ばあちゃん3人が井戸端会議をしてらしたので、挨拶して通ると、「一人で歩きよーか、えらいねぇ」と言って下さった。うーん、よくサボる遍路なので、ちとお恥ずかしい。さあ、もう休まずに歩くぞ、と思った所に「安芸下山簡易郵便局」があったので、「そーだ、ハガキ買っとこ」と立ち寄ったら、オジサンに声をかけられ、またリュックを下ろすことになった。トホホ、どこまでも軟弱な私。
 コーヒーをすすめて下さるが、私は飲めない。「お茶はないけんねぇ」とすまなそうに言うオジサンに、一つ残しておいたビワをさしあげた。ここには遍路もよく立ち寄るそうだ。今夜の宿の話になった。今日はこの集落の一番向こうにある「栄光旅館」に泊まりたいと思っていたのだが、オジサンは、そのもっと手前の「山登屋旅館」の方がいいとおっしゃる。「ぜひ山登屋にしなさい」と一生懸命勧めて下さるので、ちょっと近すぎるが、そうすることにした。このオジサンは今まで会った「がんばれ、もっと歩け、そんなんすぐそこや、もっと行ける」というスパルタアドバイザーと違って、「そんなとこまで歩いてたら、あと2時間以上かかってお昼過ぎてしまうなぁ。たいへんやなぁ」と、軟弱遍路の味方発言をして下さる。私にはとてもうれしい言葉だった。そーだそーだ、元気なお遍路ばかりじゃないのだ。私はもう弱ってきてるし、休みたいのだ、許してよー、なのだ。だからオジサンの言葉を素直に聞いて、やっぱり今日は近場で早めに宿をとることにした。
 郵便局を出て、今度はちょっとがんばって歩く。2キロあまり行ったところで、さっそく山登屋さんに予約電話を入れてみた。「いま奥さんいないから、1時間後にまたかけて」とのこと。素直に1時間歩くと、ちょうど電話ボックスがあったので再トライ。奥さんらしき人がでた。「一人、泊めていただけますか?」「ええ、お食事は?」「できればお願いしたいんですけど」「ええ、いいですけど・・・」なんだか歯切れが悪い。「今から歩いて行きますので、あと1時間くらいで着きますけどいいですか?」「えー、4時からなんですけど・・・。あの、二食付きで8千円ですけど、よろしい?」「え?8千円ですか?」「はい、8千円です。もっと安いのなら他にもいくつか宿がありますけどぉ」
 このオバサンの声が、もっと明るくてやさしくて親切そーだったら、「8千円くらいなんだ! 今日は疲れてるんだもの、ぜーたくするんだい!」と思って、「ええ、8千円OKよー」と、きっと言ったと思う。でもオバサンの声は、とても冷たい感じだったのだ。
 この宿はあきらめることにした。それでも、「どこか他にあるでしょうか」と聞くと、ホテルを2つ教えて下さった。言葉はつっけんどんだったけど、ありがとうオバサン。電話を切って、当初の目標だった栄光旅館を当たってみたら、「いま旅館はやってません」だって。やっぱりやめとけってことなのね。そこで、オバサンに教えてもらった「ビジネスホテル弁長」に電話。ホテルらしい対応。今から行って、部屋には入れないまでも荷物はおかせてくれるという。やさしくキビキビした応対だ。「そーだよ、ホテルもいーよなぁ、今日はシャワーだ!」 いつでも気兼ねなくお風呂に入れると思うと、うれしくなった。

 高知は、ずっと海沿いを行く。少し道を外れれば、すぐそこが海なので、休憩場所に困らないのは確かだが、「空と海の間」を、ただひたすら歩く、という感じがあって、孤独と疲労感も多い気がする。

ブチブチのカイカイ

 安芸川橋を渡ると、急に、建物と人が増えて、街になった。やがて現れた「ビジネスホテル弁長」は、看板は目立つのに、一階は駐車場、二階がファミリーレストランとホテルのフロントになっていて、入り口がどこだかわからない、ちっちゃなビジネスホテルだった。でも、久しぶりのシティ感覚(ダサイ言い方)だ。ベッドに和式の掛け布団という「和洋折衷」が、妙にホンワカしてうれしい。早速シャワーを浴びる。しあわせだ! 
 完ぺきな個室で、誰にも干渉されないというのは、ものすごくのびのびできる。(旅館は部屋にカギもかからないし、なんとなく落ち着かないのだ) ビジネスホテルにしてよかった。ここで山登屋旅館の奥さん(オバサンが奥さんに昇格)に感謝。「冷たい」なんて印象をもったりしてごめんなさい。(あそこで断らせて下さったから、今日はホテルに泊まれたのだ) 何事もあとで必ず自分のためになるのだと痛感した。
 やはり「月の使者」がきていたので、ここで止まってほんとによかった。

 ひとごこちついたところで、買い物に出かける。昼ごはん・明日の朝食・リップクリームなどなど。で、誰も来ないのをいいことに、ベッドの上に荷物をぜーんぶおっぴろげー。荷物も食べ物も、さんらーん。散らかしほーだい。ドロボーもびっくり、の荒れ模様。この自堕落さが、大好きなのだ。今日は完璧「休養日」なのだ!ハッピーなのだ!

 夜はこのホテルの中のファミリーレストランで「焼きめし」を食べた。私は普段、「一人で外食」ができないタイプ(でも一人で「飲み屋」には入れる。変?)だが、ホテルの中なので、なんとなく落ち着いて食べられる。電話もホテルの部屋からなので、安心して長話し。(明日の支払いが恐いけど) ずっと一人で歩いていると、誰かに話を聞いてほしくなるのだろうか。母にいろいろ報告したら、すっきりした。

 日焼け止めに負けたのか、自分の汗に負けたのか、
顔がボロボロ、ブチブチのカイカイになっていた。醜い! 私の美しい顔は、どこへ行ったんだ! 
 「美貌」(?)を取り戻すためにも、早く寝るしかない。

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