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平成4年 遍路への旅立ち

平成4年『遍路への旅立ち』
【 出発 】 平成4年4月14日(火) 〔快晴〕

 目が覚めると快晴。祝福を受けたような幸福感に満たされた。興奮していたのか、ゆうべはほとんど眠れなかった。朝から胃が痛い。まちがいなく神経性のものだ。仕事の前でもないのに緊張している。胃薬を飲んで、少し落ち着いた。遠足に出かける子供のように高ぶっているのがわかる。
 毋が、おにぎり2個とお茶をもたせてくれた。

 毋のしつこいくらいの見送りに、こちらもしつこいくらい振り返って手を振った。(今生の別れでもあるまいに・・・。しかし、2週間もの「女の一人旅」。心配しても無理はない)
 いつも行く、近くの「八幡神社」にお参りして バス停まで降りる。時間通りにやってきた神戸市バスに乗って、計算どおり30分でメリケンパークに到着。1分ほど西へ歩くと中突堤の船乗り場がある。
 鳴門までの、『 高速艇で津名まで行ったら、そのままバスに乗って行けるのよ、お便利キップ』 を買った。出航まで20分。ここでトイレに行っておかねば。リュックをかついで、おにぎりとジャケットの入った袋をさげて、腰にはウエストバック、おまけにジャンプスーツを着ている。本題に入るまでにどれだけ時間がかかることか! (どうぞトイレがすいていますように)
 トイレに入ってみると、3才くらいの女の子が、通路で、お母さんにおしりをふいてもらっていた。「おしりをふいているってことは、やっぱウンチだったんだろうなぁ」なんてバカのことを考える。

「チャー」はやめてね

 待ち合い室の所定の場所に戻ると、少し人が増えていた。やがて乗船開始。乗客は全部で20人くらいだろうか、ガラガラだ。乗客のほとんどはサラリーマン風で、一人だけ、私と同じような「リュック組」がいたが、釣り竿を持ったオジサンだった。毛色の変わった少女たちもいる。ロック系の音楽少女なのだろうか、超ショートカットの子が一人、レゲエのオジサンが『ナカマ、ナカマ』と言ってすり寄ってきそうなハデケバイ子が二人。乗船前に船を覗き込んで、「やー、なーんも売ってへんみたいやん。どーする? チャーでもこーてこーか?」なんて言ってる。「これこれ娘たち、もう出航するのに、あなたたちが今チャーなんか買いに行ったら、出発が遅れるでないの、世間のことも考えてね」とオバタリアン発言が頭をかけめぐった。

 それでも、少女たちとは無関係に ( 結局チャーはやめたらしい ) 出航がほんの数分遅れたようで、高速ジェットはその名のとおり、晴れわたった瀬戸内海を淡路島へ向けてブッとばしていった。これが、揺れる揺れる。船に弱い人なら4回は吐いたろうなぁ、と思った頃、(日本の乗り物はエライ)時間どおり津名港に到着した。
 バスが出るまで少し時間がある。2、3秒躊躇したが、やはりまたトイレに行った。私はトイレが好きだ。

 そういえば、10数年前に女二人、バックパックで『アメリカ一周貧乏旅行』をした時にも、やっぱりトイレは、最も親しい友人だった。二人ともトイレが大好きで、グレイハウンド ( アメリカを網羅する格安バス ) のバスディーポ(バス停)に着くたびに、何がなんでも、何はなくても、トイレのサインを探したものだ。そのうちサインがなくても、臭いで正確な位置をあてられるようになっていた。トイレでは・・・、あ、そんな話じゃなかった。やめよう。
 やがて、淡路のバスも時間どおりにやって来た。このバスは、津名港から、有料道路を通って淡路島を横断、大鳴門橋を渡って、たった56分で四国へ入るというすぐれものだ。おまけに、普通乗用車なら、鳴門まで3190円もかかるというのに、この『高速艇特急バス連絡クーポン』だと、神戸から 3410円 (うちバス代は1600円 ) で有料道路を渡れる、というカンドーものなのだ。
 日焼けを気にしながらも、左側の座席に座ったおかげで(右側に座ると対向斜線しか見えない)、鳴門の渦潮を見ることもできた。細かいいくつもの渦と渦の間に、点々と小さな漁船が入り込んでいる。よく巻き込まれないものだ。

 正午に鳴門に到着。ここからは何も調べてないので、行き当たりばったりだ。JR鳴門駅に入って時刻表を見ると、ナント1時間に1本しかない。しかも電車は、いま出たばかりだった。でもメゲない。またまたトイレに行ったり ( 今日は寒いのだ ) 、その辺をウロウロ見学してリサーチした結果、40分程待って、バスに乗ることにした。
 時間より少し遅れて、大麻線「霊場二番札所行き」がやってきた。ワンマンバスだ。整理券をとって小さな座席に座ったら、車はさっそく動き出した。民家の間を通り抜けたり線路沿いに走ったりと、なんだか楽しい。両脇の田んぼや畑に、レンゲや菜の花が咲き乱れ、桜も、恥ずかしそうにまだ残っている。線路わきのチューリップも、「私は春の花なのよー、キレイなのよー」とわんさか咲いていた。
 乗客は見事におばーちゃんオンパレード。運転手さんは、とてもやさしく、ばあちゃんの乗り降りを待ち、道のまん中に近所のオジサンの車が止まっていて先へ進めない時も、「ぷあ〜ん」と小さなクラクション鳴らしただけで、根気よく待ってあげている。みんなおっとりしていた。バスが遅れるのも当然だ。

1番寺 霊前寺

 風景と人情を楽しみながら、のんびりのんびり30分。
とうとう、四国霊場88ケ所の始まり、第1番札所の「霊山寺」に到着した。
 思ったよりこじんまりしたお寺で、参拝客もそれほどいない。少し「いた」と思っても、どんどん般若心経を唱えて、どんどん次へ行ってしまうようだ。売店で、泊まり客用の玄関を教えられ、小さな部屋に通された。
 「遍路グッズ」を買いに、もう一度売店へ。『歩き遍路だ』と言うと、店のオバサンがいろいろ教えて揃えて下さった。(この時の私は、団体バスを使わないのが、「歩き遍路」だと思っていた)
 最初はそっけなかったオバサンも、「手甲、脚絆(時代劇などで、旅娘が手や足に巻いている白い布)はどうしても、してみたい」とミーハーな発言をすると、笑ってやさしくなり、「杖」にはキレイな字で、「永井典子」と私の名前を書いて下さった。持ち物に名前を書くなんて、小学校時代の「お道具」みたいで、なんだか楽しい。
 このオバサンは、あとで私がウロウロしていると、ミカンを2つも下さった。やっぱりいい人のようだ。

 部屋にいると寒いし、することもないので、本堂の横から裏へ出てみた。北へ向って曲がった道がある。何かに引っ張られるように北へ北へ歩く。
 しばらく行くと大きな鳥居が見えてきた。「大麻比古神社」とある。「せっかくこっちの道へ引っ張られて来たんだから、お参りさせていただきましょ」と、気楽に歩き始めた、のはいいが、参道を行けども行けども社殿は見えず、美しい道だけが続いている。結局1.5キロほど歩いて、やっと大麻比古神社に到着した。たいそうりっぱなお社だ。明日からの旅の力添えをお願いした。

はじめての「遍路仲間」

 宿坊に戻ると「お風呂に入ってもよろしい」とのお言葉。ありがたく、一番風呂に入らせていただく。「みそぎ」なんてたいそうなものじゃないけど、ここで、浮き世の汗をさっぱり流す、って感じかしらん。
 やがて食事の時間。これもまっ先に大広間へ行ってみると、3人分のお膳が並んでいた。(今日は3人だけ?) 他の人を待つのも変なので、ガツガツ食べ始めた。( 昼は小さなおにぎり2個だけで、ハラペコだったのだ )  やがて食事にみえたあとの二人は、息子夫婦に「どこか旅行にでも行って来なさいよ」と勧められ、「じゃあ」、と山口県からやって来られた、50才過ぎくらいのご夫婦だった。10番から逆打ち(札所を番号順ではなく、逆にお参りすること)して来られたのだそうだ。「初めてなんで、様子がわからなくてねぇ」の言葉に、大きく頷く。家の宗派は禅宗のようだが(総本山が永平寺なのだそうだ)、この旅は奥様の10年越しの夢だったそうで、『お四国参り』の、宗派を超えた人気をみたような気がした。
 とても静かで落ち着いた、あったかい、やさしいご夫婦だった。

 食事のあと、明朝のおつとめの時の祈祷料と宿泊代を支払って、ロウソクと線香も、「束で持つのがお得だ」というので「箱」で買った。
 遍路グッズ代も含めて、今日だけで2万7千円程使ってしまった。このままでは3日ももたない。節約せねば。
 売店のオバサンに、「歩き遍路は、名前を書きましょう」と名簿を渡されて驚いた。いるわいるわ「歩き遍路」。年寄りから若いのまで、今年だけでも、大学ノートに3ページくらいの名前が記されているではないか。すごい! なんだか明日からの不安が、一気に吹き飛んだ感じだ。

僧がナンパ?

 骨董品だと思っていた、部屋のストーブがついて、ポカポカ。「これで今夜は、北極の夢を見ずにすみそう」、と思いきや、眠る体勢に入ろうとした私の部屋を、「ゴン、ゴン」。誰かがノックする。なんだ、こんな時間に?(まだ8時半だけど)
 若い坊さまだった。「少し話しませんか」だって。うーん、前に、高野山で修行僧にナンパされたことはあるけど、と思っていたら、やっぱり彼も、高野の修行僧だった。忙しい今の時期だけ、ここに「手伝い」に来ておられるということだ。でも、この若者は、けっこう硬派というか、しっかりみ仏につかえているという感じで、なかなか真面目な良い子 (24・25才とみた)だった。
 「山の上のお堂にこもって修行していると、台風の日に屋根が飛んでしまい、死にそうな目にあった。でも、仏さまが救って下さった」という話や、「大慈悲の心」「帰依する気持ち」というのを、一生懸命話して下さったのだが、「9時まで」の約束が、10時半まで(事務所で)話し込んで、少し疲れた。人と話をするのが好きなのだそうだが、まだまだ修業中という感じ。もう少し、しゃべり方を練習したら、いいお坊さまになるかもしれない。(エラそうかな)
 それにしても、第一日目から、いろいろな方に声をかけていただき、励ましていただき、本当に有り難い。
 部屋に帰ってすぐ床に着いたが、部屋の外の、池に落ちる滝の音が、(雨がザーザー降ってるようで)耳について眠れなかった。
 ウトウト、とも言えない、中途半端な夜を送る。

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