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掬水へんろ館のらくら遍路日記〜伊予(後)・讃岐/完結編篇
北村 香織
第8日
8月10日(金)晴れ (70番〜68・69番〜75番。満濃池&Fさん宅)

 納経開始の7時にきっかり納経できるよう、早めに出発。また戻ってくるので、荷物は納経グッズぐらいで足元もホテルのゴムサンダル。短パン課長と初めてしゃべりながら歩く。彼は「いやー昨夜あれからね、荷物を整理してたらポーチがなくてねー。どう考えても観音寺に忘れたとしか思えないし、やっぱり僕もう1回戻る運命だったみたい」とカラカラと笑われる。道は旧市街らしき所でなかなか狭く、二人並んで歩くのも早朝からし難い箇所もあったが、快調に歩を進めながら短パン課長が空海のビデオの話をしてくれた。若かりし頃の北大路欣也が空海に扮してその人生を描いた歴史大作らしく、それまで私は全く気づかなかったけど、札所にもそのポスターが貼ってある所がけっこうあったという。短パン課長はそのビデオがお遍路旅に出る1つのきっかけともなったとのことで、彼の話を聞いているうちに私もそのビデオをぜひ見たいと思った。後でどこの札所だったか売店だったかで、そのビデオ全集どーんと売っているところがあったが、プレミアでもついているかのような結構なお値段で購入はとても無理でした。残念。

 68番神恵院、69番観音寺には6時半には着いて、納経所が開くまでしばらくぼ〜っと待ちぼうけ。こじんまりした境内は静かで、しっとりと落ち着く。ここ観音寺は、元上司から聞いた不思議な話のあるお寺。上司の親戚が地元の人で、よくお参りに来るのだそう。その時にあげる蝋燭の燃え方で吉、不吉がわかるのだという。以前その親戚から急に電話があり、蝋燭がどうしても燃えずに火が消えてしまうのだが何か変わったことはないかと聞かれ、まさにその時上司の近しい人が亡くなったとか大事が起こったとか、そういうことが度々あったとか。でもここまで四国をまわってきて、心理臨床の世界に片足踏み込んでみると、そういうことって不思議だけれど実際あって然ること…というのか、驚きみたいなものは感じない。そうこうしているうちに納経待ちの人が増え始め、時間少し前に納経所が開いた。短パン課長の忘れ物も無事戻って、私たちは今度は川沿いのコースを打ち戻る。部屋に戻ってすぐに仕度を整え、そろそろボルテージを上げ始めたお天道様のもと国道11号線を東へ東へ。短パン課長はこの旅を始めてからここまでの色んな話をしてくれた。Iさんとは高知で会って、その頃の彼女は全然距離が歩けなかったこと。スポーツが得意でヨットのアメリカズカップの某有名チームから誘われたこと、36番青龍寺から横波へはたまたま舟に乗れたこと。ちょうどその辺りは足のマメが最悪で、本当に歩けなかったことetc.真っ黒に日焼けした人好きのする笑顔でよくしゃべる。歩くペースは多少は私に合わせてくれているのだろうが小気味よく、でも休憩はこまめに取る方ではなさそう。すごく人懐っこい感じなのに、地元の人とはそんなに積極的にふれあいを求めるタイプではないそうだ。シャーシャー歩いている分、地元の方からは声をかけにくいのかも。

 団体バスの駐車場が見えて、着いたと思ってからの登りがなかなかハードだった。八十八段の石段にひぇーっとなる。最後は叫びながら登った。71番弥谷寺。死霊の集まる場所として知られるここは、独特の雰囲気と空気があって、神秘的というのではないんだけどとても神妙になってしまう。岩壁の際にお堂があって磨崖佛にも圧倒されたし、大師堂も独特で本当はもっとじっくり腰を据えていたかった。が、連れもあることだし、先も長いのでUP。門前のところてん、ちょっと心残りだったな…。

 曼荼羅寺への道すがら、短パン課長が急に「かつて自律神経失調症になったことがある」と切り出された。全然そんなの感じさせない風貌で、これには私も驚いた。心療内科に通っても全然よくならず、医療への不信感でいっぱいな中、森田療法(※1)の本に出会った。読んでみて心身のコントロールの仕方というか、当時の自分自身の状態のからくりが分かった。「それがわかれば後は実践すればいいわけだから」。でも外から見て元の自分に戻るまでには何年もかかったという。その間は森田療法の本で学んだことをベースに自律訓練法や坐禅、仏教の呼吸法なども体験し実践に励んで、その努力は並大抵のものではないと思う。今の笑顔は苦しんでもがいて努力して、その日々の積み重ねからうまれたものなんですね。

 こじんまりとした曼荼羅寺から73番出釈迦寺はすぐ近く。私は山の上の方に見える奥の院・捨身ケ嶽に行くと決めていたので、飲物補給のために手前の自動販売機でペットボトルを買おうとしたら、お金だけ吸い取ってウンともスンともいわない。叩いても蹴ってもダメ。ここは某へんろ宿の前なので、宿の人を呼ぼうと呼び鈴を鳴らしてみるが、これまた何度押そうが呼ぼうが人っ子ひとり出てこない。くやしさと未練とで複雑な思いを引きずりつつ、短パン課長に遅れて73番に到着すると、課長は若いお兄ちゃん(以下ビーン君とする。)と談笑中。さっき72番で見かけた子だ。ちょっと表情に陰というか何か持っている雰囲気の子だとすれ違いざまに思ったけれど、なんだ、そんな深刻な子ではないみたい。新しい連れを見つけて課長はアッサリと発って行った。

 納経所へ行くと、おばちゃんが120円握らせてくれ「冷たいもんでも飲み」とお接待。ここの納経所のおばちゃんは歩きの人にはみんなにお接待してくれている様子。さっきの150円以上のものが返ってきた気がして、さっそくゴキュゴキュ〜ッ!と一気飲み、たちまち全身生き返った。ありがとーおばちゃん。さらに納経所の片隅にザックまで置かせていただいて、目指すは捨身ケ嶽禅定。ギラギラの太陽に負けない攻めの気持ちで登っていく。途中木立ちもあって思ったよりは直射日光直撃ではない。が、上のほうは砂が乾ききって足の踏ん張りが効かず登りにくい箇所もあった。30分ほどで到着。すごい眺めで風が心地いい。ウロウロしていたら、すっとお堂が開いてまだ若いおにいさんが現れた。「せっかく来たんやから休憩していきー」。お言葉に甘えて上がらせてもらう。このおにいさんが奥の院の堂守さんらしい。オレンジジュースをご馳走になって、風が走るお堂でくつろぎながら少しお話も聞いた。空海が7歳のときに願を掛け身を投げたところ、釈迦如来が現われ助けられたという有名なエピソードをもつ場所だけに結構登ってくるお遍路さんはいるものと思ったら、なんと1日に数人程度とのこと。この日は私が3人目ということで、こんないい場所なのにもったいないと心から思ってしまった。この奥の院のオリジナル手拭をお接待でいただき、来た道を戻る。禅定の修行場にはさすがに足が向かなかったが、今度来る時は行ってみたいな。

 74番甲山寺への道で、ふいに「存在因」の手応えを悟った。「存在因」とは私の師匠の唱える概念で、これまでも度々道中で考えてはきたけれどイマイチつかみきれなかったもの。そもそも師匠は精神科医ゆえに、臨床場面における現代西洋精神医学での2元的な原因論(内因−外因、あるいは心因−身体因)に限界を感じて「存在因」なるものを想定した。確かに心理臨床の世界はこの2元論では説明しきれない。私のお会いしているクライエントさんにも「なぜ自分がこうまで苦しまなければならないのか」という問をずっと問い続けている方がある。河合隼雄先生はこういう「WHYの問」を医学ではHOWに置き換えて「○○という症状で××という病気だから」と説明すると指摘している(※2)。でもクライエントさんの問は「なぜ自分がそんな症状にならなければならないのか」であって、もっと存在に根ざした根本的な原因を念頭において臨床家はクライエントに臨まなければならない、というのが私の師匠の述べるところに近いと思う。けど、実際にはこの「存在因」、一体何かというとよくわからない。師匠自身それ以上言いようがないと説明できず、私はずっとせめてその輪郭ぐらいイメージしたいと思ってきた。それが突然、何て言うか頭のなかに降って湧いたように飛び出してきたのだ。<存在因って…“大いなるもの”そのものなんちゃうか…?> そう、私がお遍路中ずっと感じ続け、“大いなるもの”と呼んでいたもの。それこそが「存在因」の正体ではないのか。“大いなるもの”とは、なんと言うべきか―――うーん、カミっていうか、宇宙の(全存在の)根源的なパワーって言っていいのかな…。とにかく“それ”を真言宗では大日如来と呼び、神道ではカミと呼び、ユダヤ・キリスト教系では唯一絶対神と呼び…みんな同じ“それ”を別の角度から一部分ずつ見て名前をつけてるんじゃないのか、と。空海もブッダもキリストも、みんな“それ”を通常以上の桁外れのレベルで感じ、求め、そして開かれていった先達なんじゃないだろか…。「存在因」もその“それ”のごく1部の見方を切り取ったもので、運命とか宿命と厳密には違うけど、かなり近いと言えるんじゃないか…。

 なんてことを考えていたら、74番甲山寺到着。本堂でお参りしてたら、かすかに聞こえるは仔猫の声? ネコ語で鳴いてみると、確実に足元からお返事が返ってくる。どうも縁の下にいるらしく、どこかから入り込んだものの出られなくなったのか? 納経所のお姉ちゃんとおばちゃんに言って、みんなで救出策を考える。朝からずっとこの調子で、お姉ちゃんたちも気にはしていたらしい。じゃこを差し入れると小さな手(前足)がニュッと私の手を掻いたりして、ますます私としては釘付け状態。時間にそんな余裕ないのに、このまま放って発てなくなってしまった。お姉ちゃんの兄らしき若いお坊さんが、ついに子どもの頃以来と言いながら縁の下に入って探してくれた。が、彼が来ると仔猫は隠れてしまうのか鳴き声1つ立てず、何度かトライしてもらったが見つからず仕舞。外から掘ってみたりもしたが、敷石が頑丈でとうとう最後は諦めた。後ろ髪を引かれる思いで泣く泣く甲山寺を後にする。

 今夜は三角寺に同行していただいたFさんがご自宅に泊めて下さる予定。善通寺で待ち合わせの約束なので、かなり急いで早足で歩く。納経時間までには何とか間に合うだろう。焦っていたのもあって、息は上がりかけだったけど、時間20分前に到着。と、道の脇に短パン課長が。「いやーもっと先まで行けると思ったんだけど、この先の宿が全部休業中でね、やっと善通寺の前で1軒だけ相部屋でよかったら…って泊めてもらえることになったのよ。それで時間もあるし、北村さんが来るかなーと思って待ってたわけ」。遅かったので心配かけた様子。でもこれでまた明日から一緒に歩こうということになった。ビーン君も一緒に3人で…。納経を済ませ、Fさんを待つ。にしてもこの善通寺、さすが空海誕生の地ということでどこの札所より立派。何より敷地の大きさときたら、奈良、京都の大寺に1歩も引けを取らない。観光客もいて一種独特の札所にも思ったけど、時間がなくてほとんど何も見れないままだった。お勤め上がりのFさんと合流、車で琴平の町や昔ながらのかぶき小屋(時間的に入れなかった)を見て、厚かましくもお願いしていた満濃池へ連れて行ってもらう。なぜか空海が1から造ったと勘違いしていた私、そういえば空海は修理の指揮を執ったんだった。でも本当に思った以上に雄大で、周囲の山々から湧き出でるかのような雲に圧倒される。来れてよかったと心底から感動した。Fさん、お忙しいなか本当にありがとう。

 F家はすごく立派な豪邸で、私は大阪に下宿中の娘さんのお部屋を1晩お借りして、ゆったりくつろがせてもらった。ご家族の皆さんも気を遣って下さってか、お顔を合わせることもなかったけれど、お風呂にお洗濯、お食事と何から何までお世話になってしまい、幸せいっぱいで本当に心地よい深い睡眠を満喫させていただいた。

 

※2 河合隼雄『ユング心理学入門』岩波書店より引用。

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