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掬水へんろ館

平成5年『空と海の間』
【3日目】(通算13日目) 4月26日(月)[ 快 晴 ]

 昨夜はうつらうつらするだけで、なぜかロクに眠れなかった。敷き布団があまりの「せんべい」なので、ちょうど3枚あった座布団を並べてマットレスの代わりにしたのに、ダメだった。浅い眠りのまま5時に起床。支度して朝のおつとめ。去年と違って、住職の「読経」全部についていけた。(「真言宗」のお経のカセットテープを買って、一年間練習したのだ)

 いつものようにグズグズして、ようやく8時前に出発。お寺の奥様(?)に、玄関口までお出ましいただき、お寺で飼ってる、ビビだかピピだかいう小型犬にも見送ってもらった。この子、遍路にだけは吠えないんだそうだ(かしこい)。
 寝不足で、フラフラしながら歩きはじめる。

元気がない

 遍路道を少し行った所で、道が二手に分かれていていた。どちらにも「へんろマーク」がついている。一方は、「農免道路」経由傍士方面、もう一つは「平尾」経由傍士方面。しばらく悩んで、「道しるべ完ぺき」と書いてある「平尾経由」を選ぶ。この道は、まるで「けもの道」のように細く、竹林を抜けたり、田んぼのあぜを通ったりしながら、やがて山の斜面をずるずると降りてゆく、ナカナカ遍路道らしい、久しぶりの山下り道だった。しかし、今日はきのうとまるで反対で、全く元気がない。心なしか気分もよくない、ムカムカする。(何か変なものでも食べたんだろうか) とにかく、天気はいいが、元気はわるい。あまり無理をせず、今日はゆっくり歩きなさいということだと勝手に解釈して、ゆっくり行くことにした。
 山を下りきったところで、左手の海側塀の切れ間に、青い海が見えた。思わずフラフラと、堤防の切れ間から海へ出る。階段を下りて浜辺に出た。岩や石がごろごろした、「ごつごつした浜」に、腰とリュックを下ろし、しばし海を見る。10分もそうしていただろうか、まだ歩きはじめていくらもたっていないのに、もう気持ちが萎えていた。それでも、何も考えずボーっと海を見ていると、少しだけ元気になった。でも、リュックをかつぐとまた疲れてくる。今日は疲れのピークなのか。それでも進まなくちゃならない。
 とぼとぼ歩く。海沿いの国道をひたすら歩く。東の川橋を渡ったあたりで、また海に出て、少し足を止めた。いったん下ろすともう二度と持ち上げられなくなりそうで、リュックは担いだまま、立ったままで休む。ナカナカ辛い。

 東の川橋から吉良川大橋までの間に、道をはさんで吉良川の町(村?)の民家が密集している。ここは恐かった。これまでの道は、今は「四国の道」として整備されているところも多く、国道沿いであれば、それなりに歩道がつけられていたので、出発前に心配した「車に怯える状況」は、あまりなかった。なのに、この地域だけは、民家・国道・民家のサンドイッチ状態。
「歩道がない」なんて悠長なものじゃなくて、家の玄関を一歩出たら、そこはもう「国道」なのだ。でっかいトラックやバスがブンブン走っている。向かいの家へ行くのも命がけという感じで、こわいこわい。
 アメリカに貧乏旅行した時も、南部の田舎の方で、何度か歩道のない道路ばたを歩いたが、その時は、道路・民家の庭の芝生・道路、だった。当時「勝手によその家の庭に入ったら銃で撃たれる」と脅かされていたので、道路の端っこ、庭の芝生の切れ目を踏まないようにモデルよろしくそろそろと歩いたことがあった。たまに車がやって来ても、アメリカの田舎町で道路を歩いたりしてる珍しい旅行者を見たら、「ハーイ、ハニー! ドコイクノ? ボクニデキルコトハアルカ? ソウカ、ジャァ、グッドラック」なんてニッコリ手を振って、広い道路をゆうゆうと走って行く。こちらも、道路側なら撃たれる心配もないので、鼻歌なんか歌ったりする余裕もあった。

悲運のスズメ

 でも、ここはニッポン、道路と家の境目は「玄関」なのだ。おまけにニッポンの道はムチャクチャ狭いのだ。よそん家の玄関にへばりつくようにして少しずつ進むしかない。(忍者か、私は)
 「きゃー、お遍路を轢かないでねー」「リュックを引っかけたりしないでねー」と叫びながら必死の行軍。しかし、こんな所で犬かなんかが交通事故にでもあっていたら、どーすりゃいいの? 命がけの救出劇になっちゃう、なんて考えてると、案の定、道の真ん中に、ムザンな死体がころがっていた。(犬じゃなくてスズメだったけど) 内蔵が飛び出して、轢かれたてのほやほやのようだった。ああ、私はお遍路。見捨てていけるわけがない。たまたま車が途切れたので、あわてて駆け寄ってティッシュでくるんで持ってきた。うまい具合に、その子がはねられていた真ん前の家は、玄関前に少しスペースをとってあったので、スズメをその家の玄関先において、般若心経を唱えた。しばし手を合わせてふと家の方を見ると、おばあちゃんがこちらに手を合わせていらっしゃる。駆け寄ってわけを話すと、「後は始末しておきます」と言ってしきりにお辞儀をされた。よかった。ご迷惑だったかもしれないけれど、こころよく受け入れて下さって、ほんと、スズメも救われます。
 あんな小さな命まで奪うなんて、車は怖い。だけどスズメの方も、わざわざあんな怖い狭い道で遊ばなくてもよさそうなものなのに・・・。 少し暗い気持ちになった。しばらく行くと、またスズメがころがっていた。今度は外傷もなく、コロンというかんじで落ちていた。でも、もうそこは立ち止まることさえできない所。立ち止まったら、私まで車と家の間でペッチャンコになってしまいそうだったので、申し訳ないけど通り過ぎて、身の安全を確保した所から手を合わせるだけにした。
 また暗い気持ちになった。

食い逃げ事件

 やがて民家もなくなり、国道とちゃんとした歩道だけになった。スズメのことは忘れてしまい、今度は「トイレに行きたい!」が頭の中を駆けめぐる。と、前方に出店、「ビワ」と書いてある。ここまでの道々、山の斜面に、まるで白い大きな花が咲いてるような木がいっぱいあったのは、ビワだったんだ!
 ビワのひとかたまりずつ全部に、袋がかぶせてあり、それがあんまりたくさんあるので、大きな花のように見えていたのだ。この辺はビワの産地だったのか。 
 そのビワ販売の出店の前を通った時、願いが通じた。「お茶飲んでいきませんか」と、お店の方がイスをすすめて下さったのだ。ああ、うれし。待ってたの、その言葉を! 即、ご好意に甘える。
 お店を任されているその中平さんという女性も、88カ所をもう2回もまわられたのだそうだ。遍路経験者は、やっぱり遍路にやさしい。座ったと思ったら、売り物のビワやポンカン(蜜柑の一種)をすすめて下さり、いたれりつくせりだった。有り難い有り難い。そして、中平さんの半生記をうかがっている途中(いろいろご苦労の多い人生らしい)・・・、ものすごーく大変なことに気がついた。なんと、金剛頂寺で「宿泊代」を払わずに出てきてしまっていたのだ!「あー、何をすんねん私は! 食い逃げ、泊まり逃げやんかー、うっそー! あんなに親切にお見送りまでしていただいたのに。ひぇーん!」と、真っ青。また引き返すしかないのか・・・。 が、しかし、大師は見捨てなかった! なんと今お話ししている中平さんは、金剛頂寺の奥さまと「お知り合い」だったのだ! (ハハハハハ・・・。うれしくて笑っちゃう) 私の宿泊代を預かって、渡して下さることになった。お寺にもお詫びの電話を入れて一件落着。よかったよかった。ドジな私をお許し下さい。中平さん、ありがとうございます。

 トイレもお借りして、結局1時間半もそこにいた(すごい)。ビワも3個いただいて、おいとましたのはもう昼近かった。きのういただいたミカン2個、お餅、ビワ3個の入った重くて大きいビニール袋をぶら下げて歩く。今日はあまり喉も乾かないし、昼ごはんのことも気にならない。きのうのことがあるので、朝、吐く一歩手前までおもいっきり食べたせいだろうか。それで気分が悪かったのだろうか。(イジキタナイって悲しい)

 ムカムカは直ったけれど、やはり元気が出ない。今日はしょっちゅうつまずいた。宿では死ぬほど痛い足も、歩き出すと全く感じなくなる。ただ、よくつまずくのは、やっぱり足も疲れている証拠だろう。
 羽根川橋を渡ると、中山越えと岬まわりの二つの道が現れた。元気がないとはいえ、今日はこのすぐ先で泊まるつもりだ。少しくらい無理して山越えしてもいいかな、と中山越えを選んだ。「へんろマーク」を探して歩く。人にもずいぶん聞いた。なのに、ちっとも山へ登れない。とうとう岬まわりの国道に出てしまった。今さら山へも戻れない。「やーめた!」と、海にぶつかった所で、また海へ下りる堤防に座りこんでしまった。よく休む。今日はこんな日なのか。珍しく早めに買い込んだサンドイッチとジュースで昼食。グータラな遍路がいてもいいじゃないか、と開き直る。
今日はのろのろダラダラコースだ。

お坊さんに振られる

 羽根岬をまわって加領郷を過ぎると、「弘法大師霊跡」があった。ここでまたリュックを下ろす(お詣りのためです)。小さなお堂の前でローソクを灯してお経をあげる。座ってボーッとしていると、今私が歩いて来た方から、お坊さんらしき人が歩いてこられた。「歩きお坊さん遍路かしら、どうしよう、何をお話しよう、でも一緒には歩けないわ、足早そうだし、私みたいに休憩ばっかりされないだろうし・・・」、といろいろ悩んだ。でも、来られない。「?」 国道沿いにあるのに?(海側へ階段を数歩下りるだけなのだ)、さっきまで見えてたのに? とのぞいてみると、通り過ぎてもう遙か前方へ過ぎ去りにけり、だった。「なーによ、お坊さんなのに大師霊跡に立ち寄らないなんてへんー。早く歩くばかりが修行じゃないんだぞー!」、とフラれた女は思うのだった。でも、今日は疲れてて、あんまり人と話したくない気分だから、いいや。
 まもなく、重い腰をあげた。お坊さんはもうまったく見えなくなっていた。また海を見ながらひたすら歩く。照りつける太陽、グリーン色のきれいな海。ただただ歩く。苦しいけれどあと少しだ。

 2時になっていた。宿に予約を入れなくちゃ、と電話ボックスに飛び込む。ここでちょっとまたカケをした。ほんとはあと2キロほどの町で泊まりたいけれど、もし27番のふもとにある「浜吉屋旅館」が空いてたら、もちっとだけがんばろーかな、と。電話した。OKの返事。「しまった!」 今日こそ我が身をいたわって、無理をしないでおこうと思っていたのに、あと8キロも歩こうだなんて・・・。なんで自分をいじめるんだろう、とほほ。それに今日は最初から休憩ばかりしているので、普通より時間をくっている。今から行くと、宿に着くのは4時過ぎてしまう。バカな私。でも仕方ない、行くしかないのよ、うっ、うっ(泣いてるつもり)。

 毎日疲れはたまる一方なのに、毎日どんどん足は痛くなってるのに、毎日歩く距離がのびている!「あんまりだわ!」、って、自分のせいか。しゃーない、ただただ歩く。途中、「きのう会ったヨ」というオジサンが車で通りかかって「がんばれコール」をして下さったり、乗せてあげましょうという車もいくつか。(車には乗れなかったけど)ありがとーございました。やがて、当初泊まりたかった「ビジネスホテルなはり」が見えた。まるで高原のホテルのようにかわいらしくてキレイだ。(こっちにしておけばよかったかも)
 こんなに疲れてるのに、愛想を忘れない健気な私は、街ゆく人に挨拶をし、子どもにも笑顔を向ける。通り過ぎるトラックの運転手さんにもお辞儀する。(やりすぎ?)でも、遍路衣装を着ていると誰もが挨拶を返して下さる。これは素晴らしいことだ。誰もが「お遍路」にはやさしい。奈半利の町は特に「人」がよかった。おとなも子どもも人なつこくて、笑顔がやさしい。中学校の前を通ったら、みーんなかわいい笑顔で「こんにちわ」を言ってくれた。ホントに素直な人の多い町という感じだ。おっとりしたやさしさのある町だ。でももう足がダメ。田野町に入る頃には、泣き出したい気分だった。

大好きな看板

 懸命に歩いて安田町に入る。あと少しだ。材木の町らしく、大きな材木工場が続いている。木の匂いと木くずでいっぱい。大きな材木の中で働く人が小さく見える。と、中にちょっと変わった香り・・・、この匂いには覚えがある。「お酒だ!」 見ると、とある倉庫の中に「土佐鶴」が積み上げてあった。(ああ、ヨダレが) さすが高知はどこへ行っても「土佐鶴」。どの酒屋にも土佐鶴の看板がある。でも、ここは何だろう。まじまじ観察してみると、「土佐鶴酒造(株)」と書いてあった。妙にうれしかった。(私は「土佐鶴」が大好き!)

食べちゃいたい

 気をよくして(ホントは一杯飲みたいのをグッとこらえて)、ドンドン歩く。住宅街に入ったころから、いつの間にか小さな男の子がついてきていた。(小学一年生くらいだろうか) ランドセルを背負っているので、彼も帰り道なのだろうが、ずーっと、私の右ナナメ後ろを、同じ間隔で歩いてくる。こちらを見ないようにしているようなので、「恐いのかなぁ」と思った。驚かせて逃げられると悲しいので、声もかけず、ずーっと黙って二人でモクモクと同じ間隔を保って歩いた。でも、恐いなら、追い越すか、もっと離れて歩くはずだ。なのにずーっと、すぐナナメ後ろをついてきてとってもかわいい。
 ずいぶん歩いたのに、相変わらず等間隔でついてきている。こんな小さい子が、どこまで行くのだろう。少し気になりだしたので、思い切って声をかけてみた。「どこまで帰るの?」「からはま まで」「そこ遠いの?」「ちょっと とおい」「そう、じゃあがんばってね」「・・・・」 まっすぐこっちを見て、一生懸命返事をしてくれた。なんてかわいい子だろう。唐浜って、かなり遠いんじゃないかなぁ、大変だなぁ。でも考えてみると、家に帰るのに「がんばって」はないよなぁ、もうちょっと気の利いたこと言えばよかった、なんて次の言葉を探しているうちに分かれ道にぶつかったので、キャンディを渡すと「ありがとう」と元気な声がかえってきた。うふふ、なんてかわいいの、キャンディのかわりに食べちゃいたいくらい。(お遍路、小学生を食う、なーんて)
 すっかりゴキゲンで、彼とは右と左に分かれた・・・ら、道を間違えた。しばらくして人に聞いて引き返すことになってしまった。小さな彼と同じ方へ行けばよかったのだ。もう少し一緒にいられたのに、ソンしてしまった。方向オンチはほんとに損だ。

 そこから今夜の宿はすぐだった。「浜吉屋」は、古びた遍路宿だが、宿がまえ(?)からは想像できないくらい部屋数が多く、一人なのに大きな部屋に入れていただけた。お風呂も一番に入り、ご飯も2杯、おかずも何も残さずにぺろり。朝、気分が悪くて疲れもピークなのに、やっぱり食い意地ははっている。でも本当においしかったのだ。(ちなみにメニューは、とれとれプリプリのマグロのお造り・カボチャといろいろの煮物・鰺と茄子の揚げ物・キューリの酢の物・お吸い物・お漬け物)大満足。「こんなにきれいに食べてくれてうれしい」なんて言われたほど、「皿をなめたんじゃないか」くらいの食いっぷり。(お恥ずかしい)

 昼間に見かけたお坊さんは女性の方だったようで、私をぶっとばして行ったあと、この宿に着いて荷を置き、私が着いた時にはもう27番へ登っていかれたらしい。そして、6時くらいには宿に戻ってこられたようだ。すごい! すごすぎる! 私にはとってもできましぇーん。やっぱり尼にはなれない。(そんな気もないけど)
 彼女は、「修行」してらっしゃるにちがいない。明日私が、朝から(たぶん)昼すぎまでかかって27番を登ったり降りたりしてる間に、彼女はブンブン進んで行かれるのだろう。どうぞ、気をつけていらして下さい。
 夜、母に電話を入れた。元気そうで安心。

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