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掬水へんろ館のらくら遍路日記〜土佐・修行道場篇(序)
北村 香織
おまけの第6日
7月18日(土)

今日の坐禅


点数は70点くらい。 1時間半を過ぎてから足は2回ほど組み直したりゴソッとしたけど、いつもより長持ちできた。ぼ〜っとした境地にはあまりなれなかった。昨日の手応え= 最初から半跏趺坐を外しても、結局1時間半が今のところ限界らしい。シリーズ通して公約が果たせないのは本当に悔しいけれど、体がある程度安定していないと心が安定・集中なんかできるわけない。ということに改めて気づいた。これだ!という形が見えるまでは、私のような素人は形を試す上でのゴソゴソは許されるんじゃなかろうか。。。素人の言い訳かなあ…

夜半に雨のサーッていう音で目が覚めて、すぐまた寝ちゃったけど3時半に起きた時も降っていた。本堂へ行く時は止んでたのに、坐禅中にまた降ってきて、それは心落ちつく雨音。(でもこれってしっかり雑念やんな) 最後の朝ご飯は、たまご割りごはん(ご飯の上にたまご割って醤油を滴らすから)といつもの箸休め的おかずの数々。梅干しとかじゃこの甘辛佃煮とか、赤玉葱とキュウリと菜っ葉の細刻みを塩でもんだ即席漬けというかサラダのようなもの(私のお気に入り)、和尚さんのビタミン源・菜っ葉のお漬物に海苔。それと昨日に引き続き、卓上即席味噌汁。お椀にワカメとかつお節ととろろ昆布を入れて、味噌入れて、お湯注ぐだけ。(ここの食生活はこの合理性をベースに成り立っている、共感。単なるズボラ?) ごはんがもうツヤツヤでふっくらしていて完璧な仕上がり。甘みがあって、適度に固めなのに粘り気もあって。これが5年前の古米だなんて信じられん。やっぱり気と釜と火なのかな? お米は托鉢行脚の時にいただいたものを(あまりに大量だった)一升瓶に詰めて密閉し、蔵に保管してある。洗った後、一晩水に浸けておくそうだけど、それだけであんな新米以上の味になるわけがない。勧められるまま二杯も食べちゃった。その上デザートに大ぶりの桃。すっかり何から何までお世話になって、どうやってお礼をしたらいいのか見当もつかない。『荘子』は読み切れなかったが、和尚さんが下さった。せっかくなのでサインをお願いして(これがなだめたりすかしたりで大変だった)、一緒に写真を撮らせてもらうのは駄目だったけど、勝手に1枚撮らせてもらった。この時の押し問答で、和尚さんは心の底からシャイで謙虚な人なんだなーと思った。完璧な雨支度をしてご挨拶。和尚さんは「立派になったなー」って。どういう意味???この4,5日でそんなに変化した覚えはないけどな。去り難かったけど、歩き出す。振り返ったら本堂の裏の山に低ーく雲が霧のように垂れ込めて、母屋がまた山水画のように見えた。

この後は駅まで歩いて、それから車でドライブがてらお迎えに来てくれたダンナと合流。駅に着いた時は小降りだった雨が、だんだん激しくなってくる。友達のために海岸に下りて砂を採った。(箱庭になるか、猫のトイレになるかどっち?)

この後ものすごい大雨になる。ワイパーがまったく役に立たないほど。しまいにはワイパーを止めて雨が流れるままに運転していた。ちなみに彼は近畿を出るとウルトラスーパー雨男になる。うーーーん不思議なやつだ〜。

淡路島の南端のサービスエリアでふたりして2時間近く爆睡。なんか夢見てて、目を覚ました時は「ここはだれ? 私はどこ?」状態。すっかり混乱してしまっていた。気持ちはまだお寺にある。

走り出した車の横を牛さんをたくさん載せたトラックが走っていて、それを見た瞬間、じわっと涙が浮かんだ。なんで? 大量消費の犠牲になるこの牛たちの眼があんまり無垢だったからだろうか。和尚さんの生き方、暮らし方がみるみる過去へ流れ去るような気がして悲しかった。小さな和尚さんがますます小さく遠くなっていく―――。やっぱり四国は夢の地だったのかな。そういえば来るときも帰るときも私はいつも爆睡している。何十年か昔にタイムスリップ(退行?)して安らぎに包まれたあの世界は、やっぱり夢そのものだったのかも知れない。

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